Part.32『三田優香』

 週末。私と先輩の二人は、先日と同じ喫茶店で、芳香さんの姉、優香ゆうかさんを待っていた。

 時刻は十四時。昼時の慌ただしさもようやくピークを過ぎ、客足がまばらになってきた頃合いだ。閑散とした店内によく合う、落ち着いた曲調のクラシック音楽が流れていた。

 私がブレンドコーヒー、先輩がレモンティーを注文をしてテーブルに揃ったタイミングで、入り口の扉に括り付けたベルが鳴ると、清涼感漂う白いワンピースを着た若い女性が店内に入って来る。

 ヒールが床を叩く音がコツコツと響く。私の前までやって来ると、女性はぺこりと頭を下げた。


「芳香の姉の三田優香みたゆうかです」


 彼女が頭を下げる前から、優香ゆうかさんであろう事は確信してた。何故ならば彼女の外見、先日会った妹の芳香さんと瓜二つなのだから。

 二人の相違点といえば、精々髪型──芳香さんはポニーテールなのだが、優香さんは彼女より髪が長く、首の後ろで一本に結わえている事──くらいだろうか。

 これでは確かに、見間違うのも無理はなさそう。


「はじめまして、私──」


 呼び立てした以上、すぐ用件に入るのが礼儀と発した声は、直後に感じた強い驚きで弾けて消える。立ち上がろうとテーブルの上についた手が、コーヒーカップにぶつかりカチャリと耳障りな音が立つ。


「どうした? 咲夜」

「あ、いえ。なんでもありません」


 心配そうな顔で、先輩がこちらを覗き込んでいた。

 私がこんなに狼狽えてしまった理由。それは、彼と同じように困惑した顔を向けてくる優香さんの頭上に存在していた。

 一度顔を伏せ、深呼吸をしたのち確認の意味をこめて彼女の頭上に目を向ける。

 間違いない。

 一、という無慈悲な数字が、じろりと私を睨んだようだった。彼女の寿命、何度確認してもだ。

 どうして……? 心は強く波立ち呼吸は浅くなる。動揺が表に出ないよう表情を殺して、先輩に続いて自己紹介を済ませる。私の顔、青褪めていないだろうか。


「先日は妹がお世話になったようで」


 優香さんは私達の向かい側に席を取ると、店員にカプチーノを注文した。


「失礼ですが、芳香さんと双子ではないんですよね?」


 先輩が目をしばたかせながら確認を求める。


「いえいえ、そんな事はありませんよ。私達姉妹を詳しく知らない人からは、よく疑われるんですけどね」


「声までそっくりだな」

 と先輩が耳打ちをしてくる。

「そうですね」

 と小声で同意したのち、彼の耳元にそっと唇を寄せた。


(驚かないで聞いてください。優香さんの寿命、一年になってます)

 先輩が、驚きで目を丸くした。

(どうして!? 彼女も妹と一緒に、事件に巻き込まれるってことかい?)

(そんなことは分かりません。ただハッキリと言えるのは……彼女らの周辺で、何らかの事件が起きる可能性が、より強まったということです)

 違いない、と先輩は、神妙な面持ちで呟いた。


 不安を中和する目的でブレンドコーヒーを口に含む。高級な豆を使っているのだろう、コクが深くて見事な味わいだ。だが、味や香りを十分に堪能している場合じゃない。私は早速、話の本題を切り出した。

 先日、妹の芳香さんに接触した理由。私が持っている能力の詳細について、順序立てて説明していった。彼女は特に驚いた様子も見せず、静かに耳を傾けていた。たぶん妹の芳香さんから、ある程度事情を聞かされているのだろう。


「ストーカー被害を受けるようになった経緯を、話して頂けないでしょうか?」

 

