Part.36『二人の能力者』

 彼の言葉を聞いた瞬間、数ヶ月前の記憶が鮮明に蘇ってきた。ガタンと音が立つほど乱暴に椅子を引いて立ち上がる。やはりそうだ。私と彼は初対面なんかじゃない。


「どうやら思い出したようだな? そう、加護君。君と俺が顔を合わせるのは、これが二度目となる」


 すっかり失念していた。高橋三枝子さんのアパートを突き止めたあの日、路地裏で和也さんとすれ違っている。あの時も彼の寿命は見えていなかったのだろうが、寿命が見えないのは自分と一親等の家族だけ、という意識への刷り込みがあったからこそ見過ごした。違和感だけを、しこりとして残しつつも。

 

「あの日君とすれ違ったとき、君も能力者だと気がついた。初めて見たな、と思い、君のことを捜していたんだよ? まさか君の方から、三田姉妹に接触を図ってくるとは予想外だったけどね」


 私を捜していた。という事はつまり、ここ最近感じていた誰かが私を見ているような気配。あれもやはり、和也さんのものだったんだろう。欠けていたパズルのピースが、一つずつ嵌り始める。「ですが」と私は問い返した。


「あなたも寿命が見える能力者だという話。本当なのですか? こんな忌々しい能力は自分だけの物だとばかり思っていたので、いま一つ信じられません」


 和也さんは、「それもそうだろうね」と呟いた後、「おい」とカウンターの向こう側に声を掛ける。「なんだい?」とマスターがこちらに顔を向けた。


「お前の寿命を公表してもいいか?」

 和也さんの言葉に、マスターは肩を竦めて頷いた。「別に構わんよ」と。


 本来私にしか見えないはずであるマスターの寿命を言い当てることで、自身が能力者である事を証明しようということなのだろう。マスターの頭上に浮かんでいる数字『五十一』を、固唾を飲んで見守った。


「ずばり、五十一だ」と和也さんが宣言する。


 額に汗が滲むのを認識しながら、私は無心で頷いた。

 まあ……思えば、と情報を頭の中で整理していく。自分の寿命が見えない理由わけを、同じ能力者の寿命はからだと繋げて考えれば、寿命が見えていない和也さん、イコール能力者、だという理屈も自然と成り立つ。


「これを踏まえて、俺達の事を少し語ろう」

「随分と、お喋りなんですね」


 精一杯の、皮肉を言葉にこめてみる。

 和也さんに無駄話をするよう仕向け、なるべく時間を稼ぐため。


「俺は元々、承認欲求が強い方なのかもしれないね」


 釣られていると知ってか知らずか、彼は愉快そうに笑った。


「では、そろそろ本題に入ろう。……俺達の本来の計画の話だ」

「ええ、それは興味深いですね」


 本来の、か。含みのある言い方ね、という本音を隠して素っ気なく答えた。

 ここまで和也さんと会話をした事で、浮き彫りになってきた違和感。それは、ストーカー行為を繰り返していた人間にしては、理知的で冷静過ぎる──という事。彼が取ってきた行動の全てに疑問符がつき纏う。それに、と今度は、隣でスマホをタップし続ける芳香さんに目を向けた。

 先程から感心を失ったようにネットサーフィンを続ける彼女の本心は、いったいどこにあるのだろう。


「本来の計画。それは、三田姉妹の姉、優香を誘拐して、三田グループから身代金を要求する事だった。ようは金銭目的。シンプルだろう?」


 何故過去形? と疑問に思うが、一先ず聞き流しておいた。

 それにしても、誘拐計画、か。芳香さんの寿命が一年になっている根本的原因は、恐らくここにあるのだろう。彼らは計画を遂行した後、証拠隠滅を図るため芳香さんを消すつもりなのかも。とはいえおかしい。誘拐する対象は実の姉なのに、何故彼女は平然としていられるのか。自分が利用されているとは考えないのか、と斜向かいの顔色を窺うが、特に動じた素振りもない。


「俺達が描いていたシナリオはこうだ。先ずはが姉の優香に接近して、懇意な関係を築き上げる。しかし、やがて関係は拗れていき、ストーカー男に変貌。敢えて騒ぎを大きくしてという男の異常性を知らしめた上で、姉の優香を誘拐。身代金を三田グループに要求して入手したあと、証拠隠滅をして逃亡。こんな感じだ」


