君の口癖を、今も覚えてる。

きょうじゅ

君を好きだった気持ちを忘れてしまっても

「いいんです。だってあたし、地味な女だから」


 それが、あいつの口癖だった。あいつ。黒野紙魚子くろのしみこ。俺の、高校二年生の秋から、同じ年のクリスマス直前までの間の彼女。通算何人目の彼女だったのかは、当時の時点でも既に不明だった。あいつのあと、何人を間に挟んで今の妻がいるのかも、把握できていない。ただ、高校二年の秋から、同じ年のクリスマス直前までの間。確かに、あいつは俺とともにいた。


白堊はくあ君。白堊征士せいじ君。あたし、あなたのことが好きです。付き合ってもらえませんか」

「んー? まあ、いいけど。前の彼女とは二週間前に別れたし」

「へへ。知ってました。だから今、告白したんです」

「じゃ、さっそくヤる?」

「え……えー!?」

「なんだ。そういうつもりで体育館の倉庫なんかに呼び出したのかと思ったけど」

「そ、そんなんじゃないです。そんなつもりじゃなかったです。……でも、白堊君が望むなら、あたしは嫌ではないです。ただ、その」

「ゴム? それくらいはあるよ」

「よ、よかったです」


 どっちかといえばあんまり使いたくはないのだが、さすがにそれくらいの最低限のマナーは、今にして振り返れば完全にヤリチンクズでしかなかったあの当時の俺でも弁えていた。


「あ、あたし初めてなんで。あんまり、上手にとかはできないですけど」

「そっか。まあ別にいいよ。ヤラせてくれれば」


 その程度のことは慣れていた。初めての女の相手をするのも、上手ではない女の相手をするのも。別に格別嬉しくもないが、かといってそれを面倒くさいとは思わない程度には、当時の俺は旺盛だった。


「や、優しくしてくれると嬉しいです」

「……まあ、善処はする」


 嘘だった。俺は勝手に動き、乱暴に抱いた。ゴムだけはちゃんと使ったが、それ以外は好き放題だった。その一回だけ紙魚子は涙を見せたが、それは痛みに耐えてそうなったというだけで、俺と関係を持つことに苦痛を感じていたわけではないようだった。


 デートらしいデートをした記憶は一回もない。それどころか、ちゃんとラブホテルに連れてってやった記憶すらない。適当な場所を使った。屋上とか、また体育倉庫とか。それでも別に文句は言われなかった。


「いいんです。だってあたし、地味な女だから。白堊君に愛してもらえるだけで、それで胸がいっぱいなんです」

「……そうか。……なあ、今日はもう一回するぞ」

「えっ、あっ、はい。じゃあゴム……あれっ。もうないかも」

「そっか。じゃあ仕方ないか」

「あ……多分、今日は安全な日です。だから一回だけ……なら」

「……ん」


 別に女の中に放つのがその時初めてだったというわけではないんだが。それでも、そのときのその瞬間の感じがひどく「良かった」ということを、俺は今でも覚えている。


 そして、クリスマスの数日前。


「あ、あのっ! 白堊先輩っ! あたしと、お付き合いしてもらえないでしょうかっ!」

「……君は?」

「1年B組、名前は――――です!」


 その名前も覚えてない女は、この事実だけは覚えているが、過去に付き合った女たちと比べてもそのすべて(もちろん紙魚子も含めたすべて)を凌駕するほど、胸が大きかった。


「……まあ、いいか。じゃ、クリスマス。どっか遊びにいこっか」

「はいっ! 嬉しいですっ!」


 俺はメール一本で紙魚子に別れを告げ、クリスマスはその巨乳女を抱き、何ヶ月だか忘れたがそんなに長くない期間でそいつとは別れてしまったので、紙魚子にまた連絡を取った。学校では見かけなかったので。


 そうしたら、こういう返事が来た。


「妊娠してたんで、学校辞めました。あ、大丈夫です。白堊君の子じゃないですから」


 そのとき俺が感じた衝撃がどれほどのものだったかは、ちょっと今でも他の言葉には代えがたい。そのとき、初めて気付いた。俺、あいつのことが好きだった。一回もデートらしいデートもなにもしなかったことを、ひどく後悔した。


 卒業する頃、学校宛てで、写真付きのハガキが届いた。ハガキ、だ。郵便の。その頃でももう十分に珍しいものになっていた。


「ごめんなさい 嘘をつきました あなたの子です 女の子でした でも、一人で育てていきます 川村紙魚子より」


 俺は、いちど安堵し、そしてもういっぺん地獄に叩き落された。姓が変わっているということの意味は、つまりそういうことだろう。そう思った。


 さらに四年後、大学を卒業するころに高校の同窓会が開かれ、紙魚子と唯一、少しだけ接点のあったクラスメイトの別の女から、俺はこう聞かされた。


「紙魚子なんだけどさ。シングルマザーやってんだって。高校やめたあと両親が離婚して大変だったらしいんだけど、子供は女の子で、今は――」


 してやられた。俺は、そう思った。だが、どこかで安堵している自分がいることが、また情けなかった。


 さすがに、今となってはもう、高校のころ君を好きだった自分の気持ちをもう、覚えてはいない。だけど、今でも耳に残っているんだ。自分は地味だからと、自嘲するように言う君の声が。

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君の口癖を、今も覚えてる。 きょうじゅ @Fake_Proffesor

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