 やはり話しにくい話題なのだろう。私の問い掛けに暫し逡巡する仕草を見せたのち、優香さんがゆったりとした口調で語り始める。


「私があの人、和也と交際を始めたのは、今から一年ほど前のこと。大学のサークル活動で知り合ったのが切っ掛けでした。彼の実家は、裕福なんでしょうね。財布の中には常時札束が詰まっている程でした。誕生日など、何かの節目にあたる機会には、高級ブランド品を買ってくれたりもしました。……これだけを聞いていると、とても良い人のように思えるでしょう?」

「それは、まあ」

「しかし彼の本当の姿は、とても嫉妬深くて暴力癖のある男だったんです」


 ストーカーに変貌する男に、ありがちな性格だと思った。なまじ家庭が裕福であるが故に、独占欲が強いのかもしれない。


「今年の春のことでした。あまり高額なブランド品ばかりは受け取れません、と私が断ると、『どうして俺の気持ちが受け取れないんだ』と激昂して壁を殴りつけました。それから次第に、彼の束縛が強まっていきます。ある日彼のマンションにお邪魔すると、関係を持っているところをビデオカメラで撮影しようとしました。私がそれは嫌だとハッキリ拒むと、『お前の家族がどうなっても知らないぞ?』と脅し紛いの事を口走り、私を殴ったんです」


 ここで一旦、気持ちを落ち着かせるように彼女は言葉を切った。


「彼が暴力にうったえたのは、この時が最初でした」


 暴力癖に、仄めかす家族への報復行為。

 ここまでの話を聞いて、芳香さんが狙われる理由が、の二つに増えたことに気が付いた。こうなってくると実に厄介だ。事件が起こる場所とタイミングが、より幅広くなってしまう。

 しかも──ちらりと優香さんの頭上に目を向ける。

 二人同時に事件に遭う可能性まで、考慮しなくてはならなくなった。


「それから頻繁に、彼はスマホに電話を寄こすようになりました。私が電話に出られなかったりすると、声を荒げて怒りました。次第に恐ろしくなって電話の着信を拒否すると、今度は友人のところに電話をかけました。余りにも異常な愛に耐えられなくなった私は、一ヶ月程前にファミレスで別れ話を切り出します。当然のごとく彼は激昂しましたが、勇気を振り絞って彼から贈られた物全てを叩き返すと、そのまま逃げるように店を出ました。……それからです。彼が私を尾行したり、自宅への無言電話を繰り返すようになったのは」


 先輩が、極限までひそめた声で彼女に尋ねる。


「もしかして……今日もつけられているんですか?」

「分かりません……。ですが、可能性はあります」


 優香さんは視線だけを周囲に配ると、苦みばしった顔で頷いた。


 私も彼女に倣い、ごく自然を装って店内に目を配ってみる。

 だが、店の中にくだんの和也さんは居ないだろう。ストーキングされている可能性を考慮して、先程から店を出入りする客をチェックし続けていたが、二〇代から三〇代、かつ、一人又は二人の男性客はいなかった。

 彼女が言う通り彼が潜んでいたとしても、それは店の外のどこかだろう。


「これが、私に出来るお話の全てです。近いうちにもう一度、警察署に相談に行こうとは思っているんですが……」


 彼女は項垂れると、全身で吐きだすような深い溜め息をついた。


「そうですね。是非、そうして下さい」と先輩が苦々しい顔でいう。「俺達は優香さんの話を聞くことによって何か助言できるかもしれませんが、それが精々です。この先和也さんが何がしかの凶行に走ったとしても、未然に防ぐ手段も裁く力もありません。実に歯がゆい話ではありますが、最終的には、警察に動いてもらうほかないんですよ」

