Part.25『未来の気持ち』

 次の日から、未来さんは部室に顔を出さなくなった。


 文芸部の雰囲気は、元々そんなに賑やかな方じゃない。もちろん部員同士の会話がない、という話ではなく、部活動の性質上、無闇矢鱈むやみやたらと騒ぎ立てたりはしないということだ。

 しかし今日ばかりは、流石に勝手が違った。

 普段と変わらない空気が流れているように見えて、その実、張り詰めた緊張感が漂っている。今泉先輩はあれ以降、未来さんの名前を口にしなかったし、他の部員としても厄介事には首を突っ込みたくないというのが本音。

 なるべく考えないようにしよう、と私も務めていたが、未来さんが不在である事。部室の空気が澱んでいる事を感じ取ると、先日の出来事は夢でも妄想でもなかったんだと心が沈んでしまう。意識しないようにする、ということを意識している状態。もはや本末転倒である。

 こんな時一年生である私が、気の利いたジョークの一つでも言って場を和ませるべきなんでしょうけど。


 ──残念ながら、柄じゃないんだよなあ……。


 更に数日後。私は部長に、それとはなしに今回の騒動について相談を持ちかけた。どうやら部長独自の判断で二人から事情を聴取し、厳重に注意をしてくれたらしい。

 意外と使えるじゃん、と初めて部長を尊敬した。


「けれど」

 と部長は神妙な面持ちで言った。

「確かに生天目君のしたことは褒められた行為ではない。だがそれは、文芸部の活動とは離れた場所で行われたこと。僕は部長として注意はしたが、これ以上二人の問題に立ち入ることは出来ない」

「まあ、それはそうですよね」

 でも、と私は続ける。

「……まだ未来さんから、文化祭用の原稿、上がってきてないんですよね? このまま間に合わなくなったら、どうするんですか?」

「いかにも。そして君からも、まだ上がっていない」

「す、すいません……」


 仰々しく頷いた部長の声に、無意識のうちに胸元のリボンを弄っていた。

 藪をつついて蛇を出すとは、まさにこのことである。


「とは言ったものの、確かに加護君の指摘はもっともだ。今泉君の執筆も捗っていないし、このままだと二人は共倒れになり兼ねない。仮にそうなると──文化祭用の展示物が半分になってしまう。文芸部は存続自体が危ぶまれている状況なのだし、印象が悪くなる事態は避けねばなるまい」

「それはまあ」

「つまり、生天目君を説得して連れ戻す役目を、誰かにお願いしたいと考えている」


 決意を固めたような部長の顔。なるほど、確かに彼の言う通りだ。

 だが同時に、嫌な空気みたいなものを文脈から感じ取り、私は「待ってください」と言った。

 部長は待たなかった。


「お願いできるかな。加護くん」


 私ですか。よりによって、未来さんの恋敵である私ですか。私の不満を感じ取ったのか、部長が都合悪そうに補足した。


「この際だからハッキリ言ってしまうが……この役目は、空気を読めない夢乃君には向いていない」

「アレ? なんか私、悪口言われてます?」


 背後から聞こえてきた苦情は華麗にスルーされた。


「今泉君は、勿論のこと使い物にならないし──」


 部長はちらと視線を飛ばして、こりゃダメだと首を捻った。

 流石に当事者を行かせる訳にはいきません。……という事情を差し引いたとしても、今の彼は使い物になりません。一見して分かるほど放心状態です。集中できていないのが、ありありと顔にもでています。手だけはそこそこ動いているんですが、その焦点の合わない瞳でいったい何を書いてるんですかね?


