#2-3 霊銀

 必要から、夕星はその部屋に何度も足を踏み入れている。

 魔薬ドープは使い捨てであり、そして大量に製造はされていたが当然数には限界がある。

 所持している全てが無くなれば取りに行かなければならず、しかし突如の交戦で手元に無いことを避けるため、夕星は手持ちが半数以下になった時点で取りに来る、という習慣ルーティーンを作っていた。

 太腿に取り付けられる専用のケースは四本の魔薬ドープを携帯できるようになっている。両脚でつまり八本だ。


 魔物との交戦は多い時で日に四度ほども起きる。一度だけ、矢継ぎ早の三連戦という事態に見舞われたことがあったが、その時は立て続けに二本を消費した。

 そうでも無ければ、一度の交戦に一本の投与頻度で済む。それでも毎日のように襲い来る魔物たちの撃退劇は、少女の身体を確実に蝕んでいた。


「……保管をしながら、自動的に製造もするのか」


 設備を眺めながら告げられたゼファの言葉に夕星が頷いた。

 螢惑にとって機械は珍紛漢紛だ。それでも興味自体はあり、触ってみようと手を近付けただけでセンサーにより開くハッチにびくりと身体を震わせ、ゼファに「煩い」と言われる始末である。


「何だよぉ、ちょっと触ってみたくなっただけじゃんかよぉ」

「好奇心は猫を殺す――最も、貴様と一緒くたにされた猫も堪らんだろうがな」

「猫以下だってのかぁ!?」

「以下じゃない、だ」


 夕星がくすくすと小さな笑い声を上げた。見遣った先の表情は何とも愛らしく、そして微笑ましい。

 ゼファの自分への扱いは何とも許し難いが、その遣り取りが少女の笑みを引き出せたのならそれはそれでいいかと螢惑は心の中で独り言ち、振り上げそうになった拳を解いて下ろした。


 一方のゼファは未だに立ち並ぶ機材や装置をじろじろと眺めているばかり。だがしかし、数秒ほどそれを続けた彼は唐突に組んだ腕を解くと、「解析完了」と告げる。


「え、何?」

「貴様には判らん――姫、今しがた霊銀ミスリル通信を用いての機器の解析が完了した。全ての機内に電子マニュアルが備わっているわけでは無かったが、この程度の絡繰りならば問題は無い。直ぐに現存の魔薬の改良を開始する」

「う、うん……」


 圧倒される夕星。ただ立って眺めているだけだと思っていたが、よく解らないが機器全体を調べていたようだ。しかしどうやって――それを言及したのは螢惑であり、ゼファは嘆息しながら鋭く突き放すような言葉で会話のをまたも始める。


「貴様も魔術士の端くれだろう、今しがた余がどうやってこれらの機器を解析したか、まさか判らんとでも宣うか?」

「そのまさかだよ人造人間」

「何と……嘆かわしいにも程がある。今この世界の何処かで“全世界対向嘆かわしい選手権大会”なる催しが始まったら躊躇せずにエントリーするがいい」

「何だよその大会、あるわけ無いだろ」

「それは僥倖だったな。つまらぬ恥を掻かなくて済んだことを運命とやらに感謝するがいい」


 売り言葉に買い言葉。だがその遣り取りはやはり夕星には可笑しいらしく、またもくすくすと小さな笑い声が奏でられた。

 ゼファのことはムカつくが、夕星がそんな風に感じてくれるならば悪くは無い――螢惑は鼻頭をぽりぽりと掻き、静かにゼファの左下腿を右足の爪先でげしりと蹴った。勿論ゼファはぐるりと振り向き、じろりと凄まじく鋭い睨みを利かせる。が、螢惑はそれを敢えて見なかった。


「……さて、姫には説明をしておかなければならないな。常人には霊銀ミスリルの輝きなど視認できるものでは無いからな」


 告げ、ゼファは語った。

 先程ただ佇んでいたように見えたゼファだったが、その実、躯体の内側に備わる人造霊脊スピナルコードを円転させて予め備えられた解析用の機能アプリケーションを起動させていたのだ。

