#3-3 交渉

「あんた……まさか」


 再度男の喉がごくりと鳴る――しかしその問いの続きを、男は紡ぐことが出来なかった。


「えっと……あたしがどうかした?」

「いや、何でもない……ありがとう、助かったよ」

「困った時はお互い様だろ? こんな状況だしさ」


 彼女が、男が助けられたことには変わりない。そしてその事実が、男が先程結論付けたある概念に対する印象を緩和させたことも。


「ちなみに……あんたはどうしてこんなところに?」

「ああ……ちょっと探し物をしててさ。でもさっぱり見当つかないし、ってところで逃げてるあんたを見つけてさ」

「探し物?」

「そ――――コロニー」

「コロニー? コロニーって、」

「コロニーって言ったらコロニーだろ。だからあたしにとっては一石二鳥だったんだよね、あんたが逃げててくれてさ」

「一石二鳥って……」

「現金な考えで悪いけど、探し物も多分見つかって、それに恩だって売れる。あんた、きっとあたしの探しているコロニーに住んでる人だろ? もしかして違う?」

「いや……」


 コロニーと言えば、この世界の生き残りが集う集落だ。いくつかあるとは聞いたことがあるが、男は自分が住まうコロニー以外のコロニーを知らない。だからきっと、螢惑の探しているコロニーは即ち自分が身を置くコロニーなのだろうと頷いた。


「出来れば案内してほしいんだけど」

「いや、それは……」


 恩を売る、というのはつまりそういうことなのだろう。

 男は、螢惑がコロニーを探しているのは自分が身を置く場所を探しているのだろうと推察した。そしてその理由は、今しがた異なる印象を得たあの概念のせいなのだろうと。

 それ故に男の狼狽は当然のものだった。いくら恩があると言っても、自分一人の恩義のためにそれを引き受けることは出来なかった。それもまた、その概念がそういうものだったからだ。


「……案内自体は出来ないことは無い。でも、その前にひとつだけ確認させてくれ」

「何?」

「あんたは……魔術士マギ、なんだろ?」


 そう――魔物は魔術士マギを狙う傾向がある。

 男の中で螢惑が一介の魔術師マギであることは明白だった。普通の人間は機械兵を殴って吹き飛ばしたり、燃え上がらせることは出来ない。だが魔術士マギならば可能だろう――男は魔術士マギでは無いから、魔術士マギが一体どのようなことを出来るのかについては全く知見が無い。だが魔術士マギならば可能なのだろう。

 だから螢惑が魔術士マギなのだとしたら、それを迎え入れたコロニーは魔物の襲撃頻度が高まってしまう。つまりそれだけ壊滅のリスクが跳ね上がるのだ。

 それだけのことを、たった今しがたの恩義を返すというだけで抱え込むわけにはいかない――それは、もはやこの世界における常識と言っても過言では無かった。


「……やっぱダメ、かぁ」

「つまり、魔術士マギ、なんだな?」


 男の頭の中では、螢惑はきっと魔術士マギであるゆえにそれまでいたコロニーを追われたのだろうという予測が立っていた。若しくは、魔物の襲撃に遭って生き延びはしたがコロニーは壊滅させられたか。だから新たなコロニーを探しているのだろう、と。

 実際にはそんな事実は無く、螢惑は全く別の目的でコロニーを探しているのだが、お互いの思考のズレがことを易く運べなくしていた。無論、そんなことに当の二人は気付きもしない。


「……さっきも言ったけれど、案内自体は出来ないことも無い。ただ、あんたを引き入れるかどうかは」

「引き入れる? 何のこと? あたしはただあんたらコロニーにお願いがしたいだけなんだけど」


 そこで漸く、二人の思惑のズレが見え始めた。男はぱちくりと目をしばたかせ、螢惑もまた困惑した顔でぽりぽりと頭頂部を人差し指で掻いた。


「だから、……えっ? あんた、新しく住まう場を探しているんじゃないのか?」

「え、違うけど……住まいならもうあるし」

「じゃあ、お願いって?」

「詳しくはコロニーを取り仕切ってる人に話したいんだけど……簡単に言えば、預かってほしい人がいる」

「預かってほしいって……」


 そこから螢惑が語ったのは、紛れも無く夕星のことだった。

 コロニーを守る奮戦のために命を削りに削った彼女を、もう戦場に立たせたくない螢惑は、彼女の身をコロニーで預かって欲しいと考えていたのだ。

 そして彼女の代わりに、今後は自分がコロニーを襲う魔物を引き受けると。

 夕星がコロニーに身を置くことによってコロニーを襲撃する魔物が増えることは百も承知だ。つまりそれは、これまでの一週間よりも多くの時間、魔物との交戦に時間を割かなければならないことになる。