「そうですよね」


 落胆してみせる優香さんに、ところで、と先輩がなおも続ける。


「優香さんのご実家は、もしかしてあの三田財閥ですか?」


 彼女は驚いた顔をしたのち、ふふ、と笑みを零して肯定した。


「その通りです。いらぬ妬み嫉みを呼び込むことが多いので、自分から名乗ることは滅多にないのですが」

「やっぱり、そうか」


 納得顔で頷く先輩の耳元で、私は囁いた。


「有名なんですか? その……三田財閥って」

「咲夜……。テレビコマーシャルで一度くらい見たことあるでしょ? 三田グループの名前は」

「三田グループ?」


 呆れ顔に変わった先輩を見ながら思案する。やがて、思い当たる節があった。


「ああ、あの! 石油、金属、電子産業まで幅広く手掛ける、三田財閥グループのことですか!?」


 私がわなわなと口元を震わせて尋ねると、優香さんは曖昧な笑みを浮かべて頷いた。

 三田財閥。前出した通り、石油、金属、電気部品から金融まで幅広く事業を展開する日本でも有数の財閥である。なんですか、優香さんも芳香さんも生粋のお嬢様じゃないですか! 灯台もと暗しとでもいうのだろうか、話のスケールが大きすぎて逆に思い当たりませんでしたよ。

 つまり関係が拗れてしまったとはいえ、元々金持ち同士のカップルだったということです。途端に、自分とは住んでる世界が違う人に見えてきた。


「怖気づくなよ、咲夜」

 平静を装ったつもりだったが、先輩には見破られていた。

「たとえ相手がお嬢様だろうとなんだろうと、同時に一人の人間であることに相違ない。無論、ストーカー被害だって許す訳にいかない」

「そんなこと、分かってますよ……」

「もっとも、三田グループの会長は兄弟が多い人なので、私の家などは末席もいい所ですけどね」


 優香さんは謙遜した口調で言うと、気を紛らわす目的だろうか。カプチーノの入ったカップに軽く口をつける。


「ところで、問題の和也さんの自宅マンションって、どの辺りになりますか?」


 先輩の問い掛けに、優香さんは小首をかしげた。

「和也の家ですか?」と呟いた後に彼女が発した住所をメモに取りながら、「俺の家と比較的近いな」と先輩が顎に指をそえ思案する。


 ここまでの話を丁寧にメモに取り、頭の中で情報を整理していく。

 先ず気になるのは、和也さんの想像を上回る異常性。これでは、いつ何時なんどき凶行に走るか予測できないし、相応に、時間的猶予もなさそう。

 次に、姉である優香さんまで寿命が一年だった事。二人の周辺で事件が起こる可能性はより強まった。

 とは言え、私の能力では彼女らの死因を特定できない。和也さんは、本当に凶行に走るのか? それは何時なのか? そもそも動機とは? 何を考えた所で推論の域をでない。

 どちらにしても今やるべき最優先事項は、彼のストーカー行為を止める事。


 しかし、ここで浮上してくるのが最大の問題点。


 現時点で警察を積極的に動かす理由が存在しない。犯罪に繋がりかねない深刻なストーカー行為があることを、警察にうったえる材料が必要だ。


 ──よし。


 考えを纏め終えると、先日店長から借りてきたボイスレコーダーを、優香さんの前に差し出した。


「これは?」

「ペン型のボイスレコーダーです。次に彼が接触を図ってきた時、これで会話を録音して欲しいんです」


 実際に触りながら、操作方法を説明していく。


「使い方には細心の注意を払って貰う必要があります。万が一にも録音していることを勘付かれた場合、少々厄介な事態になりますからね。でも、これで決定的な証拠を掴むことができれば、きっと警察を動かす為の材料になるはずです」


 優香さんはレコーダーを手に取って、緊張した面持ちで形状や操作方法を確認していたが、やがて決心したように頷いた。


「わかりました。やってみましょう」


 これで私に打てる手は全部だろうか。

 本音を言うと、レコーダーを使って貰うことへの不安はあった。だからギリギリまで、出すかどうか迷っていた。相手の感情を逆撫でして事態が悪化することも、十分に考えられるのだから。

 だが、それでも……切迫した状況にあることを警察にうったえて重い腰を上げてもらうのが何よりも肝要。


 優香さんと連絡方法を交換し合ったのち、私達は喫茶店を出る。

 その時、背後から視線を感じて私は振り向いた。


 ──誰?


 噂の和也さんだろうか?

