第四章「三田姉妹の事件録」
Part.30『姉妹』
真昼の住宅街は、なんとなく作り物めいて白々しい。
綺麗すぎる外壁。よく手入れされた庭。二階建ての住居が整然と居並ぶ景観は、匂わせる生活感とは裏腹に、人の姿がまったくない。このご時世、共働きの家が多いのだろう。実際、夜になるまでこの辺りの家々は無人だ。そのため余計に、精巧に作られた舞台セットみたいに見える。
そんな、学校からほど近い場所にある住宅街を、私達三人は歩いていた。もっとも、物陰に身を潜めながら怪しく進む三人の姿は、舞台に上がった役者というより、彼らを裏から支える黒子のイメージに近いだろうか。
「あの子だよ、ポニーテールの女子高生。彼女が寿命一年の人物」
物陰から顔を覗かせるて、五十メートルほど前を歩いている女子高生を指差した。
「あの制服、梓さんが通ってる女子高のやつだね」
今泉先輩は声を潜めつつも、私の言葉に情報を付け加える。なるほど、どこかで見たことがある制服だとは思っていたんだ。
「女子高生かあ……」と私たちの間から、明日香ちゃんも顔を覗かせた。「死因は事故、もしくは事件くらいしか、思い浮かばないよね」
下校途中に寿命一年の女子高生を偶然みつけ、見過ごすわけにもいかず尾行している最中だった。部活動休養日なので、夕方にはまだ早い時間帯だ。
歩道の脇に植えられた垣根の隙間から、怪しげに顔を覗かせた私達。垣根の後ろで身を寄せ合っているため、体勢には無理が生じていた。
「なんか、狭いんだけど」
不満そうな声を先輩があげる。まったく、この程度で堪え性の無い人ですね、と思わず眉を潜めてしまう。第一、私の方が大変です。スカートから覗いた素足に垣根の小枝がチクチク触れて痛いんです。それに、私の胸が背中に当たってるんだから嬉しそうにしなさい。
「女子高生の身体が密着してるんだから、そこは喜んでおきなさい」と私が堪えきれずに反論すると、彼は真顔で言った。「ボリューム感が足りない」
「やかましい」と思った。いや、声に出てた。
失礼ですね、これでも少しくらいは出ています。隣にいるナイスバディ美少女と比べないで下さい。
窮屈な姿勢のなか顔だけを出して、なおも様子を窺い続ける。問題の女子高生は、同じ制服を着た友人と二人で歩いている。方角から推測すると、先輩が何時も利用している駅周辺を目指しているようだ。
「どうしよう、声をかけてみようかぁ?」
いささかも悩んでなさそうな口調で明日香ちゃんが言う。流石、マイペース美少女。
「うーん、どうしようか。彼女の寿命は明滅しているわけでもないし、色味も失われてはいない。だからここ二~三日の問題ではないと思うけど、名前と住所くらいは訊いておきたいかな」
二~三日かどうかなんて、なんの根拠もないですけどね。
ふむ、と先輩が頷いた。
「今日中に訊いておいた方がいいだろう? うちの学校の生徒じゃないんだし」
確かに彼の意見はもっともだ。他校、しかも四駅先にある学校の生徒なのだから、家だって恐らくこの近所ではないだろう。このタイミングを逃してしまうと、彼女が事件か何かに巻き込まれるまで、再会できなくなる可能性は十分ある。
後日、テレビのニュースか何かで彼女の死を知ることにでもなったとしたら、なんとも後味が悪い話。
「そうと決まれば」
呟きと同時に、先輩は飛び出して行った。何故か、腕まくりをしながら。
「ちょっと……。もう、しょうがないなあ……」
実際彼はこんなところがある。落ち着いた風貌とは対象的に、その行動理念は実に唐突で考えなしだ。精密なプロットを組み上げて執筆する物書きの人とは到底思えません。
やれやれと嘆息しながら、二人で彼の後を追いかけた。
一度決めたら、忍び足なんて必要ない。私は一気に二人との距離を詰めて行く。突然背後から響いてきた足音に驚いたのだろう。女子高生二人が勢いよく振り返った。
「あのう……ちょっと……いいですかぁ……?」
一番最初に到達した先輩が、息も絶え絶えに話しかける。緊張しているのか、息が上がっているせいか、声はやたらと掠れていた。まるで怪しい勧誘か何かのようです。
案の定、女子高生らの顔に、サっと警戒の色が浮かぶ。なにか恐ろしいものでも見たような怯えた眼差し。
これはダメだと判断して、私は先輩を押し退けて前に出る。
「邪魔です」
「ひでぇ」と先輩が抗議の声を上げた。
「あの──」
寿命一年の女子高生は、警戒の色を崩さす硬直していた。一方で、長髪を首の後ろで一本に結わえた友人の方は、私の顔を凝視した。
「あ」と私と友人の声が揃った。
「誰かと思えば」と、また声が揃った。
「どんな怪しい人が来たかと思ったら、加護さんじゃないですか」
私達のやり取りから状況を理解した先輩と明日香ちゃんも、同じように「ああっ」と驚きの声を漏らす。
友人の方の女子高生は、先日私たちが命を救った女性、高橋三枝子さんの一人娘、梓さんだったのだ。
* * *
立ち話も疲れるだろうと考えて、私達は場所を変えることにした。
やって来たのは駅前の喫茶店。正午をかなり過ぎた昼下がり、当然の如く店内は閑散としていた。というか、私達以外に客はいなかったのだが。
店内にはカウンターと複数のボックス席がある。日当りの良い窓際の席を選んで、私達は腰を落ち着けた。
「先輩はそこのカウンター席に、一人で座って下さいね」
私が冷めた口調で言い放つと、彼はこの世の終わりみたいな顔をした。
「え、なんで?」
「当たり前でしょう、このテーブルは四人掛けなんだから」
まあ、それ自体は嘘ではない。
けど、本当の理由はちょっと違う。彼は喫茶店に着くまでの間、ずっと眼を細めてにへら笑いを浮かべていた。コイツ絶対にハーレム状態だとか思って、
なので、ちょっとしたお仕置きのつもりだった。私を見てニヤニヤするのもムラムラするのも構いませんけど、どうして他の女の子を見てニヤつきますかね!