 それは所謂“魔術士” マギ たちが用いる接続魔術アクセサリィを応用したものであり、霊銀ミスリルいとを紡いで対象に伸ばし、接続した傍から霊銀ミスリルを投入して中身を隅々まで調べ上げる、というものだ。取り分けこの世界は電子機器に満ちている。故にゼフィールは寄贈されたその時から霊銀ミスリルを電子変換してその信号を操作する機能アプリケーションも備えられていた。


「姫、因みに霊銀ミスリルは知っているか?」


 問われた夕星は照れたように笑いながら首を横に傾げる。ゼファはその様子にたおやかな笑みを向けたが、螢惑には侮蔑の表情に見え、それ故ぎろりとした睨みにぐわりとした睨みを返す。


「ふん――貴様が知らぬわけはあるまい」

「当たり前だろ、霊銀ミスリルって言ったら……あー、えーっと……」


 眉根を寄せて顔を顰めるゼファ。

 螢惑は知らないわけでは無い。ただ幽星体アストラルボディでいた期間が長かったために発生した記憶障害がそこにも及んでいただけなのだ。

 あからさまに呆れを溜息で表現したゼファはまたも語り出す。


 霊銀ミスリルとは万物にとっての必須元素であり、そして魔術の媒介となる唯一の物質だ。

 この世界の科学では暗黒物質ダークマターであると論じられていたが、最近になって漸くその存在を現認することが出来た。

 長らく金属元素であろうと予測されていた霊銀ミスリルだが、観測した結果それは素粒子の一つであることが判っている。意思の力、宇宙を構成する四つの力――重力、電磁力、強い力、弱い力――に追加された五番目の力を伝える物質なのだ。


 故にこの世界では霊銀ミスリル“フィフソン”Fifthonばれている。そのまま“五番目の素粒子”という意味だ。


 この世に存在する自我を持つあらゆる存在は、身体の内側に霊銀ミスリルを以てしか観測出来ない霊的な器官を持つ。それが“霊基配列”だ。

 霊基配列という名称自体は塩基配列から来ているが、その存在の霊的な要素を決定する記号で構成されている。

 遺伝情報のように二つの記号が対となって一節の霊基を成し、人間であればそれが二十三節存在する。つまり四十六の霊基が人間には備わっている。


 そして幼い頃から訓練を施された魔術士マギは、自らの体内に循環する霊銀ミスリルを操作することが出来、またこの霊基配列を一時的に組み換えることが出来る。

 組み換えた霊基配列は即ち魔術式となってそこを通過する霊銀ミスリルに意味を持たせる。そして体外に排出された意味持つ霊銀ミスリルは、外気に満ちる霊銀ミスリルと共鳴して指定した座標に特定の現象を引き起こす――それが魔術だ。


 だがこの世界の霊銀ミスリルはかつて他の世界に比べて霊銀ミスリルの含有量に大きく劣っていた。“”を通り越して殆ど“”だ。

 だからこの世界の民の霊基配列は殆ど退化していたも同然だった。無くなったわけでは無いが、生命活動に支障を及ぼさない程度に委縮してしまっていたのだ。


 そんなこの世界の民を一時的な魔術士マギへと作り変えるのが魔薬ドープであり、そして魔薬ドープを用いて魔術士マギとなることの出来るように調整された人間こそ受憎者ドニィなのだ――――そこまでを語り終えたゼファは、自らの耳型集音機構が安らかな寝息を傍受キャッチしたことで機械を操作する手を止めて音の出所へと顔を向けた。


「ん? ああ、眠ったよ。あんたの説明が退屈だったんじゃない?」


 そこには地面に座り込んだ螢惑が、自らの腿を枕にして夕星を寝かしつけている姿があった。

 だが決してゼファは落胆などしない――寧ろ、うんうんと納得ありげに頷きを繰り返す。


「余の声音が姫の安眠を引き出したと言うなら寧ろ本望だ」

「あんたドSなのかドMなのかどっちなんだよ」


 だがやはり、ゼファには螢惑の質問に答える気などさらさら無かった。

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