#1-5 撃破
「ケーコクッ!」
夕星が声を上げた。
振り下ろされた四角い刀身が迫る――死線を潜る時、人は生存の糸口を探すために脳を高速回転させる。
この時の螢惑もそうだった。一秒を十秒にも一分にも引き延ばし、高速を超えた速度で円転する思考は海馬に封印された記憶を紐解こうと躍起になる。
そして。
「ケーコク?」
螢惑は何も出来無かった。少なくとも魔物の目にはそうとしか映らなかった。
だが、それにも関わらず鉈の刃は地面をしか削らなかった。螢惑の審美的な肢体を断てはしなかったのだ。
そして螢惑の身体は、ナタ型が鉈の右腕を振り下ろす直前よりも半歩分右側にズレていた。
螢惑自身、自分が今しがた何をしたのか定かでは無い――ただ、確信めいた予感があった。
ナタ型が掴み掛ろうと無手の左手を突き伸ばす。それもまた、身体が覚えている謎の転身術で空を切らせた。
半歩分遠退いた螢惑は、ただ身体が覚えているままに手を伸ばす。突き出されたナタ型の左腕をはしりと掴み上げ、すると仄かに蒼白く発光する粒子が掴んだ掌に生まれ、彼女の髪色のように緋色へと変じながら掴み上げた左腕に吸い込まれた。
その瞬間、ナタ型の左腕は大きく燃え上がったのだ。
「――――ッ!?」
「ッ!? ッッッ!!」
これから跳び込もうと身を撓めていた周囲の魔物たちも驚愕し身を起こして文字にならない号声を上げた。
波濤しナタ型を包む紅蓮の炎は瞼の裏に映ったあのフラッシュバックと合致している。
(ああ、そうか……そうだった)
螢惑はまたも思い出し、謎の転身術と謎の炎術との使い方を取り戻した。
呼び戻した記憶のままに全身に意識を循環させた螢惑の身体から、あの炎のように緋色に透き通った螢惑自身がふわりと飛び出る。
それはまるで、夕星と出遭うそれまでの螢惑だ。彼女が自分のことを“幽霊”だと思い込んでいた頃の螢惑自身の様相だ。
それが瞬間的に遠退き、次いで螢惑の本体自身が幽体を追い掛けるように位置がズレる。
その転身術で以て再三の攻撃を凌いだ螢惑は、今度は自身の幽体を鎚部を振り被るキネ型の魔物に投射した。
キラキラと火の粉のように散る光の粒子――幽体を取り込んでしまったキネ型の魔物は先程のナタ型と同じように激しく燃え上がった。やはりその身を焦がすのは緋色の業火だった。
「っ、はぁっ、はぁっ――――」
幽体――それは幽霊の身体、では無く、それを
意識と精神の詰まったその幽星体は通常の人間には操作することは出来ないが、魔術士として特別な訓練を受けた者なら可能だ。
本来は身体に紐づけられるその座標も、可逆的に移動した幽星体の座標に合致するように身体を瞬時に引き寄せることも出来れば、他者の幽星体と無理矢理結合させて拒絶反応による熱暴走を引き起こすことも出来る。ただし術士自身が炎に対する抵抗力を有している必要はあるが。
つまり――謎の転身術は、自らの幽星体を投射してそれに本体を引き寄せることによる
緋色の炎による焼殺は、自身の幽星体を投射しそれを取り込んだ対象の拒絶反応を利用した熱暴走であり。
言ってしまえばそれは、
だがそれだけでは無い――幽星体の輪郭を歪め、脚を太くするように意識すれば脚力が向上する。肉弾戦で殴りつける際には腕と拳を肥大させるのだ。
実際の肉体――本体の形状が変わるわけでは無いが、幽星体を弄ることで身体能力をある程度調整することが出来ることも思い出した螢惑は群がろうとする魔物たちを脅威の体捌きで圧倒する。
夕星は大外から持ち上げた瓦礫を投擲して援護射撃を試みるが、戦闘に関する記憶の殆どを取り戻した螢惑にはもうそんなものは必要無いとも思えた。
身体能力強化と転身を併用した螢惑の動きは
