#3-4 憎悪

「……泉水」

「はいっ……え、もしかして」

「魔物だ」


 街灯など無い滅んだ街は日が暮れればあっという間に暗くなる。

 魔術士マギである螢惑は星幽体アストラルボディを弄って暗視能力を獲得することが出来るが、泉水はそうでは無い。しかし彼は彼で、螢惑に着いて行く際に武装のひとつとして暗視ゴーグルを持たされていた。魔物の接近と知って彼は慌てて首にかけていたそのゴーグルをわちゃわちゃと装着する。


「基本的には動かなくていい。最悪、自分の身は自分で守ってもらうけど」

「だ、大丈夫だ。今なら銃もあるし……」

「ま、無事を祈っててよ」


 息を呑む泉水とは対照的に、螢惑は全くの自然体だ。戦場において程よい緊張は寧ろ増強剤となるが、螢惑にとってはやはり適度な弛緩の方が優先事項だった。

 星幽体アストラルボディを扱う螢惑にとって、をいつでも想像イメージ出来るということはとても大切なのだ。

 ちょっとした感情のブレでも星幽体アストラルボディは変容してしまう。それを知らないままにいつもの感覚で星幽体アストラルボディを弄ろうとすれば、小さなズレが大きな過ちに繋がってしまうのだ。


 だから螢惑はいつもの呼吸を行い、決して気負わない――この一週間で螢惑は、かつて自分が魔術士マギとしてどのように戦っていたのかを完全に取り戻しつつあった。


「さぁて――行って来ますっと!」


 現れた魔物はヨキ型が三体、ノコ型が二体、そしてオビ型が二体の計七体だ。


 ノコ、或いはノコ型とは――四脚獣のような体型フォルムから延びる頭部に回転するノコギリを備えた魔物である。前肢は捕獲のためにやや太長くなっており、敏捷性にも富む。


 オビ、或いはオビ型とは――他の魔物に比べ小柄である、人間の子供程度の大きさしか持たない魔物だ。両腕にあたる部位は喪失しているが、上半身のどこからでも帯状の触腕を伸ばすことが出来、それを鞭のように使って打撃を加えたり、また捕縛することも出来る。


 どちらかと言えば素早さを重視した編成の魔物七体を相手に、しかし速度スピードにおいても螢惑は負けることは無かった。

 瞬間移動と炎撃を繰り返し、いとも容易く七体を焦げ付かせた螢惑は意気揚々と泉水のもとに戻る。


「――待って。追撃だ」

「え?」


 しかし喜ぶ間も無く、螢惑は次の相手の存在を感知する。

 それこそ、螢惑にとって“事件”と言える相手――――カガリ型とばれる、だ。




   †




「どうしてっ!」

「駄目なものは駄目だ――今の貴様を戦場に向かわせるわけには行かない」


 日に日に長くなっていく睡眠から醒め、螢惑のいない事実に気付いた夕星は、自らもコロニーへと螢惑を追って出向こうとしたがそこをゼファが阻んだのだ。

 生まれ持っての性質から緊張して上手く言葉を紡げない夕星だったが、こういった際にはその性質も鳴りを潜める。


「螢惑がユヅのために身を削っているのに、ユヅだけがお姫様みたいに寝て待ってるなんて耐えられない」

「お姫様、か……」


 無論、それは自分のことを“姫”と呼ぶゼファに対するのつもりの言葉だったが、しかしその実、ゼファも何も夕星をお姫様扱いしているわけでは無い。


「ヒトガタは、ユヅたちの言うことを聞くんじゃ無いの?」

「確かにそうだ。そう、規定プログラムされている」

「じゃあ!」


 感情が舵を取る侭に捲し立てようとした夕星だったが、しかしその喉の動きは直後のゼファの剣幕に押し止められた。


 傲岸不遜、傍若無人、慇懃無礼――このヒトガタの在り方を形容する言葉なら沢山あったが、そのどれとも似通わない態度と表情。

 それが、蛇が蛙を睨むように夕星の心を堰き止めたのだ。


「――姫。規定事項プログラムにも優先順位プライオリティがある。余は何よりも、この地に住まう民の生存を優先しなければならない。そして今この時において姫がこの場を離れ螢惑を追うということは、その危険性リスクを大いに孕む」


