#5-3 異貌

 繭のように結晶化した霊銀ミスリルを割り裂いて生まれたのは、紛れも無く魔術王ミカドだった。

 面影はある。確かにある。ただ、より一層の変異が施され、齎され、歪曲では無く歪を纏って――いや、宿していた。


 変異前ですら一回り以上大きかった体躯はその二倍ほどの巨躯へと膨れ上がり、引き目に見た形状フォルムはカマキリとムカデを混ぜたような姿をしている。

 尾のように長く伸びた腹部からは幾つもの脚が生えている――無論、虫を思わせるような棘棘とした甲殻に覆われた不快な脚だ。

 その上に座す胸部からは通常の三倍の数の腕――こちらは人間のそれを思わせる――が生えており、そして背中からは翼では無くカマキリの前足を思わせる鎌を先端に備える長く大きな切断器官が伸びている。


 繭と共に戦士たちを断ち切った風の刃を生んだのはあの切断器官だ。

 そして都合六本の腕の先端で握ったり開いたりを繰り返す掌は、それぞれに霊銀ミスリルを収束させた魔力球マナスフィアを生み出した――炎熱や冷気、水流や気流、雷電に重圧にと、その一つ一つのどれもが異なる系統の魔術で編まれている。

 それを目の当たりにしたゼファは苦悶に顔の皺を深めながら舌打ちした。見れば判る程に、あの魔力球マナスフィアはとんでも無い威力を秘めているのだ。


(左前腕は無くなったが、歯車の操作には支障無い――)


 ちらりと後方を振り返り、螢惑と夕星の様子を垣間見る――仄かに目を細めたゼファは、その目を見開いて前を向いた。


「――貴様に期待などするべきでは無いが、せざるを得んのが実情だ。ならばさっさと戦線に復帰しろ!」


 叫ぶと、盾として扱う巨大な旋盤を現出させながら突出するゼファ。

 そのゼファに、馬鹿程濃密に凝縮された魔術がこれでもかと襲い掛かる。


「ぐ――っ、愚か者! これしきの魔術でこの余を打ち崩せると思うな!」


 ――自らが避けたなら、真っ直ぐ突き進む魔術に螢惑と夕星が被弾してしまう。

 だから旋盤の回転速度を限界まで引き上げて散らすしかない。そして魔術王ミカドの蹂躙する魔術は、そんなゼファを嘲笑うように次々と繰り出される。


(――姫っ! ――――螢惑っ!!)


