#5-4 覚醒

「泉水、泉水っ!」

「吉木……陸曹……」


 虫の息、という表現が的確だった。だが息はまだしている。ならば見捨てておけないのが吉木という男の性質だった。


「今止血する」

「……他の、皆、は……?」

「喋るなっ! ……全員助ける。誰一人、見捨てたりはしない」


 コロニーから吉木と共に駆け付けた六人の民兵は、しかしその言葉と裏腹に皆虫の息だった。すでに絶命した者もいる。

 それに対し、吉木は風の刃が掠めただけ――――だがそれは僥倖とは言えなかった。寧ろ彼のを深めるだけだった。


 吉木陸曹――彼はその実、王国レルムから派遣された魔術士マギの一人だった。

 王国レルムから流入した荒れ狂う霊銀ミスリルが夥しい変異を齎す混乱の中、世界の是も異も無いと現地にて救助活動に移行シフトしたのだ。


 彼の魔術は幸い、道具と心を通わせることの出来る稀有なものだった。それを以てこの地の兵器を熟知した彼は、この地の軍人を装って生き延びた民を取り纏め、守っていたのだ。

 螢惑と同じだ――自らが住まう世界の罪に気付き、己が行為がその罪滅ぼしになる筈が無いと項垂れながらも、それでもそうせざるを得なかった。彼の中にある正義感がただ絶望するだけに留まることを赦さなかったのだ。


「……すまない」


 本当は、そんな言葉など吐くべきでは無い。それを吐いたところで何一つ取り戻せないことを彼は知っている。

 だが不意を衝いて口を飛び出たのがその言葉だった。それを耳にした泉水は、弱弱しくもにへらと笑った。


「……へへ、俺、知ってるんすよ」

「……何をだ」

「吉木陸曹……本当は、……」

「本当は……?」


 ばくりばくりと心臓が波打つ。その鼓動の音に負けて泉水の紡ぐ言葉が上手く聞こえない。

 だが、やがて泉水から紡がれる言葉は無くなった。何ももう紡がなくなった。


 謝って赦される筈が無いからこそ、償いたかった。

 どうにも出来ない罪を犯したのだからこそ、救ってやりたかった。


「泉水っ! 泉水っ!!」


 だがまだ息はある――この戦場に乗りつけた装甲車両から応急処置キットを持ち出した吉木は、心許ないそれらと心を通わせる。


「死ぬな――――生きろっ!」


 寧ろその願いは呪いだ。

 こんな世界で生きていくことの方が、酷と言うものだ。

 それでもそれを願わずにはいられない――最早彼は誤認している。


 こんな世界に一人残さないで欲しいという哀願が、正義感を纏って彼の心を衝き動かしているのだ。


「生きろっ、生きてくれっ! 頼む――――っ」


 果たして――――生きるのと死ぬのと。そのどちらが、地獄に相応しいのだろうか。

 ただ一つはっきりしていることは――――その地獄が顕現したかのような戦場で、一つの大きな影を中心に、三つの影が飛び交っている。


「遅いぞっ!」


 歯車を射出しながらゼファは文句を叫び上げ、しかしその表情は寧ろ破顔していた。

 夕星の姿には面食らったが、しかし何が起きたのかとどんな選択をしたのかの二つを即座に理解し受け止めたゼファは、その速度のままにそれらを受け入れた。

 そしてその直後に飛び込んできたもう一つの影に、目を細めて笑ったのだ。


「……悪い。ここから全力で行く」

「ケーコク……」

「ユヅ。あたしもだ」


 愛する人――太白を喪った螢惑に、未練は無かった筈だった。

 螢惑が夕星に一目惚れをしたのは、今考えれば夕星がきっと太白の霊基配列の写しを身に宿しているからだと考えることも出来る。

 それでも、夕星に救われたこと、夕星を守りたかったこと、もっと一緒に過ごしたかった事、出来ることならその愛らしい尻をもっと愛らしい形に仕上げたかったことは嘘にはならない。


 紛れも無い、真実だ。


 だからその言葉を吐く。響かせて伝える。

 太白ならばいざ知らず、想いは言葉にしなければ伝わらない。



 でも、「愛してる」とだけは言えなかった。



 太白にすら、気恥ずかしさで言えたことが無かったのに――――いや、太白だから、念話テレパシーを意のままに操る彼女だからこそ、言葉にしなくても良かったのだ。

 だけれど、本当は言えばよかったと、後悔はいつだって過ぎ去ってからやって来る。



「くそがああああああああ!!」

「阿呆、突出するな!」


 王国レルムの魔術とは、霊銀ミスリルを操る繊細な技術よりもそれを繰る感情の力強さを良しとする。つまりは心の、想いの力だ。

 そして怒りは短絡的で瞬間的だが、他の感情に比べ並外れた膂力を有している。だから螢惑は湧き上がる自らの憤怒を込めに込めて星幽体アストラルボディを投射し、魔術王ミカドの身体を内側から燃やしていく。


 だが、やはり炎術士パイロマンサー炎術士パイロマンサーの勝負は威力よりも防御力がものを言う。

 相手は王国レルム全土に根付く魔術を極めた魔術王――魔術司ワーロックとして重宝された螢惑の炎ですら、それをものともしない。

 いや、変異前であったならば螢惑の炎は有効な攻撃手段となり得ていただろう――異獣アダプテッドと成り果てた魔術王は、変異が起きた故の堅牢さまでも身に宿していた。


「どうした螢惑っ! 貴様の全力以上とやらはそんなものかっ!?」


 歯車を射出し、旋盤の盾を展開しながら檄を飛ばすゼファ。

 だがそれは、この局面を打破するのが彼女であるとそう理解しているからこそだ。

 同じ侵略者インベイダーである彼女の責務だから、では無い。それが出来るのが彼女しかいないと理解しているから、だ。


 そしてそれは、同じく変異を受け入れ異獣アダプテッドへと成ってしまった夕星もまた同じだった。


「ケーコク」

「ユヅ……」


 複製ではあるものの、太白の霊基配列を身に宿す彼女はその変異を得て、太白の得意としていた思念による通話を行使した。


「……ありがとう」


 空気の震動を介して伝わる音声よりも直接的ダイレクトに届く思念による励ましを受け、怒りでは無い感情が次々と生まれてくる。

 それを助長するように、異獣アダプテッドとなった夕星はひとつ跳躍して局所的な竜巻を回避したかと思えば、太く黒い尾を地面に突き刺して岩盤を持ち上げ、それを豪快に叩きつける荒業を見せた。


『螢惑、仲間を――仲間を、取り戻すのだ』


「けーこ、くっ――――なか、ま、ヲ……ま、ヲ……」

「うああああああ!!」


 肥大化した拳で殴りつけ、同時に星幽体アストラルボディを滑り込ませる。

 一つの身体に二つの魂が存在することによる拒絶反応により生まれた炎が罰となって罪を灼く。


 それでも炎は効かない。

 怒りでも駄目だ、希望でも駄目だ。どんな感情で操る炎も、魔術王ミカドを焼き尽くすに値しない。


「螢惑っ!」


 ゼファが叫ぶ。

 夕星が思念で危険を報じる。


「ぐぶ――――っ、――――ぁ」


 鎌は、その柔い肌を突き抜けて臓腑を散らした。




 そこでは、漸く

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