Part.49『入院生活』
結論から言うと、私の入院期間は三ヶ月にも及んだ。
骨折のあった箇所は、腰骨。左の足首。右足の
人間の骨は筋肉に覆われている場所が多いけど、下腿の前側には筋肉がないため、皮膚の下に直接骨がある。私の場合は、内側にある
そのため出血が極めて酷く、病院に搬送されてただちに、手術が行われたのだという。
まるで
右足には、手術によりボルトとプレートが埋め込まれた。
齢十六にして傷物となった体。そんな極限の状況でも、五体満足でいられたことに小さく安堵してしまう。無論、多少思うところもあったけれど、先輩の命と明日香ちゃんの心を護った代償と考えれば、きっと、安いものだろう。
両足と頭部、腰の右側以外に大きな外傷が無かったので点滴は数日で外され、更に数日が経過すると、上半身を起こせる程度まで回復する。けれども、特に右足の回復には時間が掛かると言われていた通り、車椅子で出歩けるようになるまでは、一ヶ月ほどの時間を要した。
入院生活の後半にもなると、松葉杖で歩き回ることが可能になる。リハビリテーションの為に病室を出たり、退院間際の一週間は、買い物の為に一階のロビー付近まで出歩くことも度々あった。
とは言ったものの、夏休み期間中の全てを病院のベッドの上で過ごしていたのだから、不満が無いといえば嘘になるんだけど。
不幸中の幸いだったのは、裂傷のあった部位から骨に細菌の感染が無かったこと。万が一、傷口から入った雑菌で化膿した場合、治療はもっと難しくなっていたんだぞ、と医者に何度も脅されていた。
──無事だったんだからさ、脅さなくたっていいじゃん。
私の目が覚めた数日後から、入れ替わり立ち替わり、は大袈裟かもしれないが、実に色んな人がお見舞いに来てくれた。
明日香ちゃんと先輩を除けば、一番最初に病室の扉を叩いたのは、佐藤部長と亜矢ちゃんの兄妹だった。
文化祭の準備状況について部長に尋ねてみると、詩と小説を掲載する部誌の方は、明日香ちゃんの原稿が上がってから直ぐ製本作業に入れた為、なんの心配も要らないよ、と説明された。
問題があるとすれば、最終執筆者である今泉先輩が入院しているリレー小説の方だろうか。
「なあに、そちらも心配ない」と部長が強く宣言した。「夢乃君の、全面的なサポートがあるから間に合うだろうさ」
先輩の病室にノートパソコンを持ち込み、彼の発言した内容を逐一彼女が入力することで、最後の追い込み作業を行っているらしい。
部長の言葉を聞いて、私はほっと胸を撫で下ろした。
事件の加害者と直接的な被害者である二人の関係に、修復不可能な溝が刻まれてしまうことを、何よりも恐れていたから。
「先輩の好みが赤ぶちなのであれば、そこには拘るべきだよね? あ、でも……このチャンスにイメージチェンジを図るのも、悪くない系?」
一方で妹の亜矢ちゃんは、どこから調達してきたのか眼鏡のカタログを私に預けると、壊れてしまった眼鏡の買い替えについて熱弁を振るった。
「チャンスって、ちょっと違うんじゃない?」
呆れたように突っ込むと、
「え、チャンスでしょ? 勝負眼鏡を準備するチャンスでしょう?」
と彼女は真顔で言った。無駄にエロい感じにしないで頂きたい。
「いいんだよ。私は赤ぶちに拘っているんだから」
だって先輩、赤ぶちが可愛いって言ってくれたし……。こんな事を言うと亜矢ちゃんは茶化すに決まってるから、死んでも言わないけど。なんて、つらつらと考えながら気がついた。
「ねえ。さっきから、眼鏡の心配しかしてないじゃない」
バレたか、と言って彼女はニヤリと舌を出した。
「もう、酷い。本人の心配をしてよ」
膨れ面で苦々しく笑いながら、心中で思う。でも──
いつも分け隔てなく接してくれてありがとね。
