Part.31『ボイスレコーダー』

「いらっしゃい……って、なんだ咲夜ちゃんか」

「何だとはまた随分ですね。三度目ともなると、そんな反応になりますか?」

「だってさ」と店長が肩をすくめる。「どうせまた、冷やかしなんでしょ?」


 商店街にある寂れた電気屋。

 店の奥にあるレジ横に座っていた五十嵐店長は、いつも読んでいるスポーツ新聞を畳んで脇に退けながら、私を迎えた。


「それで、今日はどんな用事なんだい?」

「今日はちゃんと客ですよ。小型のボイスレコーダーを探しているんです」

「ボイスレコーダー?」と私の言葉を反芻しながら、店長は立ち上がった。


 雑多に積み上げられた箱の山を、ひっくり返すように探し始める。箱を動かすたびに激しく舞い上がる埃。掃除と整理整頓のアルバイトを申し出たら、時給幾らで雇ってもらえるかしら、と私は思う。


「どんなのが欲しいの? 録音音質、形状、予算。色々と条件はあるけど」


 探し物の手を一旦休めて、店長が振り返る。


「そうですね……。音質は、数メートル距離が離れていても、対面している人物の声が十分拾える程度。後は、なるべく低価格で。ついでに言うと、ペン型が望ましいです」


 頭に浮かんだ条件を並べ立てると、店長が露骨に渋い顔になる。


「そこそこ難しい条件だね」

「難しいでしょうか? 予算は五~六千円ほどなんですが……」


 気後れしながら言うと、ん~……と思案したのち、店長はペン型のボイスレコーダーを箱の山から発掘した。


「これがたぶん、お嬢ちゃんの言っている性能を満たすものだ。但し……」と店長は、指を一本立てた。「値段はこの位だ。簡単に言えば、予算の倍」

「ああ~……そうなんですね。こりゃ弱ったな」


 高校生の小遣いではやはり少々苦しかったか、と項垂れてしまう。


「こんなもの、何に使うんだい?」


 ペン型のボイスレコーダーを指先で器用に回しながら、店長が尋ねてくる。


「ごめんなさい、それはちょっと言えないんです」

「女子高生の秘め事なんて、夜の情事だけにして欲しいもんだ」

「セクハラですよ」


 私が非難めいた口調で言うと、彼は「すまん」と呟き背中を丸めた。それはどことなく今泉先輩と似ている仕草で、思わず可笑しくなった。


「もしかして、使うと言っても一時的なもの?」

「よく分かりましたね。実はその通りなんです」


 相変わらず店長は鋭かった。最初からそう伝えるべきだったかな、と軽く後悔してしまう。 

 そこで私は、差し支えのない範囲で事情を説明していった。三田優香さんという女性がストーカー被害に遭っていること。私達が、その件に首を突っ込もうとしていること。


「三田……?」

 その時、店長の顔がさっと真剣なものに変わる。

「どれくらいの期間、使うの? ボイスレコーダー」

「そうですね……」


 期間、か。ストーカー男がなんらかの形で優香さんに接触を図り、同時に、被害があるという証左を記録として残せるまで──。

 

「たぶん、長くても一ヵ月か二ヶ月程度かと」

「な・る・ほ・ど・ね」とわざとらしい口調で呟くと、店長は立ち上がり店の奥に消えて行った。


 さっきの反応、なんだろう。顔色が変わったように見えたけど、気のせいだろうか。そんな事を思いつつ、彼の背中を見送った。

 ややあって店長は戻ってくると、先程の物と非常に良く似た形のボイスレコーダーを差し出してくる。


「これは?」

「同型の中古品だよ。これでも良いなら、好きなだけ貸してやるよ」

「いいんですか?」


 謙遜しながらレコーダーを受け取ると、手の中で形状を確かめるように触ってみる。見た感じ、なんの変哲もないボールペンだ。こんな物が一万円もするなんて、足元見られた価格設定だよね。


「なんだか結局、冷やかしになっちゃいましたね」

「なあに、構わんってことよ。お嬢ちゃんが大人になったお祝いだ」

「すいません、ありがとうございます」


 深々と頭を下げてから、なんとなく文脈に違和感を覚えて、ぎこちなく顔を上げた。


「今、なんて言いました?」

「そうだ、すっかり失念していたよ。来たついでにコーヒーでも飲んでいくかい?」


 店長は、私の問い掛けを華麗に受け流した。


「お気遣い痛み入ります。遠慮なく頂きます。それはそうと……」

「当然、ミルク入れるよな? お嬢ちゃんは、甘~い味が好みだもんな」


 被せ気味に店長が言った。どういう訳か、上機嫌だ。


「はい。……はい? いえ、極度に甘いものは苦手ですよ。まあ、コーヒーに限って言うならば、ミルクが入った甘めの物も好きですが……そういう話でも、なさそうですね……?」

「ははは、勿論だよ野暮な事は言わせないでくれ。ほら、色々言うじゃないか。しょっぱい涙の味がしたとか、切ない恋の味がしたとかさ。恋の味って何味だよって笑っちまうよな」


 店長はガハハと愉快そうに笑うと、一転して興味津々という顔で問いかけてくる。


「で?」

「……で?」


 意味が分かりません、とばかりに問い返した。


「実際のところ、どうだったんだ? 初めてのキスの感想は? 甘~い味がしたんだろう?」

「は? はあっ……!?」


 取り乱したように私が立ち上がると、途端に店長は「あれ? まずかったかな」という表情に変わる。気まずい空気から逃げるように、店の奥に引っ込んで行った。

 いや、この際それはいい。今頭の中に浮かんでいる疑問を、店長に問い質すつもりはないのだから。そんなことよりもだ……私は、声にならない悲鳴を上げた。


* * *


 黄昏時迫る街角。歩道に長く伸びる自分の影。

 五十嵐電気店からの帰り道。私はふと、視線を感じて立ち止まった。


 ──なに?


 無意識のうちに他人に視線を飛ばす悪癖がある関係上、私は、視線を向けられることに対して過敏である。

 たぶん、気のせいじゃない……。今、誰かが私を見ていた。

 周囲から不審がられぬよう、歩みを再開しながら視線を左右に走らせる。

 夜の帳が降り始めた駅周辺の商店街は、帰宅の途を急ぐ学生やサラリーマンで一杯だ。残念ながら、誰が私を見ていたのか、特定するのは困難そう。


 自意識過剰だろうか。なに、深い意味などなかったのだろう。

 軽く頬を叩くと、足早に自宅を目指した。

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