#3-2 偵察
「貴様、何処へ行く」
赤みがかったレザージャケットを羽織った螢惑の背中に向けてゼファの強い語調が言葉を叩く。
盛大に舌打ちをして振り返った螢惑の顔は恨めしそうに顰めていて、しかしそんな表情を向けられたとしてもこの
「あたしの質問には答えないくせに自分は質問して来るんだもんなぁ……」
「煩い。さっさと答えろ」
「何処って言われてもなぁ……あたし自身、それが何処にあるか判らないからあちこち探し回る感じになるんだけど」
「……ん?」
眉頭をピクピクと蠢かせたゼファはくいと指で眼鏡を持ち上げる。
彼がもしも人間だったのなら、その端整な顔の奥、脳には鈍痛が生まれていた筈だ。
「……何処か判らない所に赴こうとしているのか?」
「一応まぁ、そういうことになるね」
ゼファは嘆息した。落胆では無い、元よりゼファが螢惑に期待する何かなど現時点では存在しない。
だからそれは、愚劣な輩に愚問を寄越した自分自身に対する憐みの息だ。後悔の念だ。
「で? 一体何を探そうとしているんだ?」
「え? 何って……例のコロニーだけど?」
もはや立っていられなかった。ゼファは両の膝を折ってその場にしゃがみ込むと、両手で頭を抱える素振りを見せた。溜めもしないのに息が何度も漏れそうだった。
「まさかとは思うが……」
「いやいやまさか、そりゃあたしだってムカついてるけどさぁ、流石にいきなりカチコミには行かないよ」
「じゃあ何しに行くと言うんだ」
「何って……えっと……何しに行くんだろう?」
ゼファはすんでの所で耐えた。もう少しで、頭を抱えていた両手を両膝とともに地面に着いてしまいそうだった。
しかし耐えた。どうにか耐えた。耐え、しゃがみ込んだ身体を起こし直し、毅然にして憮然とした態度で、そして踵をくるりと返した。
「構わん、勝手にしろ――貴様と話していると“頭痛”という
そのままスタスタと歩き去って行くゼファの背中に舌打ちしながら、後頭部をぼりぼりと掻いた螢惑は「勝手にするよ」と独り言ち、そしてマンホールへと繋がる梯子に手をかけた。
†
「クソぉっ!」
男は逃げていた。
まだ時刻は昼下がり――魔物の一部が漸く動き出す夕暮れにも程遠い。
そんな時間にまさか、野良の機械兵に出くわすとは思ってもいなかったのだ。
コロニーを出る時、仲間の忠告をしっかりと守っていればこのような事態にも対応できた――彼はあろうことか、武装を持たないで出てきてしまっていたのだ。
理由は単純――その方が戦利品を沢山持ち帰れるからだ。
「――ガガ。残存スル人間型生命体ヲ現認。直チニ掃討スル」
追って来る機械兵の数は一体――出くわしたもう一体が何処に行ったのかは知らないが、ごみごみとした住宅地跡で出遭ったのは不幸中の幸いだった。何しろ遮蔽物に富む。機械兵が携える小銃の掃射はうまく壁や瓦礫に身を隠して逃れることが出来たからだ。
しかし段々と追い詰められている気がする――彼の本来の目的地からも随分と離されてしまった。
(どっちに逃げる? 右か……いや、左の方が)
立ち止まって考える暇など無い――何しろ男は武装が無い。衣服も防具と呼べるような大仰なものは身に着けておらず、機動性や携帯性を優先した軽装そのものだ。
機械兵が弾を撒き散らす小銃はコロニーの
そんな相手を前に立ち止まればすぐさま蜂の巣をこさえることになる――だから男は駆け抜けた。そして、建物の角を曲がった路地裏で、待ち構えていた機械兵と鉢合わせる。
「ガガ――誘導完了。掃射スル――」
目を見開いた男は自らの死を悟った。そして恐怖のあまり、両腕で頭を覆うように庇いながらぎゅううと目を瞑った。それは少しでも死に際の痛みを和らげる、或いはその死自体の濃度を下げて命を拾うための咄嗟の行動であり、逆に言えばここでそうするのは彼がそこまで戦闘訓練を受けていない非戦闘要員であることが判った。
だがそうだと判別するよりも先に、螢惑は機械兵の真横まで瞬時に到達すると、拳部を肥大させた
「ガギッ!?」
意味を持たない機械音声を漏らしながら強打を受けた機械兵は亀裂の入った壁に激突し、瓦礫の破片へと変貌した中に埋もれた。
だが螢惑の一撃はそれだけでは無かった。
埋もれた瓦礫の隙間からぶすぶすと黒い煙が上がり、やがてそれは煌々と燃える炎の柱となった。
それはしかし、“幽霊”の状態から戻ったばかりの螢惑には出来ない芸当だった――生物ならば無論その身体の内側には魂=
しかしこの一週間、度々螢惑は魔物だけでなく機械兵とも戦った。その折りに、機械を動かす動力の電気に対して
ふぅ、と息を吐くも警戒を続ける螢惑とは対照的に、いつまでも痛みが訪れないどころか前方で激しい音が弾けたことに両腕の覆いを解いて瞼を開いた。
「大丈夫?」
強い陽射しの下、赤く燃え上がる炎と黒く燻す煙を背に振り返る赤髪の女――いつか映画に見た
「ガガ――」
そこに、男を追っていたもう一体の機械兵が漸く現れる。
独特な機械音声にはっと我に返った男が振り向き恐怖に蒼褪めるよりも速く、螢惑は瞬間移動を終えていた。
「マ」
「黙ってろよ」
鋭い蹴りは重い筈の機械兵の躯体をぶわりと持ち上げ、そしてその躯体はやはり中空で燃え上がる。
彼らの身体は機械兵だけあって金属でできている。人間や魔物に比べ炎熱への耐性は保有しているが、内部構造はそうはいかない――螢惑が施した炎は瞬時のうちに機械兵の内部の
最後の抵抗で機械兵はまだ機械兵であるうちに小銃から弾丸を放ったが、もはや照準を合わせることすら叶わない身で放ったそれは遠い空へと散っていった。
――――がしゃり。
「他には? この二体だけ、ってわけじゃ無いんだろ?」
「いや、え、あ、えっと……」
警戒を解かない螢惑は機械兵よりも殺戮兵器じみた印象だ。しかしその内には肉があり、血が通っている。感情があるのだ。
だからこそ同じ怖いでも、それは恐怖ではなく畏怖に類する。つまり“美しい”と思える怖さなのだ。男は本能でそれを理解し、ごくりと唾を飲んで立ち上がった。
「――俺が遭遇したのは、この二体だけ、でした」
「そうか。でも近くにもっといるかもしれない――何かあったら肩を叩いてもらっていい? ちょっと、お出かけしてくるからさ」
「えっ?」
そうして螢惑は肉体を抜け出して
しかしこの魔術をああも戦闘用に調整した螢惑はその筋の稀代の天才とも言える。もしもこんな終末模様で無かったのなら、螢惑はある程度の地位と名誉とを得ていたと言える。
「――うし。周囲に敵影なし」
「え、あ、……えっ?」
男が戸惑うのも無理は無い――彼にとって、螢惑はただ突っ立って目を瞑っていただけなのだ。それも、ほんの十秒程度。
偵察を終えてにかりと笑む螢惑。その笑顔を美しいと感じる男が、しかしその美しさと戸惑いをとある概念に結び付け目を見開いたのは、その直後だった。
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