#3-5 真実

 皮膚の表面は確かに罅割れ、枯れ木が蠢いているという表現こそ相応しい。

 しかしその容姿はそうなってさえ、元は可憐な少女だったことが伺えるのだ。

 きっと年端は夕星と変わらないだろう――いや、夕星はああ見えて実は十八歳成人を迎えているのだから、きっとその少女は十五歳にも満たないのだろう。


 それが、感情の一切を失くした声音でただ呪詛のような憎悪を呟くのだ。

 生を憎み、自らに宿る炎で以て焼き尽くすのだと抑揚無くも声高に宣うのだ。


 堪ったものではない。


 螢惑は年端いかぬ少女が好きだ。何も夕星に限ったことではなく――夕星はまぁ、特別ではあるが。

 大人の女性になりきれぬ、処女性を備えた肉体と精神の有り様、その愛らしさ可憐さ儚さに庇護欲と独占欲とを駆り立てられる。

 だが前者はともかくとして後者は社会にとって忌み嫌われるべきであると、到底受け入れられるものではないことを弁えている。


 だから彼女の眼前で今まさに炎を叩きつけんと、煌々と燃え上がる掌を翳しながら大きく螢惑へと向けて飛び上がった魔物が本来はそのような少女の姿であること、加えて言えば感情の一切を失くし知能はあっても理解を持たないまま自身を亡き者にしようと向かって来ていることは耐え難い苦痛であり、苦難だった。


 出来ることなら受け止めたかった。

 受け止め、抱き締め、慰めたかった。

 でもそんなことは出来ないことは百も承知だった。


 螢惑はその実、本来の炎術士パイロマンサーとは異なるのだ。

 ただ結果として相手を炎で包むことが出来るというだけであり。

 彼女が用いる魔術マギアは在り方としては超能力サイキックに近しい。

 故に。

 螢惑は、炎術士パイロマンサーが有する程の大仰な炎熱耐性を有してなどいないのだ。


 だから受け止めてしまえば。

 抱き締めてしまえば。


 螢惑の身体は一瞬のうちに黒い炭の塊へと成り果ててしまったに違いない。

 それ程までに、カガリ型が放とうとした炎撃の温度は低く見積もっても灼熱だった。


 だから受け止めてしまえる筈なんて無かった。

 抱き締めることなんて出来る筈が無かった。


 だが螢惑は、そうと知っても尚、そうしてしまった。

 理屈では解っているのだ、そうしてしまえば命は無いことなど。

 何もかもが何一つ残らず黒く焦げた炭になってしまうことなど。

 そう――知ってはいた。だが螢惑は理知よりも情動に従う生き物だった。


 そしてだからこそ、それをのだ。


 振り下ろされた掌が放つ炎に包まれ、表皮は黒々と炭化していく。

 しかしカガリ型は僅かに目を見開いた。人間だった頃の感情など一つも残っていない筈なのに。


 炭化し黒く染まり上がる皮膚は、その傍から元に戻っていく。それが再生なのか還元なのかは判らないが、とにかく元に戻っているのだ。

 そして綺麗さっぱり炎撃をいなした螢惑の腕が、その事実を受け止めきれず飲み込みきれずぴたりと止まってしまったカガリ型に伸びる。


 はっと気付いた時にはもう遅い。

 螢惑は、その少女のカタチを抱き締めた。抱き締め、自身の幽星体アストラルボディを熱暴走が起きないよう優しく潜り込ませると、重ねた幽星体アストラルボディからカガリ型の少女の身体に残存する記憶を読み取った。

 そうしてカガリ型が、この世界に魔術士マギとして送り込まれた一人であり――炎熱を操る炎術士パイロマンサーとして顔を合わせたことすらあり――この世界の受憎者ドニィたちとの交戦の最中で荒れ狂う霊銀ミスリルの齎す汚染によって異獣化アダプタイズしたであることを知った。


 そして螢惑は少女の幽星体アストラルボディを自ら潜り込ませたそれと重ね合わせると、少女のそれを自らのものを介して整形し始める――先程、炎に包まれ炭化した身体を元の綺麗な姿に戻した再生能力を少女に対して行使したのだ。

