Part.33『違和感』
「え? 三田財閥の令嬢!?」
翌朝。健康的な青空広がる通学路。
昨日喫茶店で聞いた話を、私用で来られなかった明日香ちゃんに伝えると、彼女は少々大袈裟に驚いてみせた。
「そうなんだよー。優香さんの方はね、物腰の柔らかい人だったからそれも納得できるんだけど、妹の芳香さんは、あの通りフランクな人だったでしょ? だから私も、未だに信じられないっていうか」
「ふーん……。でもさ、先輩もよく気が付いたよね。三田っていう名字はそこまで珍しい訳でもないのに」
明日香ちゃんから返ってきたのは、当然と思える疑問の言葉。私は「うん」と同意したのち、暫し悩んで次の言葉を導き出した。
「なんでも、先輩のお父さんが経営している工場が、昔、三田グループの関連企業と取引があったんだって。それでなんとなくピンときて、カマを掛けたって先輩は言ってた」
先輩の父親が経営している電子部品会社、今泉電装に多額の借金を背負わせた相手こそが、他ならぬ三田グループの関連企業──
今にして思うと、ボイスレコーダーを借りに行った時、優香さんの名前を聞いて店長の顔色が変化したのも頷ける。
契約破棄を打診したのは三田電機工業の方からであり、破棄理由は、三田電気工業と更に別の取引先との間で起こった商談不成立が絡んでいる。だから、今泉電装の側に落ち度はまったくないのだが。
その件について、無論、謝罪もあったらしいし、違約金も支払われた。だが、それで済まされるレベルの問題なのか?
第三者の私が聞いても胸糞の悪い話。
包み隠さず本音を言えば、三田姉妹に関わるのは金輪際止めにしようか、と考えたほどだ。
でも、先輩は私にこう言ったんだ。
『非難される要因を作ったのはあくまでも会社であり、娘である優香さんと芳香さんに罪はないからね』
先輩とて胸中は複雑だったろう。それでも、過去の話もしがらみも全て水に流して、純粋に、三田姉妹を救出したいというのが、彼が導き出した結論。だから私は、喉元まででかっていた不満を飲み干し、彼の覚悟を尊重すると決めた。憎しみの連鎖が行き着く先に、得られるもの等ないのだから。
たとえ相手が明日香ちゃんであろうとも、先輩の家の話を伝える事はないだろう。
「ほんと、驚きだよね」
曖昧な言葉で会話を打ち切ると、明日香ちゃんは神妙な面持ちで空を見上げた。
「そっか。なるほどね」
なにか釈然としない。そんな感じの彼女の横顔。また、私の悪癖だろうか。表情の変化から、隠し事をしている事実を見透かされているのかもしれない。頬の辺りを指でかき、誤魔化すように愛想笑いを浮かべた。
その後も彼女は、中空に目を向けたまま「そっか、そっかぁ」とうわ言のように呟いた。
どこか沈んで聞こえる声音。なんだろう──。
「あ、やばい。遅刻する」
その時明日香ちゃんが、腕時計に目を落として叫んだ。
「え、うわぁ!」
現実に引き戻された私と彼女は、慌てふためき学校を目指して走り始める。
本日の天気予報、晴れのち曇り。気温、やや低め。
* * *
三田姉妹と顔合わせをした日から、十日ほどが経過していた。
季節は既に本格的な夏である。窓ガラス一枚隔てても容赦なく部室の中に木魂する油蝉の奏でるノイズが、暑さをより一層際立たせる。
「あーつーいー」
チェック柄のスカートの裾をパタパタと扇いで不満を述べると、即座に部長の突っ込みが飛んできた。
「はしたないな加護君。君は一応女の子なのだから慎みたまえ。僕が男だという事実を、忘れてるんじゃないのかね?」
「なんか今、失礼な装飾語がくっついてませんでしたか? まあ別に、どーでもいーんですけどね。別に部長が男だという事は忘れてませんよ。恋愛対象として、意識はしていませんが」
「それはそれで傷つく」部長の顔が苦み走った。「だが、白はわりと好みだ。清涼感があっていいね」
「う、嘘でしょう!?」
慌ててスカートの裾を押さえると、部長は素知らぬ顔で横を向いた。
「……冗談だよ」
あれから、優香さんと連絡を取り合い決めたこと。
それは、変化があっても無かったとしても、一日一回、状況報告を入れて貰う事。
この定時連絡が途切れた時点で、何かしら不測の事態が起こったと考えこちらも動く、という
