#5-5 到達

「――っ!」


 目の前には、がいる。


 ただただ真っ白なだけの、意識だけが実存する空間。

 輪郭も無く、色彩も無い。

 だけれども。


 目の前には、がいる。


「……あたし、」


 魔術王ミカドの鎌の一振りが、薙ぎ払って上半身と下半身とに分断した筈だった。

 その痛みや衝撃を覚えていないのは、恐らくそれを感じる前に脳が意識を遮断シャットダウンしたからだろう――死の間際に、それを感じてしまわないように。


「……何も出来なかった」

『違う』

「え?」


 何となくそこにいる気がする、程度の存在感が、急激に膨れ上がった。

 突風めいた波濤がそよぎ、螢惑は堪らず両腕を十字に交差させて顔を覆った。


『漸く、ここに辿り着いたのだ』

「辿り、着いた?」

『そう――――汝が冠す名の、本来の持ち主に汝は漸く巡り逢えたのだ』


 螢惑――五人の魔術司ワーロック達は、それぞれが司る術系統に相応しい王国レルムの守護者の名を冠す。

 そしてその名を冠すこととは、その守護者――幻獣クリプティドの召喚権をも譲渡される。

 だが彼ら幻獣クリプティドが召喚されることなど無い。

 先ず、彼らはあくまでも世界の危機に際してそれを打破するために創られた存在であるから。

 そして――――その召喚の代償は、召喚者の命そのものだ。


『火を司る魔術士マギよ。すでに薪はべられた。ならば後は汝の声ひとつ』

「……でも、」

『何を迷う?』

「……今更、王国レルムの消滅は免れない」

『世界は土地に非ず』

「え?」

『風土に非ず、空間に非ず、座標に非ず――世界は、命だ』

「命……」

『汝の命と引き換えに、救いたい命があるのだろう?』

「……ある」


 螢惑は力強く頷く。


『ならば、自ずと答えは出ていよう』


 白い世界が閉ざされていく――いや、激しく燃え上がる炎の熱によって溶解しているのだ。

 その熱は、じゃあ何処から――――そんなこと知れている。


 炎は、命をべて立ち昇る。

 空を目指し、遮るものを焼き尽くさんと燃え広がる。

 すべてを焦げ付かせ、すべてを灰と化す。


「ケーコクっ!!」

「螢惑っ!!」


 夕星とゼファの二人がその惨劇に声を上げたのは同時だった。だからその二人が、その直後に起きた螢惑のに目を見開いたのも、全く同時だった。

 だが夕星とゼファとでは、その目の見開きの意味が大きく異なる。


 ゼファは、その立ち昇る炎を螢惑が秘めていることを知っていた。いや、見抜いていた。

 だからこの局面でそれを放つことが出来たなら、螢惑はあの魔術王ミカドを打破することが出来るだろうと――


 だが、それと引き換えに命を失うという条件など勿論知らない。

 いや、命を散らさなければ発現出来ないなど――――それを知っていたのは寧ろ夕星の方だ。


 夕星の中には太白の霊基配列の複製がある。

 複製とは言え、太白の能力を発揮するそれは、透明色の思念を通じて螢惑の中に秘められた幻獣の存在についてを夕星に教えた。

 だから夕星は、思念による励ましの響きの裏に、その幻獣を召喚する方法を鏤めて密やかに誘導していたのだ。


(――――ああ、これがユヅの罰なんだ)


 大好きな人を、自らが死へを追い遣ること――――自らに宿る太白の霊基配列が齎した呪い。


 それでも、後悔はいつだって過ぎ去ってからやって来る。

 もう燃え上がるその炎を止める手立ては無い。


「――――けー、こく、せかい、ヲ……なか、ま、ヲ」

「もう、遅い――――」


 そうしてその身を炎そのものである幻獣“螢惑”へと変貌させた螢惑は、導かれ到達した真理の一面に刻まれたその号を放つ。

 それはもう魔術司ワーロックでは無く、魔術師ワークスホルダーの所業。




「――“空に咲き、灰と散る” ファイアーワークス 











 白。











「――――生き、てる?」


 真っ新に均された台地のようになった焼野原に横たわる螢惑は、確かに命を賭して炎そのものへと成った自分がどうして生きているのか、四肢と五臓六腑に至るまで無事なこの現状がどうしてなのかを思案した――どうしてかなど、解る筈もない。


