Part.34『メッセージ』

 駅を目指して走りながら、もう一度先輩のスマホに電話を掛けてみた。だがやはり、電源なんて入っていない。

 やむを得ず、自宅にも電話をかけてみる。二度~三度とコールが繰り返されたが、こちらも誰かが応対する気配は無い。

 私の足は、完全に止まってしまった。

 チャットアプリで送信した二件のメッセージに既読は付かないし、今もまだ、先輩のスマホに電源は入っていない。学校を休んでいるというのに、自宅に電話をしても誰もでない。


 いったいこれはどういうことなの?


 今泉家は父親と先輩の二人暮らし。父親が仕事に出ているであろう日中、先輩が体調不良でもし寝込んでいるのなら、誰も電話に出なかったとしても不自然じゃない。

 でも……。スマホの電源が入っていない事とソレは無関係だよね?

 なにがどうしてこうなったのか……。先輩の運命を覆す為の糸口が何一つ見付からぬまま、彼との連絡手段が途絶えた事に、私の心は強く波立っていた。


 昼の住宅街はひと気が無い。寂しいと思った。


 ダメだ、と萎れそうになっている心の芯を強くはたいた。

 心配事や不安を抱えている時こそ、きちんと普段通りのことをして心を落ち着かせるんだ。一旦、状況を整理してみよう。

 先輩と別れたのは昨日の夕方。場所はこれから向かう根岸の駅前だ。記憶の糸をたどっても、昨日の彼におかしな点はなかったと思う。

 最後に連絡を取り合ったのは、夜の十一時頃。彼から送信されてきた『おやすみなさい』のメッセージが最後となり──現在まで連絡が途絶えてる。

 今にして思えば迂闊だぞ私。今朝、待ち合わせをしている交差点に彼の姿が無かった時点で、一度連絡を取っておくべきだった。


 後悔先に立たず、とはよく言ったもの。

 他人と深く干渉しようとしない悪癖が、こんな時まで私の足を強く引っ張る要因になるなんて。

 そこいらの恋人同士であれば、一日や二日、連絡が取れなくなってもこんなに取り乱すこともないだろう。けど、私達は違う。先輩は一年以内に死ぬ運命さだめにある人であり、私は彼の事情を心得ている。とてもじゃないけれど、心中穏やかでいられるはずもなかった。

 待って、落ち着くんだ私。彼が事件に巻き込まれたと決め付けるのはまだ早い。それでも一応、最悪の事態を覚悟しておく必要はあるだろう。


 最悪の事態って、なに?


 それは、先輩が死んで居なくなった世界の事だ。あり得ないと思った。先輩が居なくなったら、私は何に縋って生きていけばいいの? いつの間に、私はこんなに弱い人間になったというのだろう。誰かを愛すると人は強くなるとよく聞くが、そんなの嘘だと思った。

 ずっと一人で良い。

 一人で構わない。

 そんな強がりを常々口にしていたはずなのに、私は彼と一緒じゃないと歩けなくなっていた。錆びついたように動きの悪い両膝を叱咤して、なんとか歩みを進める。

 手のひらが汗ばんでいる。心臓の音が驚くほど五月蝿く聞こえる。自分でも激しく動揺しているのがわかった。一縷いちるの望みをかけてもう一度電話をかけてみたが、やはり応対はなかった。それから立て続けに何度も電話をした。先輩のスマホは、完全に沈黙していた。


「なんでよ、どこで何をやってんのよ」


 まるで独り言のように、悪態をついた。


「取り敢えず、駅に行こう」


 胃の内容物を棒状の物体でかき混ぜられるような、どろりとした不快感。

 誰かの家の塀に手をつきながらじゃないと、歩けそうになかった。

 ふらふらと、歩きながら考える。

 もしかしたらそのうち、先輩のスマホに電源が入るかもしれない。『その時』に備えて、メッセージを送っておこう。木枯らしの中の落ち葉のように震える指先で、たどたどしくメッセージを打ち始める。



咲夜 【今なにをしてますか?

 何処にいますか?

 私は今、駅前に向かってます。さっき連絡したとおり、優香さんと会うの。

 ちょっと今、動けなくなっているけど、たぶん後三十分くらいで着くかな?

 ねえ。

 なんか言って下さいよ。

 スマホの電源くらい入れておいて下さいよ。

 ……心配するじゃないですか。あんまり、心配させないで下さいよ? 返事くらいしてくれないと、寂しいですよ。


 こんな時でも、お腹って空くんですね。お腹空いたなぁ。コンビニでカップラーメン食べたいです。

 理屈っぽい先輩のことですから、体に悪いって言いそうですね。でもね、お腹空いてる時って、何を食べても美味しく感じられるんですよ。

 本当は、自宅に居るんですよね? 熱かなにかで、寝込んでいるだけですよね? だとしたら、大袈裟に騒ぎ立てたりしてゴメンね。そうだ、後でお見舞い行きますね。

 そしたらさ……一杯甘やかして下さいね。

 だって──こんなに私の事を心配させたんだから、それ位のご褒美ありますよね?