亜矢ちゃん。ついでに部長。
二番目にやって来たのは、未来さんだった。
彼女はお見舞いに買って来てくれた生花を、備え付けの花瓶に移し替えながら私に言った。
「一応、部長の顔を立てないといけないと思ったから、二番目に来たわ」
ところが直ぐ不安そうな顔に変わると、「あら、本当に二番目かしら?」と言い直した。「はい、ちゃんと二番目ですよ」と私が答えると、「良かった」と胸を撫で下ろしていた。
彼女なりに色々と気を揉んで、その中でなるべく急いで来てくれたんだと察すると、瞼の奥がじんわりと暖かくなった。
「それにしても」と彼女はなんとも形容し難い表情で笑った。「無茶しすぎよ加護さん。これじゃ益々、私の立ち入る隙が無いじゃない。既に周回遅れだわ」
「はい、すいません。なんか心配までお掛けして」
布団の中に顔を半分埋めて答えると、「でも、ありがとう。京を護ってくれて」と私の頭に手を置いて撫でてくれた。あやされてるみたいで、なんだか凄く恥ずかしいです。
「加護さんが入院して、夢乃さんも休んでいる間、それはそれは……大変だったんだから」
文芸部のメンバーが二人入院。明日香ちゃんまで学校を休むと文芸部に顔を出すのは彼女と部長だけになってしまう。二人きりは流石に気まずかった、と神妙な面持ちで未来さんが言う。
「部長もよほど話題に困ったのか、次の部長をお願いされちゃったわよ」
なんて苦笑交じりに言うもんだから、私も上手く言葉を返せなかった。でも。
「未来さんにだったら、私はついていきますよ」
「ふふ、ありがと」
十分ほど雑談をして、じゃあそろそろ帰るわね、と腰を上げた未来さんだったが、本気とも冗談ともつかない顔で、最後にこんな言葉を残した。
「加護さんが油断していたら、いつでも京のことを略奪するつもりだから、覚悟しておきなさい」
「はい。気をつけます」
「ダメよ。油断してくれなくちゃ」
いよいよ、苦笑いを浮かべる他なかった。
三番目にやって来たのは、三田芳香さんと
そう、
病室の扉をノックする音が控えめに聞こえ「開いてますよ」と声を掛けると、梓さんに背中を押されて芳香さんが現れた。
梓さんに見守られながら、しゅんと項垂れて入ってきた芳香さんだったが、私のベッドまであと数歩の所で何かに怯えるように足を止めた。
罪の意識に苛まれているのは明白だった。
「あの……」
不安が滲み出ているその声と、沈鬱な表情は芳香さんに似つかわしくない。だから、こちらから声を被せた。
「顔、上げてください」
「加護さん……」
「そんなに気にしないで。彼らに騙されてたのは芳香さんも一緒なんだから」
「ゴメン……ね。私に騙されて酷い目にあったばかりなのに、今度は事故にまで遭ったと聞いて、なんだか驚いちゃって」
「うん。でも、平気、平気」
私が拳を握って笑顔をみせると、ここまで傍観してた梓さんの茶化す声が差し込まれる。
「愛する人を護った名誉の負傷だもんね。そりゃ塞ぎ込んだり、弱ってる暇なんてないよね?」
「恥ずかしいです……やめてくださいよ」
引っ張り上げた布団で顔を隠し、抗議の意思を示してみる。
「でも、私が退院してからでもいいんですが、今度、姉の優香さんに会いたいです」
ん~……と暫し唸った後に、「分かった、姉さんに伝えておくよ」と芳香さんが答えた。
「良かった。ちゃんとお姉さん居るんだね。居るとは聞かされてたけど実際に会ったことないからさ、未だに半信半疑というか」
揶揄うように私が言うと、「そりゃ酷い」と梓さんが笑顔になって、芳香さんの肩の力もようやく抜けた。
和也さんのグループに
彼女のした事は無論悪いこと。でも、人の心がどうして曲がるのか、どんな風に曲がるのか、身をもって体験した彼女なら、この先絶対に強くなれると私は思う。