苛立ち混じりに椅子を引くと、どっかりと腰を下ろした。
「あ、あれ──加護さん、もしかして機嫌悪い?」
早速梓さんに、気を遣わせてしまった。
「ご、ごめん、何でもないよ」
やがて、注文しておいた飲み物が、テーブル上に揃った。運ばれてきたカフェオレを一口啜った後、私の方から話を切り出した。
「ところで梓さんは、どうしてあんな場所に居たんですか?」
「母親のアパートに届け物の用事があったからね。その後で暇な時間ができたから、駅前にでも行って時間を潰そうかと思ってたんだ」
なる程。何故遠く離れた場所にある他校の生徒が、こんな辺鄙な住宅街を歩いているのかと疑問だったが、これでようやく合点がいった。
彼女いわく、あれから梓さんの親権を巡って調停となり、近々母親の籍に移ることになるかもしれない、とのこと。
「それでも、お父さんが私の父親であることに変わりは無い──と、思ってはいるんだけどね」
「それは、そうですよね」
例えどんな結果になったとしても、双方が納得できる形を見つけて欲しいと私は切に願う。
「ところでさ、加護さんの通ってる学校って、本牧山頂公園の近くにある公立校でしょ? あそこ意外と偏差値高いよね。……頭いいんだ」
梓さんが、瞳を細めて私を見る。
「いやいや──私なんか、全然ですよ」
「またまた謙遜して。去年の青校の偏差値、県内公立校で四番目だったよ?」
私が恐縮して背を丸めると、「それで?」と梓さんが直ぐに話題を切り替えた。
「実際のところ、こんな雑談に興じるために、声をかけてきた訳じゃないんでしょ?」
「はい、その通りです」
私の能力を他人に告げる時、信用して貰えるかどうか。これが一番の障害になる。なので、一度接触をして私の事情を部分的とはいえ知っている梓さんが同席しているのは、幸いとしかいいようがない。
「他人の感情がわかるんだっけ? つまり、私か
「
瞳が大きくて、快活そうな見た目の女の子だ。頭を下げた拍子に、ポニーテールが楽し気に揺れた。
もう一度芳香さんの頭上に目を向けてみたが、何度確認をしても一年で間違いない。どうしてだろう、と首を傾げてしまう。こんなに健康そうな彼女なのに。
突然、視線を逸らしたことを怪しんだのだろう。芳香さんの顔が怪訝そうなものに変わる。マズイマズイ……いつもの悪癖だ。警戒を解く目的でしっかり目線を合わせてから、私は続きを話した。
「私、加護咲夜といいます。宜しくお願いします」
自己紹介を済ませた後に、明日香ちゃんと先輩を順番に紹介していった。二人も芳香さんに頭を下げる。
「それで、この際なので本当のことを言いましょう。私には、他人の寿命が年数で見えるという特殊な能力があります。そして今現在、芳香さんの寿命は極端に短くなっています。その事実に気がついたので、私達は声を掛けました」
包み隠さず伝えてみると、芳香さんが困惑した顔に変わる。一方で梓さんは、口に手を当て驚いた。
「へえ……そういうトリックだったんだ」
「手品じゃないので、タネも仕掛けもありませんけどね」
梓さんの発言を笑い飛ばすと、芳香さんは「本当なの?」と疑うような目を向けてくる。それはむしろ、ごく自然な反応だろう。
「あたしもね、最初は信じられないと思った」と梓さんが口添える。「でも、きっと本当なんだよ。彼女が異常に気付いてくれたからこそ、あたしの母親だって救われたと思うんだ」
信じられないという、という疑念を顔に張り付かせたまま、芳香さんは「ふ~ん」と呟いた。私の顔色を必死に窺い、真意を探ろうとしているようですらある。
「何か悩んでいる事とか、困っている事とかありませんか? 自分のことでも『家庭』のことでも何でも良いので」
明日香ちゃんが口を挟んでくると、芳香さんは腕組みをして黙考した。
時計の秒針が半周するくらいの間、沈黙が漂った。
「別に何も無いかなあ。──あ……一つだけあるか」
「一つだけ?」
私が身を乗り出すと、芳香さんが「うん」と頷いた。
「私には三つ年上の姉がいるんだけど、一ヵ月ほど前から、ストーカー被害に悩まされてんのよね」
「ストーカー被害ですか?」
「そうそう。姉は一年くらい前から同じ大学の男性と交際してたんだけど、別れ話のもつれから嫌がらせを受けてんの。今のところ、たいした被害は起きてないけど、たびたび後を着けられたり、無言電話が何度もかかってきたりと、次第にエスカレートしてんのよ」