 成る程、と納得しかけた所で、強い違和感が総出で私を襲う。今の話はむしろ、おかしな点だらけだ。


「そもそも、優香さんという人物は実在しているんですか?」


 先ずはこれを確認せねば、と口にすると、「ああ」と和也さんが笑った。


「君が会った優香は、芳香の変装だったのだからね。そう感じるのも至極当然だ。安心しろ、ちゃんと居る」


 そうですか。まあ、どちらでもいいんですが。


「分かりました。けど、あなたがストーカー行為を働く必要性を感じません。ストーカー容疑者として警察に情報が渡ってしまえば、優香さんを誘拐した後、真っ先に疑われるのは和也さんでしょう? ただ、逃げづらくなるだけだと思うのですが?」


 しかし畳みかけるような私の問い掛けにも、彼は動揺した顔ひとつ見せない。


「情報ねえ」と和也さんがふんぞり返った。「だが例えば、和也という男が、最初から存在していなかったとしたらどうだろう?」

「何を言ってるんですか……」と言い掛けて気が付いた。「もしかして、偽名」

「ご明察。一つ例を挙げると、俺がマンションを契約する為に準備した賃貸借契約書ちんたいしゃくけいやくしょの添付資料。住民票であったり印鑑証明書等も全てが偽造品だ。もちろん、免許証もね。つまり、警察に情報が渡ったとしても、それこそ何の価値もない」


 和也さん──既にそう呼ぶのは適切じゃないと思うが、便宜上そう呼ぶ──は「優秀な印刷技術を持つ人間が、仲間に居るんだ」と自慢げに情報を付け足した。

「思いの外、大規模な犯罪グループなんですね。ええ、そこまでは分かりました」と頷いた。ですが、と私は続ける。


「たとえ偽名であったとしても、真っ先に捜査線上に名前があがるのはあなたです。実名か偽名かなんて、それこそ些末な問題でしかありません」

「その通り」と彼は愉悦の笑みを浮かべた。「だが、むしろそれが狙いだ。容疑の目を俺の方に引きつける為、ストーカー行為を続けてきたのだから」

「……意味がわかりません。それこそ、何のメリットもないでしょう?」


 これには首を捻ってしまう。だが同時に、ひとつの可能性に思い至った。


「あっ、もしかして……誘拐の実行犯は他の場所に居る?」

「ほう? ようやく気付いたか。それで正解だが、回答に辿り着くのが少しばかり遅いな」


 まるで生徒の回答を添削する教師のように、頬杖をつき、穏やかな口調で彼は言った。


「誘拐と身代金要求を行う実行犯は、俺とは別の仲間が担う計画になっている。彼らの存在を隠し、捜査の手が及びにくくする為、俺は敢えて派手目にストーカー男を演じた訳だ。無論、俺と実行役が繋がっているのを悟られぬよう、連絡網には幾つもの手段と人材とを投入している」


 よく考えられている、と迂闊にも感心してしまう。直接誘拐事件に関与していなければ、裏を取られない限り彼は罪に問われない。自分と実行役との繋がりを隠すため、二重、三重に対策を施しているのだろう。

 それに、いざとなれば実行役をトカゲのしっぽ切りにする腹づもりなのだろう。実に用意周到。


「狡猾なんですね」

「最高の褒め言葉だ。完全犯罪に必要なものは、矢面に立つ犯人役。実行犯。最後に、頭の切れる司令塔だよ」


 自慢げに言って彼は、こめかみの辺りを指でとんとんと突いた。


「警察が、複雑に絡み合った通信履歴を解析して俺の所まで辿り着くのと、身代金を受け取った俺が、海外に高飛びするのと。果たしてどっちが早いか、なかなか興味深いだろう?」


 そうですね、と返す気力もなく、苦笑いで誤魔化した。

 優香さんに対して行われていたストーカー行為の話も、話半分に思っておいた方が良さそうだ。元々、警察の目を引く目的でしかないのだから、罪に問われるかどうかのギリギリのラインを狙えばいいのだし。