 穴を穿たれては、直ぐに棄却すると同時に新たな旋盤を創り出し、それもしかし焼かれ、溶かされ、或いは凍らされ。

 僅かな隙を衝いては撃破用の歯車を射出し、しかし気流の壁に阻まれ。

 唯一まともに動けると言っていいゼファは、だが単体ではやはり撃破に遠い。


 相手は魔術で大成した小世界の王、それが変異した化け物だ。

 人ならばまだしも、異獣アダプテッドである故に多少の傷は再生してしまう。


 それでもゼファは果敢に立ち向かう。

 傷つき、戦闘は出来なくともまだ生きているこの地の民コロニーの民兵たちを守るため。

 そして、夕星を守るため。


「どうした異世界の魔術王! 貴様の魔術はこれしきのものか!」


 挑発し、そして漸く螢惑と夕星へと続く射線を切ったゼファ。

 後はこのまま注意を引き付け続ければ、その二人の戦線復帰は早まるはずだ。


「コノせかいヲ、わガものニ――――」

「させぬと言っておるのだ愚君!」


 再度、歯車と魔術の攻防が展開される。追いつつ凶悪な魔術を連発する魔術王ミカドに対し、旋盤の盾を展開し防御するゼファは機動を取り戻したことで徐々に攻勢へと転じる。

 だがそこは魔術王ミカドも負けじと、乱雑なほどに極大の魔術を連発して押し返す。


 幾つもの天災が凝縮されたような戦場の瞬きに、すでに廃墟と化している建物ビルは崩れ落ち、新たな瓦礫の山を築いていく。


「どうした! 何処を狙っている木偶の棒!!」

「わガものニ――コノ、せかいヲ――――カアアアアアアアアッ!!」


 迸る雷光。劈く暴嵐。瓦礫に埋もれた枯れた大地が斥力の波によって罅割れる。

 静止した旋盤を空中に出現させ固定させることで即席の足場を創ったゼファは縦横無尽に飛び交い、僅かな間隙を衝いて歯車を射出して撃ち込んでいく。

 激しく回転するそれは、しかし背中の鎌が生み出していると思われる嵐の防壁に切り裂かれては落ち、そしてその防壁は脅威を消したことで収束して刃となり襲来する。


「は――っ! 止まって見えるわ!!」


 あくまでも挑発し、あくまでも嘲笑する。そうして敵愾心ヘイトを一身に引き受けなければ、すでに遠く離れたあの戦場に残した者たちは悉く消え去るからだ。

 頼みの綱のあの二人は――――だが果たして、来てくれるのだろうか。


(来い――姫、螢惑――――っ!)


 願いは届くか。届くとしたなら、どれくらいの速度で伝うか。

 だが届くよりも伝うよりもはやく――――彼女は立ち上がり、立ち向かう。




   †




「もう、いい……もう……」


 両脚を太腿の半ばから両断され失った夕星はしかし、そんな状態でも諦めてなどいなかった。

 いや、諦めていなかった、と言えばそれは嘘になる――事実彼女は、彼女自身の生存に関しては一切足掻いてなどいなかった。

 ただ、自分自身を犠牲にすればあの魔術王ミカドを打ち倒せるという希望に似たナニカを妄信し、辛うじて切断を免れた両太腿の付け根のホルダーからそこに刺さっている全ての魔薬ドープを十指で掴み上げていたのだ。


 だがそれを阻むのは寧ろ螢惑だった。

 掴み上げた少女の両腕に自らの両腕を伸ばして手を差し向け、力無く掌で押さえつけているのだ。しかし余りにも弱弱しい力だった。軽く意志を添えれば、簡単に振り解けるほどの――――


「……」


 だから夕星はふるふると弱く、首を横に振った。

 もう話す力すら、この後の顛末に全て取っておきたかった。

 本当はもっと沢山のお喋りをして過ごしたかったが、そう出来ない事はもう受け入れた。


「……っ」


 何か出来るはずも無く、螢惑は夕星の奇行をただ見ているしか無かった。

 掴み上げた魔薬ドープの全てを、両脚の切断面に次々と乱雑に射ち込んでいくその所業を。


「ケーコク――――」


 最早見ていることなど出来ず、項垂れるように謝るように頭を地面に伏した螢惑へと向けて、少女の愛らしい声が響きを伝える。

 恐る恐る顔を上げた双眸に映ったのは――絶望が人の形を得たような異形。


 黒く変色した目からは絶えず黒く変色した血が流れ。

 雪のような真白に染まり上がった頭髪は妖しく揺れ動き。

 病的に蒼褪めた肌は罅割れ、その亀裂からは呪詛のような黒い揺らめきが漂い。

 そして、断たれた脚の代わりに生えていたのは羚羊を思わせるような強靭な二肢。

 そのひとつ上――腰と尻の合間からは、あの黒腕を肥大化させたような巨大な尻尾が生えている。先端は掌を模しているのか五又だ。


「――――大好き」


 見開いた目。瞬きすら出来ずに、しかし視界から愛しい面影が消えてしまった。

 持ち上げた黒尾を振り下して地面を叩きつけるように跳躍し、ぶわりと浮かび上がった身体は宙を蹴って魔術王ミカドへと肉薄する。

 遠く離れた戦場へと飛来し、この地の魔術が成れの果ての脅威を思い知らせる。


 その姿を、ただただ螢惑はぼんやりと眺めていた。

 一度齎された変異は二度と元には戻らない――夕星はもう、還らない。もしも魔術王ミカドに打ち勝てても、そこに残るのはただの化け物なのだ。


 それを判っているからこそ。

 それを解っているからこそ――――だから螢惑は涙を拭い、眉間に皺を寄せて立ち上がる。


「――――クソ……クソ、クソ、クソックソックソックソォォオオオッッッ!!」


 駆ける先は最後の戦場。

 夕星と戦うことの出来る、最後の戦場だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る