 魔物の襲撃は段取りやタイミングの決まったアトラクションじゃない。もはやそれすらも生き物であるかのような即興演劇インプロビゼーションに近い――交戦の最中に多方で異なる襲撃が発生することもある。


「――それを分かっていながら、お前はそれを望むのか?」


 案内されたコロニーの入口で吉木陸曹は螢惑を睨み付けながら問うた。だがその鋭く重苦しい眼光を意に介さず、力強く螢惑はひとつ頷いた。


「約束する――あんたらに迷惑はかけない」


 その双眸に宿る意思の光に嘘など無い――それを察せられたからこそ、吉木陸曹は歯噛みし、わしゃわしゃと後頭部を掻き毟った。


「……一晩くれ。コロニーの全員と話し合いたい」

「分かった。また明日来ればいい?」

「いや……こちらから使いを寄越す。世は助け合いが優先されるべきだ。お前たちだけに危険な道を歩ませるわけには行かない」


 これには螢惑も目を丸くせざるを得なかった。

 夕星の過去を聞く限りではいい印象を抱けなかったこの吉木陸曹だが、いざ面と向かって話してみると理解できる部分は多分にあった。

 きっとこの男も、自分がリーダーとして預かる幾つもの命に真摯なのだろう――だからこそ、切り捨てなければならないものは冷酷・冷徹に断じるのだ。


泉水イズミ――これを持って一緒に着いて行け」


 泉水と呼ばれたのは螢惑が助け、そして螢惑をこのコロニーにまで案内した男だ。

 彼は吃驚した顔をしたがすぐに吉木陸曹の前に出て、差し出されたデバイスを受け取った。


「それがあれば位置を割り出せる。明日の午後一番に使いの人間がそいつを迎えに行く。もしかしたら、夕星も引き取るかも知れないが」

「ああ、分かった。恩に着るよ」

「まだそうと決まったわけじゃない――どんなにお前が安全を約束しようとも、魔術師マギを引き受けるリスクは全員が知っている。それに、」

「それに?」

「……彼女は、一度俺たちが追放した者だ。俺たちだって悪魔じゃない、罪の意識はある。追放した者を再び受け入れられるか、判らない……」


 ああ、きっとこの人は根っからの正直者なんだろうと――螢惑はそう心の中で呟いて。

 だからこそあの少女を任すのならこの人じゃ無ければという想いに駆られた。


「……んじゃ、待ってるね」

「……達者でな。道中、気を付けろよ。泉水、ちゃんと武装は持って行け」

「はい!」

「あ、大丈夫だと思うけど? ほら、あたしいるし」

「自分で振り払える火の粉まで頼るわけには行かないだろう。一応そいつも、銃の使い方くらいなら訓練を受けてる」

「ふぅん……」

「あ、いやでも、基本的には守ってほしいっすけど……」


 そして事件は、泉水を伴っての帰り道に起こる。

 コロニーはあのスーパーマーケットから離れたところにあった。片道、徒歩で2時間以上は悠にかかる。

 成り行き上、螢惑たちの拠点に招かなければならない泉水はあの研究所に導かなければならない。そうで無ければ明日の使いが螢惑たちのもとを訪れることは無い。

 そのため、螢惑は星幽体アストラルボディを駆使した瞬間移動術を乱発できない。

 機械兵との交戦時、守るために夕星を連れての移動を成したことはあるが、自分以外の他人を連れての移動は体力も精神力をも大きく削られるのだ。


 つまり、泉水を連れての道中、青く澄み渡った空は螢惑の炎術のように燃える茜色に染まる――魔物が動き始める夕方が来たのだ。

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