 私。先輩の彼女、なんですよね?

 まだ交際を始めてから二週間ほどですよ? まだ、なんにもしていないのに。

 ねえ、返事してよ……】



 全部で二十回以上送信した。やはり既読は付かなかった。先輩は未だに沈黙を続けていた。


「いつ電源が入るの? 『その時』っていつよ?」


 スマホを路上に投げつけたくなる衝動を、すんでの所で自重する。

 立っているのも辛くなると、その場にしゃがみ込んだ。世界そのものが回っているように、視界の全てが回転していた。急に吐き気を感じて軽くえづいた。

 悪い妄想ばかりが頭の中を駆け巡る。苦しくて、切なくて、心細くて、死にたくなった。そのまま暫くの間、塀に手をついて蹲っていた。


 自転車に乗った警察官が通り掛かる。蹲る私を見て近づいてくると「どうしたんだ君、大丈夫か?」と心配そうに声をかけてきた。「私は大丈夫です」と答えた。

 全然、大丈夫じゃなかった。

 彼の捜索願いを出そうかと考えて、まだ失踪したわけじゃないのに、と自嘲した。

 警察官に支えられながら立ち上がると、「平気です」と虚勢をはり、再び歩き始める。

 警察官とは、そのまま別れた。


 立ち上がりはしたものの、今度は地面がぐらりと揺れている感覚。辛うじて進める足取りも覚束ない。

 塀に手を触れ歩を進めるうち、突然心配になった。こんな状態で、どんな顔をして優香さんと会えばいいんだろう。人恋しいと思っているはずなのに、誰かに会うのが怖かった。

 当然だ。こんなに泣きはらした顔で会えるわけがない。気が付くと私は泣いていた。

 取り乱すな、私。優香さんを待たせるのは悪いけど、先ずは先輩の家に行って状況を確かめるべき。目的地の変更を決意し、優香さんに電話しようとスマホを取り出した時、タイミングを見計らったようにメールが届く。

 ──送り主は、先輩だ。

 もどかしいほど震える指先でメッセージを表示させた。凄い長文、と一瞥したのち送信日時を確かめると、昨日の十一時半だった。私と最後にやり取りをした直後くらいだ。

 つまりこれは、予約送信。私の部活動が終わる時間帯に合わせたのだろうか。改めて、用意されていた長々とした文面に目を通していく。


『咲夜へ。何の心配もいらないと思いたいが、相手が相手なので、万が一のことを考えてメールしておきます。ここから先の内容は、もし俺と連絡が取れなくなったら、その時に読んでほしい』


 ここから暫く、空白行が続いていた。連絡が取れなくなった時の保険というワードが、瘡蓋になりかけている記憶を刺激する。

「そんな……」私の呟きが、当時の声で再生される。

 路上に広がる赤黒い血。

 悲鳴と一緒に鳴り響くサイレンの音。

 立ち尽くす私の姿。ようやく忘れかけていたあの日の光景が、頭の中に蘇る。動かなくなった背中の映像が、ごく自然に先輩の――

 ダメだダメだ。嫌な妄想を、かぶりを振って否定する。

 今はとにもかくにも状況確認。震える手で、空白行の先を読んだ。


『明日、学校を休んで和也さんのマンションに行ってみようと思う。目的はひとつ。和也さんの顔を目で見て確認すること。たぶん、こんな事を相談するとお前は怒るだろうし、俺を止めるだろうから、無断で行くことにしました。むしろこっちの方が怒られるかな?』


「当たり前です」


 顔を確認するって、どうしてそれを先に相談してくれないんですか? 先輩の身に何かあったのだろうか、悪い妄想ばかりが加速する。色濃くなっていく不安が、輪郭線をともない形になっていく。溢れ出した涙を拭うこともせず、続きを読み進めた。


『先日、優香さんと喫茶店で会った時なんだけど、たぶん俺、和也さんを見たんだよね。路上駐車をしている白い車に乗った眼鏡の男性が、こっちを見てたんだ』


 眼鏡の男性。

 十日ほど前の記憶が、鮮明な映像となって去来する。


 ──和也さんって眼鏡をかけていますか?