 最初から、和也さんと芳香さんの手のひらの上で踊らされていたんだと改めて認識すると、怒りやら失望やらがない交ぜとなって、強く唇を噛みしめた。でも、


 分からない、と心中で呟く。


 散々嘘を積み重ねてまで、私をこの場所におびき出した真意はどこにあるのか? 分からないけれど、一先ずそれは置いておいて。

 沸々と込み上げてくる怒りの感情は、既に臨界点に達していた。


「ですが……、一番分からないのは芳香さん、あなたの行動です。何故あなたは、率先して彼に手を貸しているんですか? 酷い目に遭うのはあなたの家族であり、実の姉なのに!」

「加護さん」芳香さんはスマホの画面から視線を外すと、ようやく私と目を合わせた。「私のことを、哀れな協力者か何かだと考えているんだろうけど、そんなことはないよ? 私はね、ちゃんと和也に気に入られてるの。ちゃんとした彼の恋人なのよ」


 芳香さんの表情が、恍惚としたものに変わる。敵意すら孕んだその眼差しに、ぞくぞくと背筋に悪寒が走る。


「それでは意味が分かりません。もう少し分かり易く説明してください」


 スマホを一旦テーブルの上に置くと、彼女は淡々とした口調で語り始める。まるで、身の上話でも独白するかのように。


「私ね、ずっと姉さんのことが嫌いだったの。容姿端麗。頭脳明晰。そんな出来の良い姉と、反面、平凡で不出来な妹。いつもいつも私達姉妹は、親戚一同から比較され続けてきた。分からないでしょう? 姉に劣ると烙印らくいんを押され、幼少期から蔑まれ続けた妹の気持ちなんて。父さんも、母さんも、大事にしているのは姉さんの方ばかり。私なんて、居ても居なくてもどっちでもいい扱いだった」


 彼女の顔に浮かんだ嘲笑の色に、思わず眉を潜めてしまう。


「でも、それももうおしまい」と芳香さんの顔が晴れやかに変わる。

「話の始まりは、姉さんが和也と交際を始めた頃かな? 姉さんが風呂に入ってる隙に、スマホを拝借してこっそり連絡を取り合ったのよ。それで計画の全てを知った。のちに、彼がストーカー男に変貌することも、身代金を要求する計画も。いい気味って思ったよ。家のことも姉さんのことも、私は大嫌いだったからね。だから今は、清々しい気分なの。私は姉さんの恋人を、自分の力で奪い取ったんだから!」


 犯罪を成功させる秘訣は内通者、とはよく言ったものだ。

 著名な財閥グループの令嬢であるからこそ、周りから向けられる値踏みするような眼差しも、姉妹を比較する目も強くなる、という事なのだろう。それにしても、

 芳香さんは、出来の良い姉に対する嫉妬だけを原動力に、男達と密かに連絡を交わしたのか。姉を貶めるためだけに。狂っている、という感想を抱いた。実の家族に対して、ここまで妬み嫉みを拗らせるものなのだろうか?


「まあ、そういうことだ」

 と和也さんが彼女の言葉を引き継いだ。

「俺たちは、妹の芳香が姉に対して強いコンプレックスを抱いていることまで織り込み済みだった。だからこそ、最初に接近するのは姉の優香である必要があった。案の定、芳香は金持ちの恋人が出来た姉に嫉妬し、自分から接近を試みてきた。略奪愛だよ。女の嫉妬は恐ろしいねえ。こうなってくると、計画はより簡単だ。誘拐する対象が、一人から二人に増えるのだから」

「どういうこと?」


 和也さんの口上から幾つかの違和感を抜き出したのか、芳香さんの顔が険しく変わる。


「誘拐するのは姉さんの方なんでしょ? その言い草だと、私を誘拐するみたいに聞こえるんだけど?」


 嘲るように、和也さんが鼻で笑う。


「君の耳がオカしくなければ、聞こえた通りの意味だ。もう一度言おうか? 俺たちは、三田グループの令嬢を誘拐して身代金を要求するのが最終目標。この際、攫う対象が姉か妹かは問わないんだよ」