そして今現在のところ、特に目立った動きは起きていない。
この取り決めのお陰で部活動に集中することができ、遅れがちだった文化祭用の小説も執筆が捗っていた。文化祭当日まで、一ヶ月を切ろうとしている状況下。あれこれ気をもまずに済むのは正直ありがたい。
さて、と心のスイッチを部活動側に切り替える。
暑さに不満を言うのも程々にしてパソコンの画面と向き合うと、ポケットから紙片を取り出し視線を落とした。授業中、頭の中に浮かんだ文章を、こっそりメモしておいたものだ。相変わらず勉強に身が入っていないようで、すいませんね、先生。
メモを見ながら、思案する。
私は先輩とは違う。
一行書くだけでも、ああだこうだと余計な事ばかりを考えてしまい、一向に筆が進まない。それでも最近は、少しずつだが取っ掛かりができてきた。
ふっとイメージが湧いてくる瞬間がある。その時を逃してはいけない。直ぐにメモを取るよう心がけ、メモの内容を後々文章として再構成していく。頭の中に描いていた物語と、導き出された文章が合致した時の喜びは――それこそ、筆舌に尽くしがたいのだ。
既に結末までのプロットは完成していたので、一旦手が動き始めると後はもう順調だった。こうして遂に、私の処女作品は完成する。
「うわ~出来た~!」
安堵から両手を天に掲げると、精一杯の伸びをした。肩の荷が一度に下りたようで、清々しい気持ちが全身を駆け巡る。次第に高揚感が薄れてくると、上げていた手を力なく下ろし机に突っ伏した。
「……あー、疲れた。マジで」
私の呟きを拾った部長が、疑いの目を向けてくる。
「何? 本当に出来たのか?」
「当たり前じゃないですか。自分の為にならない嘘はつかぬのが、私のモットーです」
「偉そうに口上を述べてるけど、それだと自分の為の嘘はつく、って話になるんだぞ」
机にくっつけた額がひんやりして心地良い。顔だけを横に向けると、どことなく残念そうな顔でこちらを見ている明日香ちゃんと目が合った。
「なんだか随分と信用が無いんですね。ちゃんと出来ましたよ。最近は、わりと真面目に書いてたでしょう? 早速ですが、確認をお願いします」
出来上がったばかりの原稿データをメモリースティックにコピーして、部長席に持って行く。受け取ったメモリースティックを自分のパソコンに差し込むと、部長は画面を見つめて内容の確認を始める。
緊張した面持ちで、部長の作業を見守った。やがて彼は満足気に頬を緩めると、深く頷いた。
「確かに問題無いようだ。思ってたより早かったじゃないか、お疲れ様。あとは夢乃君の原稿が上がってくれば、いよいよ製本作業に入れるな」
「えっ、あと残ってるのって、私だけなんですか? そんなぁ~」
テーブルの向こう側から、明日香ちゃんの甲高い悲鳴が響きわたる。
「えへへ、ごめんね」
ちろりと舌を出して背を向けた私の右手を、がしっと部長が握り締めた。
「なんですか、この手は? 離してくださいよ」
機械仕掛けの人形のように、ぎこちなく正面に向き直ると、部長はぽんと、エーヨンサイズの紙を机の上に置いた。
視線を落として確認すると、紙面の中央には『横浜市短編小説コンクール』という文字が色鮮やかに踊っていた。
「これ、次の課題ね。募集要項は青春や恋愛をテーマにした純文学で、文字数は、四百字詰め原稿用紙で二〇枚~三〇枚程度。そうだなあ……たぶん一万文字くらいだろうか? 締め切りは十月末日ね」
「……聞いてないんですけど」と声を震わせ尋ねると、「そりゃあ、初めて言うからね」と部長は悪びれる様子もなく言った。
オフィスの上司と部下のように事務的なやり取りを交わした後、「それじゃ、ヨロシク」と立ち上がった部長の肩を鷲掴みにする。
「な、なにかな、加護君」
頬をひきつらせて部長が振り返った。
「これは、みんなで応募するんですよね」
「まあ、その予定だけど」
「そうですか……そうですよね。もちろん、部長も応募するんですよね?」
笑顔でそう詰問すると、途端に部長の顔はサッと色味を失い青褪めた。何やらブツブツと呟きを漏らすが、言葉の端々に歯切れの悪さが見え隠れする。