 夕星はそこまで頭のいい方では無い。だがそんな夕星にも、今しがたゼファの告げた言葉がどんな事実を表しているのかを理解することは造作なかった。

 そしてだからこそ夕星は泣きそうな青褪めた顔でゼファに懇願するのだ。


「……なら尚更! ユヅが行ってあげなきゃ! じゃないと、螢惑が……」

「駄目だ」


 ヒトガタは人間のように見えて、人間では無い。

 そんな当たり前のことを失念するほど、ゼファの言葉や仕草、有り様は人間じみていた。

 そしてだからこそその冷徹さ・冷酷さに、夕星はますます気が気でなくなっていく。


「どうして? だって螢惑も……ゼファにとっては守るべき“この地の民”なんじゃ無いの?」

「姫――それは違う」

「え――?」


 首を横に振ったゼファの言動が夕星には理解出来なかった。

 だがそれは、紛れも無い事実だ。


「姫。螢惑は――」




   †




「何だ、あれ……」


 まるで螢惑が自らの星幽体アストラルボディを潜らせたように、最初からその魔物は煌々と燃え上がっていた。

 だから思いの外遠くから、その存在の接近には気付けたのだ。

 しかし螢惑はその魔物を知らなかった。これまでの一週間、未だその種類には遭遇していなかったのだ。


「カ、カガリ……ッ!?」

「カガリ?」


 しかし泉水は違った。あの燃え上がる魔物をよくよく知っている。


 コロニーに集う者の中には、魔物の襲撃によって壊滅したコロニーから逃げ延びた者も少なくない。泉水もそんな一人だった。

 そして泉水がかつて住っていたコロニーを滅ぼしたのが、あの“カガリ”と呼ばれる魔物だった。


 カガリ、或いはカガリ型とは――人間とさほど変わらない大きさ・規格の、しかしひび割れた枯木のような表面の肉体に、所々から炎を噴き出している、炎術パイロマンシーを行使する知能を持った魔物である。


「炎を使う……」


 螢惑は歯噛みした――何せ炎術士パイロマンサー炎術士パイロマンサーの勝負というのは、攻撃力よりも防御力がモノを言う。

 どちらがより強力な炎熱耐性を持っているかの方が、どちらがより凶悪な炎術パイロマンシーを行使できるかよりも大切なのだ。

 そして大抵の場合、強力な炎術パイロマンシーを行使できる炎術士パイロマンサーと言うのは強力な炎熱耐性を有しているものだ。

 個体の差はあれ、そうだという傾向が強いからこそ螢惑は強く奥歯を噛む――それはつまり、だ。


「相手は一体、距離も未だ全然空いてる……泉水」

「は、はいっ!」

「合図したら全力で三時方向に走れ。二ブロック分進んだら九時方向に三ブロック。その辺まで行けたら、何処か適当に隠れていてくれ」

「隠れるって……」


 まだ全てでは無いが、しかしまた確実に螢惑は思い出していた。

 自分が、決して戦闘用に調整された魔術士マギでは無いこと。そうなれないからこそ、星幽体アストラルボディを操るという特異性を活かした偵察役スカウトとして様々な特殊任務に重用されて来たこと。


(ちょっと待って……あたしが担って来た任務って……一体、何処の誰から言い渡されたものだ?)


 追憶は一人でに綻ぶ、勝手気侭に破綻する。

 もはやそれは、霊銀ミスリルに欠く環境から魔術が育たずに遂には失われてしまった筈のこの世界の歴史と



『螢惑、仲間を――仲間を、取り戻すのだ』



 ガヅンと頭を殴られたような痛みと共に沸き起こるあの声――しかし今はそれに囚われている場合じゃ無いと眉間に皺を寄せて耐える螢惑は、真っ直ぐにカガリ型を見据えながら吠える。


「早く行け! あたしも適当に撒いてから探しに行くから!」


 その怒号に泉水は事態を悟った。泉水自身、あのカガリ型の脅威は身を持って知っている。

 寧ろ号を発してくれたおかげで泉水は気持ちを直ぐに逃走へと切り替えることが出来た。

 そして先程の指示に従い逃げる泉水をやはり見ないまま、螢惑は着々と距離を詰める炎に向けて自らも歩みを進める。


「――いのち」

「っ!?」


 距離としては十メートル程度だろうか。突如としてカガリ型の放った言葉に面食らった螢惑は足を止めた。

 知能を有するとは先程泉水から聞いていたが、まさか言葉を介すとは思っていなかったのだ。


「いのち――もやす」

「……やめろよ」


 そしてその距離に到達したからこそ気付いた。気付き、今しがたまで想像イメージの中で携えていた刃を失った。


「ぜんぶぜんぶ、やきつくす」

「やめろっつってんだよ!」


 目の前に現れた敵は、夕星と何ら変わりない可憐な少女のカタチをしていたからだ。

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