 また過去形、と私は眉間に皺を寄せた。


「冗談でしょ?」

「この段階に及んで冗談に聞こえるなら、良い耳鼻科を紹介しよう」

「なにそれ……私を騙してたの!?」


 芳香さんが憎悪のこもった目で和也さんを睨むと、彼は侮蔑するように笑った。


「騙してた? 心外だなあ。それこそすり寄ってきたのは芳香。君の方からだろう? ここ数週間、姉の恋人を略奪した自分に酔いしれて、いい気分になっていたのは事実だろう? 感謝されるならともかく、恨み節とはね」

「酷過ぎる……! 姉さんじゃなくて私の方を愛してくれるって言うから、信じて協力したのに……! 幻滅した。もういい帰ろう、加護さん」


 怒りで顔を紅潮させ、芳香さんが私の手を引こうとした刹那、和也さんがテーブルの上を拳でドン! と叩いた。店内に響き渡る大きな音と、彼が初めて見せる本性に、薄れかけていた恐怖心が蘇る。


「バカじゃねーのかテメーは?」地を這うような低い声音。「このまま大人しく、ハイさようなら、なんて帰す訳がないだろう」

「ひっ」

「この際だからハッキリ言おう芳香。お前は加護君をおびき出した時点で用済みなんだよ。それに、色々と内情も知り過ぎた。今更、五体満足で家に帰れるなんて思うなよ? 昨日から俺らの周辺を嗅ぎ回ってた小僧と一緒に、海に沈めてやってもいいんだぞ?」

「待ってよ! それじゃ全然話が違う! 加護さんをこの場所に連れてきたら、話だけ聞いて今泉君共々解放してくれるって言ってたじゃない!」

「滑稽だな。それこそへそが茶を沸かす」と和也さんが嘲笑う。「この期に及んで、まだそんなことを信じていたのか? 案外と純真なんだな、お前も」

「そんな!」


 結局、芳香さんも騙されていた訳だ。まんまと誘い出された私もバカですけど、あなたも救いようのないバカですね。それにしても昨日から、ですか。先輩──肝心な所で一つ嘘をつきましたね?


 和也さんは憤りの声を上げる芳香さんを一瞥し、「おい」とマスターの男性を顎で使う。

 すると彼は、カウンターの奥にある扉から一度奥に引っ込んだ。数分ののちに彼が連れてきたのは、後ろ手に縛り上げられ猿ぐつわをされた先輩だった。


「先輩!」


 駆け寄ろうとした所を、動くな、と和也さんに鋭く制止される。


「コイツは、昨日からやたらしつこく俺達の周辺を嗅ぎ回っていたからな。なので、身柄を拘束させてもらった。探偵ごっこのツケとしては、高くついたな、小僧」


 何かをうったえようと、視線を向けてくる先輩と目が合った。彼は悔しそうな表情を浮かべてこそいるが、見たところ目立った外傷はなさそう。良かった、先輩無事だった、と一先ず安堵した後で『大丈夫です。私が助けますよ』という意思をこめて頷いた。


「ひとつだけ、質問いいですか和也さん」


 全身が粟立あわだつ感覚を必死に宥め、恐怖と緊張からカラカラに乾いてしまった喉の奥から声をしぼり出した。


「なんなりと」

「あなたたちの目的は分かりました。ですが、何故あんなに手間暇をかけて私を信用させた上で、この喫茶店に呼び出したんですか? 先輩が邪魔だったのであれば、それこそ、黙って消してしまえばよかったのでは? 計画の遂行において、私と先輩を引き合わせる必然性を感じません」


 言いながら、罪悪感で胸が押し潰されそう。すいません、先輩。これは私の本心じゃないんです。けど、こうして呼び出したからには、私達を生かしておく理由が何かあるはず。


「本当に頭の切れる娘だな」と感心したように、和也さんが大声で笑った。「そう。君が違和感を感じている通りかもな。長々と口上を述べた後で言うのも気が引けるが、この誘拐計画自体、実はどうでもよくなった」

「どうでもよくなった?」


 私と芳香さんは、二人揃って瞳をしばたかせた。

 ここまで御膳立てしておいて、どうでもよくなった? 繰り返される衝撃の展開に、頭の整理がまるで追い付かない。


「そうだな。いい加減に、全てを明かそうか。俺達が今、真に欲しているものは君だよ、加護咲夜」


 私? 話の矛先が自分に向いた事に、背筋がぞくりと冷え込んだ。

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