 だがやはりそれは、少女の元々の幽星体アストラルボディのカタチを知らないが故にうまく行かなかった。いや、知っていたとしても――一度異獣化アダプタイズを成してしまった者が元に戻ったという記録は未だ存在しない。


 だから少女はカガリ型から元の少女の姿に戻ることは無く。

 やがて螢惑は抱き締めた腕の中で少女を優しく――痛みも傷みも与えないままに絶命させた。


 もう亡骸となった小さな身体を抱き締める螢惑の表情が翳っているのは、少女のこともそうだが、しかし幽星体アストラルボディを用いた治癒能力と情報収集能力と同様に思い出した、自分自身のことが大きな原因だった。

 だがかぶりを振ると、螢惑はカガリ型の亡骸を両腕で抱えながら周囲を見渡し、どうにか少女をちゃんと弔おうと埋められるような場所を探したのだが、しかし魔物は息絶えるとその身体が塵へと分解されて失われてしまう。

 自らの腕の内で細かく風に散っていく少女の亡骸。

 焼けるような熱で涙の涸れてしまった螢惑は、何一つ言葉をかけられずにただ失われていく有様を看取り、そしてぎゅうと拳を強く握り締めながら歯噛みした。



「ケーコクっ!」


 そんな中、唐突に跳び込んで来たのは。


「――ユヅ?」


 他の誰でも無い、夕星だった。

 螢惑は困惑した。その上混乱した。

 どうしてここに夕星がいるのか理解できなかった。何なら自分がただ幻視している都合のいい妄想なんじゃないかとすら思えた――それ程迄に螢惑は打ちのめされていたのだ。

 だが、つい先程ひとつの死を看取った手が触れた感触は、愛する少女の輪郭そのものだ。それを、螢惑は間違える筈が無かった。


「愚か者」


 無論、夕星がここまで出向いているのだ。彼もまた、そうしないわけが無かった。


「痴れ者、うつけ、間抜け、阿呆、大馬鹿者――」

「煩い、そのくらいにしておいてくれよ」

「いや、まだまだ言い足りぬな。姫の心をここまで甚振いたぶったのだ、貴様にはそれ相応の処断を覚悟してもらう他無い」

「あー、はいはい。分かった、分かったよ。……ユヅ、ごめんな? 勝手にどっか行っちゃってさ……」


 胸に押し付けられた小さい頭がぐりぐりと横に振られる。

 鼻水が糸を引くような間抜けとしか言えない、涙で赤く腫れぼった顔を上げた夕星に、螢惑はまるで自分の輪郭が震えるような罪悪感を覚え、眩暈めまいで倒れてしまいたかった。

 でもそれをぐっと堪えたのは、そうしてしまえば夕星の心をさらに甚振ってしまうからだ。自分の勝手な逃避の思いから夕星にさらなる痛手を見舞うのは流石に赦せなかった。


「……ケーコク、あの、あの、あ、ああ、あああ……」

「……ゆっくりでいいよ」


 しゃくり上げる呼吸を落ち着かせ、そして夕星はついに意を決して問いを放った。

 螢惑は覚悟していた。思い出したばかりの幽星体アストラルボディを介した情報収集能力が、意思を離れて勝手に夕星の思考を読み取ってしまったからだ。


 ああ、もう――知られてしまったんだな。


 思えば不思議だったのだ。何もかも、歪な整合性で危うく成り立っていた。

 どうしてあの場所を彷徨っていたのか。

 どうして魔薬ドープも無しに魔術を行使出来たのか。

 どうしてゼファは自分の言うことに耳を一切貸さないのか。


「ケーコクは、……」

「ユヅ――そうだよ。あたしは、


 読み取っていたからこそ、思い出してしまったからこそ、その問いを先回りして望む答えを返す。


「あたしは……このに捕らえられた仲間を取り返す特殊任務を帯びて潜入したの魔術工作員……夕星と同じような受憎者ドニィなんかじゃなかった」


 ごくり――夕星の喉が鳴る。幾許か離れた場所で、腕を組んだままゼファは静かに二人の遣り取りを見詰めている。


「……この世界に侵略戦争を仕掛けた、この世界をこんな姿にした張本人の一人だ」











   † ———————————— †


      ド      # 3

      ド

      ド       【Dope Draws Donee's Dawn.】

      ド


      なりそこないのドナー

       2B-CONTINUED.


   † ———————————— †











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