大きく跳躍したキネ型を軽く跳び越した螢惑は渾身の蹴りで叩き落とし、その際に潜り込ませた幽星体の一部が激しくその身を炎上させる。
また動きが緩慢なヨキ型に対しては大振りに薙ぎ払われた斧刃を掻い潜って接近すると、両手を圧し付けるようにして炎撃を繰り出した。
五体の侵攻を無傷に終えた螢惑は激しい眩暈と脱力、嘔吐感に苛まれたが、しかし身体を休めようとはしない――新たな敵の存在を確認したからだ。
だが彼女を案じた夕星は隣に駆け寄ると、端的に休むよう告げ、そして小さな身体で新たに現れた一団に特攻を開始する。
追い縋ろうとした螢惑はぐらりと身を崩してその場に膝を着く――どれくらい幽星体のままでいたかも定かでは無いが、つまりはそれだけ久し振りの交戦だったと言うことだろう。
それに対して夕星は毎日のように戦い、
魔薬の効力はそれ程長くは持続しないが、だが今日の日の防戦は二本目を使う程では無かった。
「――――っ、」
鼻孔から赤黒い血を垂れ流す夕星に追いついた螢惑は、改めて少女の戦績を眺める。
螢惑は先に現れた五体のうち四体を屠ったが、夕星はその倍以上を屠り去った。
ヨキ型二体、ナタ型五体、キネ型四体――頭部を潰され、また胴体を握り潰された個体もいる。撃破した魔物のどれもが、悲惨な形状となって命を失っていた。
「っ、――――っ」
荒く息をする夕星の身がぐらりと傾げる。
それを慌てて抱き留めた螢惑は、ぎゅっと抱き締めたままその頭を丁寧に、また優しく柔らかく撫でつけた。
「――すんっ」
夕星は泣いていた。
少女はずっと一人で戦って来たのだ。だが今日、漸く仲間を得ることが出来た。ただただそれが嬉しくて泣いてしまったのだ。けれど螢惑にその涙の意味は判らない。だから螢惑は夕星が落ち着き泣き止むまでその矮躯を抱き締め続け、小さなその頭を撫で続けた。
本当ならば、螢惑にとってそれは至福の時間の筈だった。何せ一目惚れをした尻の持ち主をこうやって抱き締められ、剰えその頭を撫でられているのだ。大した手入れもされていないだろうにも関わらず、
だが到底そんな気持ちにはなれなかった。当然だ、当の相手はよく判らないが泣いているのだ。
螢惑にしてみれば、こんな小さな女の子があんなわけの解らない薬液を自身に投与して戦っているのだ。不安にもなるだろうし、怖くて堪らないだろう――そう認識するのが当然。
だから螢惑は小さく「大丈夫、大丈夫」と繰り返し、母が幼子を寝かしつけるようにただただ抱き締めただただ撫で続ける。そしてその行為こそ、夕星が欲しかったもののひとつだ。
身を許せる安堵。
いつしか啜り上げる音がしなくなったと思ったら、螢惑の腕の中で夕星は本当に眠ってしまっていた。
首筋から伸びる葉脈のような痣も無くなり、ただの幼い子供のようだ。
螢惑は少女を起こさないよう優しくその身体を抱え上げる。当然、お姫様抱っこだ。
夕星の身体はその
抱え上げた矮躯、決して落とさないように慎重に元居た部屋へと運び込む。
だが螢惑は研究所にいたことは思い出せても、その構造までは熟知していない――それが思い出せないだけなのか、そこまで深く知らないかも判らない。
だから「ここだったと思う」「多分ここだろう」の連発で選択肢を誤り続け、地下の奥深く、全く見知らぬ区画、その空間へと辿り着いてしまった。
そしてそこで、二人は出遭うことになる。
この物語の、もう一人の主人公に――――。
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ド # 1
ド
ド
ド
できそこないのドニィ
2B-CONTINUED.
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