「その事、警察には相談したのかい?」
先輩が、真面目な顔に変わる。
「したよ。──でも、今のところ何も被害が出てないからって、イマイチまともに対応してくれないみたい。適当に話を聞いて、後は経過を見守って下さい。概ね、そんな感じ」
コーヒーカップに口をつけながら、芳香さんは軽い口調で言った。
「そんなものなの? 警察はあくまでも犯罪を取り締まる組織だから、事件が起こらないと動けないの?」
不満げに下唇を付き出した明日香ちゃん。彼女が憤るのも、無理もない話。
「そうかもね……。罪として裁くことができる犯罪行為がないと、基本的に警察は動いてくれない。例えば、
「無言電話であっても、それが原因となって精神を患うようなことがあれば、
と先輩が、私の発言に補足した。
「そういうものなんだ」
明日香ちゃんが、憤慨した顔で溜め息を吐いた。
「何か起こってからじゃ間に合わなくなるのに、本末転倒だね」
実際、彼女の言う通りだ。
軽めの迷惑被害で留まっているうちは罪に問えないので、警察としても動き辛い。何らかの問題行動を相手側が起こしてくれれば、状況証拠を掴むなり、現行犯で抑えることができて話も変わってくるのだろうが。現実には、その段階で手遅れになっているケースも多々あるだろうし、本当におかしな話である。
とはいえ、冤罪事件の多さを考慮に含むと、及び腰になるのもしょうがないこと。さて、どうしようか……。
三田家に纏わる問題点は、今の所このストーカー被害だけか。そして被害者は、寿命一年の芳香さんでは無く姉の方なのだ。これはいったい、どういうことなんだろう?
──あ……もしかして?
「ごめんなさい。芳香さんの姉の、え~と……」
私が言いよどんでいると、芳香さんが得心したように手を叩いた。
「あ、姉の名前かな? 優香だよ。
「その優香さんですが、芳香さんと容姿が似ていたりしませんか?」
「……よく分かったね?」
梓さんの顔が、驚きに染まる。
「芳香はお姉さんと外見が瓜二つなんだよ。二人をよく知っている人じゃないと、見分けが付かないかもね」
──なるほどね……これで少しは事情が呑み込めてきた。あまり突飛な推論をしたくないが、頭の隅に留めておく必要はある。いや……案外、的を射ているかもしれない。
私がうーんと唸っていると、テーブルの下で明日香ちゃんが脇腹を小突いてきた。
(これってさ、もしかしてアレだよね。なんて言うんだっけ? こういう事件)
(うん、今のところは憶測でしかないけど、人違い殺人の可能性がある)
ストーカー被害が深刻なものに発展した後、優香さんと芳香さんを誤認して凶行に走るのではないか、という予測だ。むろん今は可能性の話でしかないが、この推論が当たってたとしたら、それはとんでもない事だ。
その後、芳香さんに身の回りに注意するよう呼びかけると、今週末、同じ場所で姉の優香さんと会わせて貰う約束を取りつけた。
別れ際、全員で連絡先の交換を行ったあと、喫茶店の前で解散した。
彼女らの姿も見えなくなり人心地ついたころ、先輩が、幾分か気後れする調子で話しかけてきた。
「なあ、咲夜」
「はい」
「寿命の話なんだけど、極端に短くなっている、なんて伝え方で良かったの?」
「ああ。中途半端な表現かな、とは思いましたけど、過度な不安を抱かせたくなかったもので。流石に一年とは言い難いですよ」
確かに、と彼は頷いた。
「それと、今回の件は、ちょいとばかり厄介かもしれないな」
「そうですね……」
同意した私の声も、自然と沈む。
「ストーカー犯が何らかの怨恨で芳香さんを狙うのか、それとも優香さんと誤認した結果そうなるのか、もしくは全くの第三者による犯行、または事故なのか……分からない事が多すぎます」
「可能性を探り、絞っていくしかないね」
明日香ちゃんが締めくくるように言うと、三人は無言で頷いた。
解決策を導き出せない私達を嘲笑うかのように、寒々しい夕暮れ刻の風が吹く。辺りは次第に、暗くなり始めていた。
兎にも角にも先ずは警察に動いてもらって、ストーカー被害をなんとかしない事には解決の糸口は見つからないだろう。その為に必要不可欠なのが、被害の深刻さを訴える状況証拠。
そう考えた私は二人と別れた後、
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