「いや……僕はほら、詩が専門なものでね。それじゃあ」
一方的な理屈をこねて部長が身をよじるが、逃がすもんですか、と肩を掴む手に更なる力をこめる。
「みんな仲間じゃないですか。仲間たる者、辛い時も、苦しい時も、それをみんなで分かち合うものです。いつだって、私たちの心は一心同体。そうですよね、部長? だから……」
爽やかな声で朗々と話すと、一転して声のトーンを落とした。
「一人だけ楽になろうなんて、絶対に許しませんからね」
次の瞬間、部長の顔が完全に強ばった。
「やめたまえ! 離したまえ! 僕はこれから用事があるんだよ!」
「どうせ大した用事じゃないんでしょう!? 逃げようとしてもダメです! こういうのは一蓮托生でしょう!」
部長が私を振り払おうとして、頭に手を掛けてくる。「痛いじゃないですか!」と私が手を握り返して抗議すると「いや、加護君がしつこく食い下がるからだろ」と部長も負けじと応戦した。
「いい加減にしなさい!」
あまりの醜態を見兼ねたように、未来さんが凄んでくる。二人の背筋は同時に伸びた。『はい、すみません』
「だから私からも言ったでしょう。部長のあなたも応募しなくちゃ、示しがつかないでしょう、と」
未来さんがこめかみを押さえて嘆息すると、常日頃から副部長に頭の上がらない部長はすっかり縮こまってしまう。「分かりました。僕も頑張りますので」と棒読みで告げると、部室の扉を開けてそそくさと退散していった。
「ごめんなさいね、しょうもない部長で」
「いえ、私もついムキになってしまって。お恥ずかしい限りです」
気を取り直すように椅子を引いて座ると、小説コンクールの要項に目を通しながら未来さんに尋ねた。
「そういえば今泉先輩って、どうして今日、学校を休んでるんですか?」
珍しく、主の居ない空席に目を向ける。
「え? いや……知らないわよ。と言うか、加護さんが知らないのに、私が知ってる訳ないじゃない」
未来さんが、瞳を白黒させた。まあ、確かにそれもそうかと私は思う。
今日、今泉先輩は、部活動どころか学校そのものを休んでいた。無論、一日程度学校を休んだところで何か心配している訳でもないのだが、折角小説を書き終えたのに喜んでくれる人が居ないのは、やはり些か寂しいものだ。
「青春、または恋愛か……。つまり学園モノだよね。さてさて、どんなものを書けば良いのか……」
一難去ってまた一難。ボヤきながら椅子の背凭れに体を預けた時、チャットアプリの着信音が鳴り響く。画面を確認すると、優香さんからだった。そこに書かれていたのが思いもよらぬ長文だったことに心がざわつき、もう一度背筋が伸びた。
三田優香【少し進展がありましたので、報告しておきます。先ず最初に、先日警察署に相談してみた件ですが、結論から言うとダメでした。事情を丁寧に伝えたつもりでしたが、暫く様子見をして下さい、という対応で終わりました。前回と同じです】
やはり重い腰は上がらなかったか、と落胆してしまう。歯がゆいけれどもしょうがない。状況証拠を上げないとダメだろう、と覚悟はしていたし。
三田優香【尾行、無言電話といった迷惑行為も次第にエスカレートしていましたが、遂に昨日、彼が直接私への接触を試みてきました】
もっとも恐れていた事態に発展してた。震える指先で、続きを読み進めていく。
三田優香【和也は家の前までやって来て私の前に立ちはだかると、執拗に復縁を迫ってきました。私がキッパリと断り突き放すと、再び彼は激昂し「三田グループが隠し続けている不祥事のネタは上がってる。俺の言うことが聞けないなら、週刊誌に売り込むぞ」と脅してきました】
そんなネタ、本当にあるんだろうか? なりふり構わぬ男の行動に、底冷えする思いがした。
三田優香【押し問答となっている所に、怒鳴り声を聞きつけた家の者が駆け付けてくれました。女一人に対して非常識だろう、と一喝されると、彼は口ごもりながらも退散して行きました。幸いにも、この時の遣り取りをボイスレコーダーで録音できたので、明日にでも状況証拠として警察に提出する予定です。恐らくはこれで、動いてくれることでしょう】
良かった。思わずホっと胸を撫で下ろす。
