Part.37『覚悟』

「正しく言えば、君が持っている能力、かな。街角で君を偶然見かけたあの日から、俺は並々ならぬ興味、感心を君に抱いていた。たが、なかなか情報を掴む事ができなくて歯噛みしていたんだよ。ところがだ。驚いたことに、君の方から接触を図ってきた。この話を芳香から聞いた瞬間に、計画を本格的に君の確保にシフトさせようと決心したんだ」


 つまり、誘拐する対象を三田姉妹から私に変更した──と、そういう話なんですね。足元からじわじわと這い上がり、全身を蝕み始めた恐怖に、けれど、必死に抗い思考を巡らせる。……ならば、ここまで感じてきた違和感の大半が腑に落ちますね。


「ですが、一つだけ納得できない事があります。私の能力は、ただ、人の寿命が見えるだけ。なんの価値もありませんよ?」

「あるんだなあ、これが」


 私の言葉を遮るように、和也さんが声高らかに宣言する。ゆっくりとテーブルの上に手をつき身を乗り出してくると、私の顎に指を二本添えた。なんて、醜悪な顔……眼前に迫った厭らしい光を湛える瞳に、湧き上がる嫌悪感を必死に堪える。


「もっとも、俺が欲しているのは、君の寿命が見える能力ではない。俺達が持っている、もう一方の能力だ」

「もう一方の、能力?」


 寿命が見える以外に、何かがあるというの? まるで、狐につままれたような気分。


「まったく気づいていないようだな? 寿命が見える能力者に備わっているもう一つの力。それは、他人の記憶を盗み見る力だ」


 なにそれ? 身に覚えのない話だ、と頭の中が困惑で満たされていく。


「記憶を見る方法はいたって単純。対象の寿命に指で触れ、見たい記憶の詳細を強く念じること。それだけ」

「え? ……ああ!!」

「なんだ? 心当たりがあるのか? ならば話は早い。十分な情報を記憶の中から引き出したければ、肌が触れ合う程に密着した上で、時間を掛けて丹念に寿命に触れ続ける必要がある。しかもこの能力は、同じ人物に一度切りしか使えない。故に」

 と彼の表情が醜く歪む。

「能力を完全に使いこなす為には、相手に接近し易い女の方が都合がいい。特に若くて容姿端麗な女とくれば、それこそ引く手数多だ。法外な値段で買い取ってくれる組織──無論、CIAや警察なんかとは逆側の後ろめたい組織だが──が幾らでも見つかるだろう」


 知らなかった。そんな秘密があったなんて。

 先輩と初めて抱き合った、あの日の記憶が蘇る。先輩の寿命に触れた時、無意識の内に私は能力を使ったのだろう。つまりあれは、先輩が見ていた映像記憶であると同時に、私が望んで見た記憶。


「他人の寿命が見えるということと、他人の人生が見えるということ。この二つは同義なのかもしれないな、と俺は考えている」

 そして、と彼は更に続ける。

「俺達の本業は、むしろ人身売買なんだよ。君を売り捌くルートも相手も、直ぐに確保できるだろう」


 つまり、私を売り飛ばせば、身代金より遥かに多額の金銭が手に入るということだ。この瞬間パズルのピースが全部嵌って、和也さんの計画の全貌が見えた。そうか、だからギリギリまで彼は芳香さんを利用し続けた。私達が信用するよう、優香さんに変装させた。ストーカー被害が深刻であると思わせるため誇張した表現で伝え、私達の方から首を突っ込ませた。全てはこの日の為、私を誘い出す為に。

 本当に、飛んで火に入る夏の虫じゃないですか。惨めな自分の姿に、思わず乾笑かんしょうした。

 