 それとも、気のせいだろうか?

 休日の昼下がりは歩道を行き交う人と車も多く、それとなく視線を飛ばすも、やはり特定には至らない。

 もし、和也さんであったなら、余計に怪しい動きは見せない方がいい。さり気無く顔を正面に戻すと、先輩が思いついたように優香さんに尋ねた。


「つかぬ事を伺いますが、和也さんって眼鏡をかけていますか?」

「はい、その通りです。よく分かりましたね?」

「ああ、なるほど。いえ、深い意味などありません。俺は眼鏡フェチなもので、なんとなくどうなのかな、と気になっただけですよ」

「そう、なんですか」


 優香さんは不思議そうな顔で首を傾げた後、「ああ」と思いついたように私の方を見て、それから「うふふ」と意味有り気に笑った。

 なんですか、この話の流れは。これではまるで、先輩の眼鏡フェチを理由に私達が交際してるみたいじゃないですか。私の本体は眼鏡じゃないんですよ? なんとなく──釈然としない。


 今度こそ優香さんと別れる。


「ところで先輩」


 彼女の姿が完全に見えなくなってから、私は彼を詰問した。眼鏡フェチの件は一先ず脇に置いときますが、もう一件あるんですよ、先輩。


「はい」


 なぜに敬語? コイツ流れる嫌な空気を察して、予防線を張りやがったな。


「ここ最近、五十嵐電気店に行きましたよね?」

「え、ああ──行ったけど。それがどうかした?」


 声が裏返った。どうやら、後ろめたい事柄に思い当たったらしい。

 咳払いをひとつ挟み、更に続ける。


「私と交際を始めたこと。その顛末等々を、嬉々として報告してきたでしょう?」

「え? いや……あ……ははっ。……はい、すいません」

「……死ね」

「ちょっと待って咲夜さん、いつもより言葉が強くなってませんか? 気のせいですかね? そこは死んで下さいで、お願い出来ませんかね?」

「うるさい黙れ、死ね」


「待ってくれ、物の弾みだ」「聞かれたついでだ」「悪気はなかった」「ごめん、愛してる」と弁解を続けながら追いかけてくる彼を置き去りにして、どんどん歩いて行く。

 慌てるように私の手を握り締めた先輩の顔を、首だけを回して睨んだ。唇は乾いてカラカラになってるし、おまけに顔面蒼白だ。


「あはははっ」


 この世の終わりを思わせる悲壮感漂う表情に、堪えきれずに噴きだした。


「眼鏡フェチの話、ホントですか?」

「ああ、嘘じゃない。その眼鏡、似合ってると思う」


 そのうちコンタクトにしようかな、と思いつつ決めあぐねていた悩み事を、そっと心の奥底に仕舞い込んだ。


「さっきの愛してるって話、本当ですか?」

「もちろんだよ」


 言いながら彼は握っていた私の手を離すと、背中に手を回そうとして躊躇いがちに手を伸ばしてくる。けど、なにかに怯えるように引っ込めて、兎に角、落ち着きなく両手を虚空に彷徨わせた。


 ──ほんとにもう。肝心な所でヘタれるんだから。


 しょうがないですね。私の方から抱きつくと、目一杯背伸びをしてキスをした。

 私が百五十四センチなのに対してあなたは百七十二センチ。身長差、結構あるんですからね。私の本音、察してくださいね?


「冗談ですよ、先輩。そんなに怒ってませんから」

「ごめん、俺が悪かったよ」


 殊勝な態度で頭を下げる彼が愛おしくて、抱きしめる腕にも力がこもる。


「だいたいです。そんなに目の前で弱られては、許さない訳にいかないじゃないですか……」


 一度離れると、今度は彼のほうから唇を重ねてきた。そうして私達は、人目も憚らずに互いの身体を寄せ合うと、二人だけの逢瀬を楽しんだ。


 でも、今になって思う。彼が言ったという言葉の意味を、もう少し掘り下げて考えておくべきだったと。

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