「そういうことだ。加護くん」


 部長が、私の肩に手を置いた。

 リストラされるサラリーマンのようだと思った。哀愁が、私の心を駆け抜ける。

 しょうがないですね、と渋々頷いた。二人の関係が拗れたままで放っておくわけにもいかないし、やはり私が一肌脱ぐしかないだろう。


「まあ、良いでしょう……。行くのであれば、私かな、と薄々覚悟はしていましたし。その代わりと言ってはなんですが、明日は部活休ませてくださいね」

「すまんな、ヨロシク頼む」


 結局、こう了承するほかなかった。誰にも聞こえないように、そっと……溜め息を落とした。



 翌日の放課後、私は部室ではなく二年生の教室を目指していた。

 男子の先輩数名にはすっかり顔を覚えられてしまったようで、「あれ? 今泉の彼女じゃん。あいつのこと探してるの?」とか、「眼鏡かけたんだ。なかなか似合ってるね」など、度々声をかけられる。

 先日も思った事だが、先輩は『私たちが交際している』という根も葉もない噂を否定していないのだろうか? 相変わらずの誤解混じりだ。

 ただ以前と違うのは、そんな噂話も存外に心地良く感じられるってこと。なので表立って否定はせずに、肯定のニュアンスをうっすら匂わせる曖昧な笑みで誤魔化しておいた。


 すっかり意識しやがって……。つくづく私もチョロい女である。


 そうこうしているうちに、未来さんの後ろ姿を発見する。


「未来先輩。もしお時間あるようでしたら、図書室で勉強を見て頂けませんか?」

「──という口実ね?」

「わかりましたか」


 彼女は、ふふっと弱ったような笑みを浮かべ視線を左右に走らせたのち、私の方に向き直る。たぶん、今泉先輩が居ないか確認したのだろう。


「いくら何でも、そんな露骨なフリじゃわかるわよ――。やれやれ、後輩にまで気を遣わせちゃって、いよいよ私もカッコ悪いなあ……。まあ、覚悟決めるわ。行きましょうか」


 私達は図書室に場所を変えると、空いている机を探して緊張した面持ちで席に着く。周りに殆ど人の姿は無かったが、一応、勉強をしている風を装って、教科書とノートを広げておいた。

 話を切り出したのは、未来さんの方からだった。


「さて。何を訊くために加護さんが来たのかは、わかってるわ。例の小説の件ね?」


 真剣な眼差しが向けられている。余計な感情を表に出さぬよう、意識して私は頷いた。


「はい、仰るとおりです。差し支えの無い範囲で構いませんので、経緯を聞かせてもらえませんか」

「今のところ、京からはどこまで聞いてるの?」

 値踏みするような視線に変わる。

「今泉先輩が途中まで手掛けていた小説を部分的に改稿、後半を加筆して作品として仕上げ、文学賞に応募した。ここまでです」


 なるほどね、と未来さんは、机の上で両手を組み黙考した。やがて言葉を選ぶように、慎重に、かつ穏やかな口調で語り始めた。


「先ず、京が言ってることは全て本当ね。私は、彼が書きかけていた小説を冒頭から中盤までを改稿しながらも、ほぼそのまま使って、後半部分を書き加えることで作品として仕上げ応募した。中盤までで物語の大筋は整っていたし、舞台設定も完璧に作り込まれていた。彼が思い描いていた結末もそれとなく聞かされていたし、加筆する作業は楽なもんだったわ」


 でもね、と未来さんは窓の外に視線を移した。


「やっぱりプロの目は誤魔化せないみたい。『後半部分の息切れ感が勿体ない。最後まで勢いを持続できていれば、大賞も有り得た』なーんて選評まで貰っちゃたの。……ほんと、カッコ悪い。どんなに頑張ったって、私の力は彼に及びもしないのに」


 先日は、途中で読むのを止めてしまっていたので、作者が切り替わる所までページを捲ってなかったのかもしれない。後半部分における作風の変化には、まったく気づけてなかった。


「どうしてそんな事をしたんですか? この間言っていた、『彼の才能を認めさせたい』という気持ちは分かります。分かりますが──」

「やってはいけない事がある、という話ね」

「そうです。私が言うのも差し出がましいとは思うのですが、やっぱり盗作は駄目ですよ」

「そうね……全て加護さんの言う通りだし、京が怒るのも無理はない。今になって思うと、どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でもよくわからなくなってくるの。作品を応募しなくなった彼の代わりに私が。そんな感じの、歪んだ愛情、だったのかもね」