 なんなのよ。先輩が放った言葉の意味、全然汲み取れてないじゃん私。眼鏡って、そういう意味だったんだ。つまらないことで意地を張って拗ねていたあの日の自分が恥ずかしい。


『ちょっとだけ気懸かりなのは、向こうが優香さんじゃなくて咲夜を見ていたように感じたこと。俺が視線を向けたのはほんの数瞬だったけど、なんだかそんな気がして……無関係な人だったらいい。でも、今感じてる疑念が本当だったとしたら。そんな不安が膨らんでいくにつれて、確かめなくちゃダメだって思ったんだ』


 相変わらず短絡的なんだから。少しは自分の心配だってしなさいよ。あなたの寿命は一年なのよ忘れないで。これ以上、私を不安にさせないでよ。


『相手は正気じゃない人間なのに、って思ってるんだろう? でも、正気じゃない人間だからこそ、だよ。咲夜の顔を見られたのが心配で気がかりだったんだ。俺は、君の身に危険がおよぶことを、何よりも恐れているんだ。それから、最後に。俺との連絡が途絶えたら、直ぐ俺に電話して欲しい……って無理か。じゃあ、取り敢えずは警察に連絡かな。信用してるぜ、咲夜』


 先輩らしく支離滅裂な内容でメールの本文は終わっていた。直ぐ連絡して欲しいって今してるでしょ! 相変わらず言うことに取りとめがないんだから。

 でもそうか。今現在和也さんのマンションで張り込みをしているから、念のため、スマホの電源を切っている可能性もあるのか。

 そうだったらいい、と藁にも縋る思いでメールの画面を閉じた時、チャットアプリの着信音が鳴り響く。

 画面も何も確認せずに直ぐ開いた。


「あ……」


 先輩に送った二件のメッセージに既読がついていた。良かった──スマホに電源が入ったということは、先輩は無事だったんだ、と安堵しかけた私の心は、その下に続いていた新規の送信メッセージによって打ち砕かれる。


『君の先輩を預かっている。続けて送るメッセージの内容に従え。間違っても、何処かに連絡しよう等と考えるな。意味は……分かるな?』


 イタズラだろうか、と一瞬考えた。だが、今の状況下で、先輩が悪ふざけで送ったメッセージだとは到底思えなかった。つまり、このメッセージを送信したのは、先輩の端末を操作している第三者。

 深く深く息を吐いた。正気を失って叫び出しそうになる自分を、ぎりぎりの所で押し留める。再び画面を注視した時、次のメッセージが送られてきた。


『このまま駅に向かって三田優香と会え。そのあと二人で、駅周辺にある喫茶店、ノワールに来い』


 ノワール、聞いた事のない店だ、と考えている矢先、また次のメッセージが入る。今度は喫茶店の住所だった。

 どうしよう。暫く考えたのち、こちらから質問を返してみる。


『先輩は無事ですか? あなたは、和也さんですか?』


 秒針が半周するほどの時間沈黙したあと、スマホの画面に返答が表示された。


『一つ目の質問に対する回答、イエス。二つ目、ノーコメント。気まぐれで答えるのは、これが最後だ』


 そりゃあ、そうでしょうね、と思いながらアプリを閉じた。それでも、先輩が生きていると分かっただけでも収穫だ。スマホをスカートのポケットに仕舞い込むと、駅を目指して歩きながら考える。


 先ずは、警察に通報するか、否か。チャットアプリの文言を信じるならば、先輩は人質になっているのだから当然通報はしなくちゃならない。

 問題なのは、どうやってこの──私ですら確証の持てない話を、警察に信じてもらうかだ。何故私を呼び出すのか動機が見えないし、何より真実だという証拠が無い。

 送信してきた相手は、なかなかに狡猾な人物なんだろう。

 送られてきたメッセージの全ては、酷く曖昧な表現を用いながらも、事情を心得ている私にだけは伝わるように、構成を練られている。

 つまり──ここから分かる事。


 相手は、私達のことを


 その点を、最大限に利用している。曖昧かつ簡潔な記述に留められたこのメッセージだけでは、警察を信用させて動かすのは骨が折れそうだ。しかも、メッセージの全てが先輩のスマホから送信されているのだから、これだけでは虚言、あるいは性質の悪いイタズラだと、一笑に付されてしまう可能性が高い。

 時間が無いというのに……思わず歯がみしてしまう。

 更に一番の問題点は、指定された喫茶店に先輩が居るとは限らないこと。

 軽々しく喫茶店に警察を呼び、その事実が相手に漏れ伝わってしまったら、その時点で先輩は殺されてしまう。

 正念場だぞ、加護咲夜。考えろ、なるべく短時間で結論をださなくちゃいけない。

 悩んだ末に私は、この内容を明日香ちゃんにもチャットアプリで伝えておくことにした。


『これから駅前の喫茶店「ノワール」に向かいます。もし、一時間経っても私から連絡が無かったら、直接まで電話をして下さい』


 彼女からは、ほぼノータイムで了解の旨返信が入る。

 うん、流石だよ明日香ちゃん。私は心中で親友への謝辞を述べた。


「よし」


 方針が決まれば、落ち込んでいる場合じゃない。涙を拭って前を見据える。

 いつもと同じ、ひと気のない住宅街。まるで、精巧に造られた舞台セットのような街並みの中を、私は必死に駆けていく。

 ただし、今度は黒子なんかじゃない。

 舞台に上がった、主役として。


 柔らかな日差し降り注ぐこんな穏やかな光景の中でも、人の命は――失われるんだ。

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