和也さんが逆上して自暴自棄になるのを一番恐れていただけに、早い段階で、脅迫罪に問えるストーカー行為の証拠を得られた事に安堵していた。
これでどうにか、警察も本腰を入れて調査してくれるだろう。まだ全てが終わった訳でもないので油断は禁物だが、先ずは一安心だろうか。
同じ内容を明日香ちゃんと先輩にも転送しておいた。直ぐに向かい側から、「良かったね」と明日香ちゃんが声を掛けてきたので二人で拳を合わせた。
その直後、私のスマホに着信があった。画面を確認すると、噂の優香さんだった。
『もしもし。今、お電話大丈夫でしょうか?』
「はい、大丈夫ですよ」
『送信したメッセージは見て頂けましたか?』
「はい。丁度今、確認を終えた所です。なかなか大変だったようですね。でも、警察に動いて貰うための材料になると思うので、不幸中の幸いと言いますか、一先ずは安堵しているところです」
『そうですね。御陰様で、なんとか解決の糸口が見えてきました。それで……なのですが』
「はい?」
『これから少し時間ありますでしょうか? 今後のことについて、幾つか相談したい事があるのですが』
「相談──ですか。むしろ相談する相手、私なんかでいいんですか?」
正直なところ、私に出来ることはもはや殆どない。後は家族なり警察が解決してくれる問題だろうとすら思う。
『ええ、もちろんです。今回のお礼も含めて込み入った話もありますし、音声データのコピーも終わりましたので、ボイスレコーダーもお返しできればと考えているのですが』
なる程ね、と納得しながら、同時に私は閃いた。どうせ会うのであれば、ついでに、優香さんの寿命を確認しておくのもひとつの手。事件がこのまま収束に向かうのであれば、彼女の寿命は本来あるべき年数に戻っているはずなのだから。
「分かりました──」と言い掛けて一度口を噤んだ。まだ部活中だった。「うーん」と唸りながら顔を上げると、未来さんが「問題ないよ」と口パクで了承を伝えてくる。
申し訳ないです、という意思をこめて未来さんに頭を下げると、「はい、大丈夫ですよ」と優香さんに返答をした。
『そうですか? なら、良かったです。お話をするお店は後程探すとして、そうですね……待ち合わせ場所は、
彼女が指定してきたのは、普段先輩が使っている最寄駅のコンコースだった。
「わかりました」
私が了承するのと同時に、通話は切れた。電話の内容を明日香ちゃんにも伝えると、「私は自分の分の小説が残ってるからなあ」と彼女は難色を示した。
「わかった。じゃあ、私だけ行ってくるね」
この話は、一応先輩にも伝えておいた方がいいだろう。そう考えてスマホを確認してみたが、先程送信したチャットアプリのメッセージには、既読すら付いてなかった。
体調が悪くて寝込んでいるのだろうか。だとするならば、今日中に、お見舞いに行かなければならない。でも……別の理由だったとしたら?
不安をお腹の底に感じ始めると、我慢できずに直接電話を掛けてみる。
だが、返ってきたのは『お掛けになった電話番号は、現在電源が入っていないか、電波の届かないところにあります』という自動音声のみだった。
充電が切れてしまい、今だけ電源が落ちているのかもしれない。そうだったらいい。けど、そうじゃなかったとしたら……?
「なに、これ……」
最早動揺を抑えることも叶わず、震える指先でもう一度チャットアプリのメッセージを確認してみたが、やはり既読は付いてなかった。『これから駅前に向かいます』という旨を追加で送信し、アプリを終了した。
鞄を両手で抱くと、ガタンと音が立つほど乱暴に椅子を引いて立ち上がる。喉の奥が、カラカラに乾いてしまっていた。
「すいません、未来さん。少し早いのですが、このまま上がらせて貰います」
「最近、誘拐事件が起きたばかりだから、帰り道に気をつけてね?」
先日、テレビで報道されていた事件を例に挙げて、未来さんが注意喚起をしてきた。
「私を
軽口を叩いてみせたが、文字通りのカラ元気に過ぎなかった。ゆらりと覚束ない足取りで部室を出ると、昇降口を目指して走り始めた。
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