 未来さんは自虐的な笑みを零すと、組んだ両手に視線を落とした。


「本当に動機、それだけなんですか?」


 いまだに彼女は全てを語っていない。そんな気がして、質問を重ねる。

 案の定、決まり悪げに「うーん」と唸ると彼女は口を噤んだ。


 続く沈黙に、緊張感が張り詰めていく。次の言葉をごく自然に促すため、彼女の罪を許して、かつ、励ましてあげられる魔法の言葉を探し求めた。けれど、頭に浮かんでくるのはどれも気の利かない台詞ばかり。結局私も、口を噤んでしまう。


「カッコ悪い話なんだけど、私はきっと、加護さんに嫉妬していたのね」

「私にですか!?」


 私なんかが嫉妬されるなんて、生まれて初めての経験だ。「ええ」と彼女は頷いた。


「今から丁度、一年くらい前の話かな。私と京が付き合っている当時から、薄々と感じてはいたの。彼は私のことを、そんなに好きじゃないってことをね」

「そんなことは……」

「ないって言いたいんでしょ? ……優しいのね、加護さん。でも、たとえ期間は短くても私は京と交際してたから、彼の好みだってちゃんと知ってるの。彼は私みたいな気の強い女の子を苦手としているし、どちらかと言うと、可愛らしい子がタイプなのよね」


 あ~あ、という嘆きの声と共に、未来さんは大きく伸びをしてみせる。上げた両手をゆっくり下ろすと、こちらに目を向け、一転して明るい声を出した。


「──気付いてる?」

「え?」

「ああ、やっぱり。全然気付いてないんだ」


 どこか意地悪そうに、彼女が笑んだ。


「じゃあ、質問を変えましょう。私と京。別れを切り出したのはどっちからだと思う?」

「ええと……」


 流石に答えに窮してしまう。

 未来さんは今でも先輩の事を吹っ切れていないのだから、話の流れ的に先輩の方からなんだろう。

 けど、『先輩の方から、別れを切り出したんですよね』なんて馬鹿正直に答えたら、未来さんの心の傷を抉ることになるのは明々白々。遠まわしに伝える方法が無いだろうか、と貧相な語彙力ごいりょくをフル回転している最中、未来さんが笑いながら付け加えた。


「ごめんね、意地悪だったね私。答えにくい質問なんかして。正解はね、私の方からなんだよ」

「ど、どうしてですか!?」


 勢いで叫んでから、失礼な口調になっていないかと心配になり口を塞いだ。


「うーん、そうねえ。簡単に言うと、愛情表現をすること自体が、嫌になってしまったのかな?」


 自嘲気味に笑う未来さんの顔。一方で私の困惑はより一層深くなる。


「やっぱり分かりません。だって未来さんは、今でも先輩の事を愛しているんでしょう? それなのに──」

「そうね。私が京のことを愛している気持ちは、あの頃からまったく変わっていない。交際を申し込んだのも私の方からだったし、『取り敢えず、友達から』とはにかみながら京が手を差し出してくれた時は、天にも舞い上がる心地だった。初めてのデートに、初めての口づけ。交際から一ヶ月、二ヶ月と節目の記念日を設けては、私の方から精一杯の愛情表現をした」


 でもね、と彼女の表情が露骨に曇った。


「何ヶ月経っても彼の態度は素っ気無かった。二言目には小説の話しかしないし、私と一緒に居ると、いつも眉間に皺が寄ってるの。……ああ、私に気遣いをして、無理に付き合ってくれてるのかなあ、と感じちゃったんだよね」

「……」


 返す言葉を失ってしまう。

 先輩はお人よしだから有りうる話。どんなに尽くしても応えてくれない彼に、未来さんの自尊心が傷つけられたであろうことは想像に難くない。


「だから私の方から別れを切り出した。このまま交際を続けた所で、心から彼が寄り添ってくることはない。それどころか、きっと今よりも酷く傷つく日がやってくる、と怖くなっちゃったんだよね」