「それはさておき、不思議な力を持ってる加護さんでも、自分の危機はわからないもんなんだね」
と梓さんが意味ありげな顔をした。
「私の危機、なのかなあ。自分でやった事だしなあ。でも、不便な能力なのは確かだね。だって、自分の寿命は見えないんだもん」
彼女らには無関係な話なので、この時は胸の内に秘めておいたが、実の所、私の能力には
何故このタイミングだったのかは、今でも分からない。けど、先輩の寿命が本来の年数に戻ったのを見届けた後なのだし、比較的どうでもいいかな、と私は思う。
帰りがけに梓さんが、「人を想う気持ちって、大切だなあってあらためて感じたよ。彼のこと、大切にしてやりな」としたり顔で言った。そして最後に、「あたしも、彼氏が欲しいな~」と天井に向かって叫びを放った。
最後にやって来たのは五十嵐店長だ。
見舞いの花を片手に病室の扉を開け放った彼は、声高らかにこう宣言した。
「咲夜ちゃん。僕と結婚して下さい」
「最悪です」と私は顔をしかめた。「こんな時に冗談なんてやめてください」
「何故、冗談だと分かったし?」と真剣な顔で瞳を
「笑うと傷口に響くんです」
本当に冗談ではなかった。上がりかけた口角を歪めて、腰の辺りを押さえた。
「そいつは、申し訳ありませんでした」
似合いもしない敬語で呟き、普段から猫背気味の背中を更に丸める店長。そそくさと、持ってきた花を花瓶に生ける。
そもそも彼は、私が本気で信じるとでも思っていたんだろうか? 相変わらずですね、と迂闊にも笑いそうになって、もう一度腰骨を押さえた。
「まあ。京の所に来たついでに顔をだしたんだがな」
照れくさそうな声で彼が言う。
本日の出で立ちは、清潔そうな白いワイシャツにネクタイ。ボトムは紺色のスーツという小奇麗なもの。控えめな言葉とは裏腹に、見舞いの菓子折りまで持参していた。見た目と違って恥ずかしがり屋の店長らしい。
愛の力は偉大だな、なんて、意味不明な台詞を吐きながら椅子に座ると、視線をじっと私の顔に留めた。
「京の奴に言っておいたぞ。お前、お嬢ちゃんに命を救われたんだから、一生を掛けてあの子の面倒見てやりなってね」
「いくらなんでも私達には早すぎますよ」
と何の気なしに呟いた後で、告げられた言葉の意味と重大さに遅れて気が付く。
「……待って下さい。そんなこと、本当に言ったんですか!?」
「もちろん。君の言いたい台詞を代弁しておいたつもりだが?」
「完全に、余計なお世話です……」
先輩はお人好しなんだから、真に受けるに決まってるじゃないですか。嘆息して天井を仰ぐと、「迷惑だったか?」と店長が再び真顔になった。
「いえ、特には」
「まんざらでもない、って顔に書いてあるぞ?」
「揶揄わないでくださいよ」
まあ、嫌ではないんですけど。
その後は、男の胃袋を掴む料理のレシピ百選、とやらを延々指南された。店長が料理好き、というのも初耳だった。
「自慢の料理の腕で、彼女さんを捕まえたらいいじゃないですか?」といい加減に突っ込むと、「それができたら苦労等しない」と言って、彼は咽び泣いた。
それにしても、と私は思う。
こんなにたくさんの人がお見舞いに来てくれるなんて、昔の私じゃ考えられなかったなあ。
傷口も大分癒え、夏休みも残すところ数日となったある日。
午後の陽気に誘われ、小説を読みながら微睡んでいると、コンコン、と入り口の扉をノックする音が聞こえた。耳に掛かった髪をかき上げ、少し長くなった前髪を整えつつ「どうぞ」と声を掛ける。病室の扉の陰から姿を現したのは、今泉先輩だった。
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