ようやく全てが繋がりました。先輩を人質にしたのも、私が大人しく従うように、なんですね?」

「察しのいい女は好みだ」と和也さんが口元を歪めると、マスターの男性は先輩の首筋にナイフを押し当てた。「そういうことだ」


 余計な事は考えるなよ、という彼らの意思表示。


「もう一つ、いい事を教えてやろう」


 おもむろに、私の顎を擦っていた和也さんの指先が離れる。


「俺達が持っている、寿命が見える能力は、思春期の終わりと同時に損なわれてしまうという考察がある」


 暫し虚空を彷徨っていた彼の指先が、突然私の唇に押し当てられる。困惑する私を尻目に、太い指を歯の隙間からグッと押し込まれた。湧き上がる嫌悪から顔を背けた。


「もっとも、近年発見された新種の超能力であるが故、サンプル数が不足してして信憑性はアレだがな」


 新種の超能力──か。それも初耳だった。自分の忌まわしい能力について調べてみようと考えたことは一度たりともないし、興味、感心もなかった。


「だから」


 唾液を絡めとった指が口の中から抜かれ、胸元のリボンを軽く弄る。リボンを解放すると、重力に引かれるが如く和也さんの指はブラウスの上を艶かしく滑った。

 先輩の呻き声が聞こえてくる。

「うるせーぞ、小僧」

 マスターの怒声が飛んだ。

「自分の身体を売り込んで金を稼ぐなら、今がチャンスなんだぞ?」


 結論を出すように、和也さんが言った。

 彼の指先はなおも滑り、双丘の頂きはもう目前だ。触られる……と覚悟して目を閉じると、私の反応を楽しむように、彼は手を離して元の位置に座り直した。


「俺はもう間もなく、賞味期限切れで能力を失うだろう。だから、今更買い手などつかない。が、君は違う。それこそ、寿命を見る能力が失われてなお、欲望の捌け口として買い取る輩が幾らでも見つかるだろう」

 足を組み、不遜な態度で問い掛けてくる。

「愛しの先輩を助けたければ、俺と手を組むことだ。心配するな、さっきの話はものの例えであり悪いようにはせん。君を、金を稼げる女に変えてやろう。さあ、どうする?」


 向けられた男二人のめ回すような視線。和也さんが言わんとしている事が分からぬ程、私だって鈍感でも無垢でもない。額面どおりの、仕事を手伝えという意味ではないだろう。二人の男に代わる代わる凌辱される未来が脳裏を過ぎる。

 ダメだ……逃れられるはず等ない。私の心中を絶望が支配していく。自分でも驚くほど、呼吸が浅くなっているのを自覚した。

 縋るように、先輩の方に目を向けた。


 ねえ……先輩。

 私の姿、堂々として見えますか?

 でも本音を言うと、心臓が口から飛び出しそうな程に怖いんです。さっきから足元がぐらつく感覚が治まらないし、歯の根が合わない程に震えてます。

 今日ね、分かったんですよ。私は先輩のことが好きで、好きで、堪らないから。先輩が居なくなった世界なんて、有り得ないってことが。

 だから、あなたを救うためなら──私はなんだってできるよ。


 そっと先輩の寿命に目を向けてみたけれど、未だ一年のままで変化はない。だからきっと、先輩を助けたいという私の覚悟は、まだ不足してるんだ。

 彼らが欲しているのは私。だから私を殺すことはどうせできない。

 また、先輩を殺してしまったら、私が言うことを聞かなくなることも心得ているだろう。だから私が大人しく従っているうちは、彼らだって先輩に危害を加えられない。

 うん、そうだよ。よし。

 震える足に力を籠めろ。

 どんな事をされても泣くな喚くな、心を殺せ。

 自分が女であるという武器を、最大限に生かして状況を打破するんだ。


 大丈夫ですよ──先輩。


 たとえ、どんなにこの身をけがされようとも、心だけは渡さない。私の心はこれからもずっと、あなただけのもの。

 覚悟を決めると、テーブルの下でぐっと拳を握りしめた。

 私の覚悟、見ててくださいね。

 ニッコリと微笑んでみせると、先輩は悲壮な顔で首を横に振る。覚悟が鈍らないよう、彼の顔から視線を剥がすと、和也さんを正面から見据えた。


「分かりました、言う事を聞きます。なんでもするって約束します。だから、先輩と芳香さんを解放してくれませんか?」

「加護さん……!」


 芳香さんから悲鳴が上がる。


「女の子が『なんでもする』なんて軽々しく言うもんじゃない。感心せんな」


 和也さんは舌なめずりをすると、下卑た笑みを浮かべて私のスカートを注視した。


「だが、その潔さと覚悟は気に入った。じゃあ早速だが、君の覚悟とやらを態度で示して貰おうか? そうだな。先ずはスカートを捲り上げてパンツを披露して、それから脱げ」


 私はごくりと唾を飲み込んでから頷いた。


「分かりました」

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