 とんだ臆病者なのですよ、と彼女の眉の端が下がった。

 泣き笑いのような表情に変わった未来さんを見ながら私は思う。

 でも、私が気付いていない事、とはなんなのだろう。


「そこで、さっき途中で止めた話の続き。加護さん。京と話をしてる時、楽しいでしょ?」


 どきん、と心臓が大きく跳ねる。「それは、まあ」と歯切れ悪く答えた。

 彼女は満足げに微笑むと、次の言葉を導きだした。


「楽しそうなのは京の奴も同じ。アイツさあ、加護さんと話している時、見た事もない良い顔で笑ってるのよ? それは、私と付き合ってる時には決して見せなかった表情。……だからさ、嫌でも勘付いちゃうよ。私のことは、元々タイプじゃなかったんだなあって。彼の好きなタイプは、可愛い後輩の女の子なのかあ──って」

「……」


 確かに先輩は私と話をしている時、よく笑っているとは思う。それだけに、否定することはできなかった。それに、今はどんな言葉をかけたとしても、彼女の慰めにも気休めにも、ならないだろうから。

 同時に、じんわりと頬の辺りが熱くなるのを意識する。それは、遠まわしにこう言われているも同義なのだから。『先輩は、私のことを好きだ』と。


「まさかって顔してるね」未来さんが静かに笑う。「ううん、きっと私の予想は当たってる。だって、私と加護さんって、凄く正反対なんだもの。そりゃあ……色々と悪い想像もしちゃうわよ」


 ここで一旦、彼女は言葉を切った。気持ちを整理するように、ほんの僅か、間を置いた。


「加護さんの事、羨ましいなあってずっと思ってた。嫉妬が日々膨らんでいくにつれて、次第に焦りに変わった。加護さんと京が完全にくっついてしまう前に、なんとか気を引かなくちゃ。もう一度私の方を向いて欲しいって思ったの。……だから、盗作作品で応募なんて酷い事しちゃったのかもね」


 ほんっと、私って歪んでた。彼女は納得したように、一人呟いた。


「もう一度だけ訊くね」

 彼女の亜麻色の瞳が私を捉える。逸らされることのない、強い瞳。

「加護さん。京のこと好き?」


 いよいよ核心をついてきたな、と私は思う。今度は逃げちゃダメだ、と喉元でつかえそうになる言葉を必死に紡いだ。

「はい──好きです」と。

 どうしてだろう、涙が溢れそうになる。申し訳ない、という気持ちは確かにあった。でもここで自分の気持ちを偽ることは、恥ずかしい過去の話を包み隠さず伝えてくれた未来さんに対して失礼だと思うから。


「そっか、だよね……うん。言ってくれたこと、感謝するね。こりゃあいよいよ、私に勝ち目は無くなったわね」


 彼女のその言葉で、私の恋情は元々筒抜けだったんだと気が付いた。後ろめたさと羞恥心とが纏めて押し寄せてくるようで、熱を帯びた顔から今にも火がでそう。

 最後に、未来さんは「ゴメンね」と傷ついたような声で呟くと、静かに涙を流した。それはしっとりと肌を濡らす霧雨のような、抑制された啜り泣きだった。

 私は暫く悩んだ末に、頑張りますとだけ声を掛けた。自分でも言葉が足りないな、と思ったけれど、敢えてシンプルにそう告げた。未来さんを慰められる言葉が他に思いつかなかったし、そんな都合のいい言葉なんてきっと存在しない。

 だからこそ、自分の気持ちだけは曲げちゃダメなんだ。


 後は時間が解決してくれるだろう、と私は思う。図書室の窓からは、夕陽が入り込んでいた。柔らかくて暖かい黄色の光だけが、彼女が負った心の傷を、優しく癒しているようだった。

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