「……ユヅ!!」

「煩い、愚物」

「ぁあ!? ――――あ?」


 そこにいたのは、煤で汚れたゼファだった。黒く焦げた地面に腰を下ろし、昇りつつある朝日に目を細めている。


「ユヅは?」

「……霊銀ミスリルによって変異を齎された者はその生涯を終えると霊銀ミスリルに分解されて世界へと還る」

「は? 何言って……」


 気付いた途端、糸が切れたように螢惑はがくりと膝を地に着いた。

 ああ、そうだった――夕星は、自らに魔薬ドープを多量に射ち込んだ結果、異獣アダプテッドへと変異したのだ。


「……何で? あたしが生き残って、何であのコが――」

「それだが、……貴様には話しておかねばならんな」

「話?」


 ぼろぼろと泣き崩れる螢惑に、訥々とゼファは言葉を紡ぐ。

 結論から言えば――夕星もまた螢惑と同じように、命を費やして幻獣“太白”を召喚したのだ。


「貴様の内にいた幻獣が総てを焼き払う撃滅の魔術なら、夕星が召喚したあの幻獣は命を再生させる、慈悲の塊のような魔術だった」


 太白は夕星を呪ったのでは無かった。

 そうしなければ、魔術王ミカドを打ち倒しつつも命を喪う螢惑を救えなかっただけのこと。

 ただ、そのためには夕星の命が対価として必要だった。


 それでも夕星は――――


「姫は笑って逝った」

「何で……何でそんなこと!」

「余に止められる筈も無かろう。姫がその命を犠牲にすれば貴様だけでなく、あの魔術王ミカドに散らされた命も、この世界すらも再生するのだ。それを是とするよう規定プログラムされたこの余に、それを止められる道理が何処にある!?」


 わなわなと震える拳は、ゼファの苦悩をきっと表していた。

 このヒトガタは、それでも何処かに抜け道は無いのか、打開策は、必勝法は無いのかを検索したのだ。だがそんなものは何処にも無く。


「姫を、どうして喪わなければならない……」

「……同じ気持ちだよ」

「貴様なんぞと一緒にされたくないな」

「同じ気持ちだよ! ――でも、一緒に生きて行かなきゃ」


 やがて跡地となった戦場に、吉木と息を吹き返した泉水、それからコロニーの民兵たちが迎えにやって来る。

 痛みが傷みに変わるより先にそれは悼みとなり。

 だが彼らは結束した。


 複製でしか無い霊基配列で召喚できた幻獣の効力は本来の十分の一に満たない。

 だから夕星が再生できたのは彼らだけ――――それに、魔術王ミカドは打ち倒せたが、魔物がいなくなったわけではない。彼らは命がそこにある限り、自分たちが奪われたそれをどうにか取り戻したくて――取り戻せないと判っているはずなのに――蹂躙しようと群がる。


 それらから生き抜き、摩耗した心を息抜き。

 寄り添い合い、束なって。


 託された命を、繋いでいかなければならない。

 この、地獄に似た世界で。


「……ユヅ」


 走る装甲車の甲板の上。風に吹かれながら、螢惑は東の燃える空を仰ぎ見る。


「ごめん……」


 ありがとうだなんて言えない。それを口にすれば、自分の不甲斐なさを、卑怯さ加減を認めてしまう。

 あの犠牲を、認めてしまうことになる。


「でも、生きるよ――――ユヅの分まで」




 焼ける空の、凄絶なまでの色使い。

 地獄に在ってさえ、美しいと思い知らされる世界の極彩。

 

 夜明け。


 それは、一人の少女が齎したもの。

 魔薬ドープを使って、世界に呼び寄せたもの。

 命を削って、誰しもに取り戻したもの。






 ――――そうして、二年という月日が経った。

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