Part.24『盗作』
ただでさえ気分が悪いのに、暑くて寝苦しい夜だった。
毛布に包まり、目を閉じて視覚をシャットダウンしても、お気に入りの歌を口ずさんでみても、一向に眠気が訪れる気配はなかった。
──ダメだ。
諦めて毛布から顔を出すと、布団に入る前に考えていたことを、もう一度思い返した。
『俺去年の冬まで、アイツと付き合ってたから』
今日の放課後、今泉先輩から送られてきたメッセージ。
全然知らなかった。二人にそんな秘密があったなんて、予想だにしてなかった。まったく想定外の所から降って湧いた新事実に、私は大いに狼狽え、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けていた。
なんで二人とも教えてくれなかったんだろう。
いや──私を恋敵として見ている未来さんなら頷ける。問題は、今泉先輩の方なのだ。二人が交際していた過去を知ってたなら、未来さんに問い詰められた時だって、もう少し上手く立ち回れたはずなのに。
それに、どうせなら最後まで隠し通してくれれば良かったのに、何故このタイミングで伝えてくるのか。しかも、チャットアプリでなんて。
……けど。どうして私は、こんなに苛々しているのだろう。何故こんなに、胸が痛むのだろう。
私にも話したくない過去があるように、先輩にだって伝えたくない事情はあるだろう。それに私達は恋人同士ではないのだから、昔の出来事を詳細に報告して欲しいとは思わないし、求めない。
……そんな理屈は分かっているのに……どうして?
未来さんと付き合っていた過去を隠されていたことに、その事実を先輩が伝えてくれなかったことに、どうしようもなく私は苛々しているんだ。心を締め付けられるような息苦しさを意識すると、違和感が頭の隅に真っ黒な
なんだ、これ?
どす黒い澱の正体を言葉に置き換えるならば──。
その時、心の奥底で、熱量を上げ赤々と宿り始めた感情の一般的
そうか、分かった。
私は、嫉妬しているんだ。
未来さんに、嫉妬してる。
私が先輩に対して抱いている感情は、友情、若しくは同情心や哀れみに近い感情なのだと思っていたが、どうやら勘違いであったらしい。私はもう、自分の気持ちを偽ることはできそうにない。
つまり私は……
「今泉先輩のことが好きだ!」
思いきり叫んでみた。
ベッドから身体を起こしてみると、両手がわなわなと震えていた。
胸中で燻っていた気持ちに名称を与えた瞬間、頭の隅にこびりついていた違和感は一度にこそげて、心中に沈んでいた重石のようなものが全て
それは、他人から向けられる視線に怯え、自信の無さから目を背け続けていた
結局、興奮してろくすっぽ眠れぬまま朝を迎え、欠伸をして眠い目を擦りながら授業を受け、気が付けばあっという間に放課後だ。
どこか物憂げな感情に支配されたまま、私は部室に顔を出した。
今日の授業の内容、ひとつも覚えてない。
「お疲れ様です」
未来さんと明日香ちゃんから挨拶が返ってきた。欠伸をひとつし、自分の席に荷物を下ろす。
まだ、部長と先輩は来ていなかった。
むしろ先輩の姿が見えない事に、安堵している自分が居た。
隣にまだ先輩の姿が無いのに、頬が既に熱を帯びている。こんな状態で私は、どんな顔をして彼を迎えたらいいのだろうか。皆目見当がつかない。
心が乱れて死にそうです。パソコンの起動画面すら目に眩しい。
そんな私の苦悩も知らずに、未来さんと明日香ちゃんの二人は一冊の本を囲んで盛り上がっていた。何を話してるんだろう、と注意を向けると明日香ちゃんと目が合った。彼女は会話を中断すると、興奮気味に話しかけてくる。
「ちょっと、これ見てよ咲夜!」
彼女が差し出してきたのは、月一で刊行されてる文芸誌。「なに?」と開かれたページに視線を落とすと、作家志望の若手を発掘する目的で文芸誌が年一回行っている、文学賞の結果が掲載されていた。
この文学賞で受賞することは、若手の文壇にとって登竜門と言える。受賞作品は同時に紙面掲載もされ、大賞作品は当然のことながら、その他の賞であっても読者からの反響次第では書籍化への道が開ける。
へえ、と思いながら視線を走らせていくと、そこには見知った名前があった。
『特別賞「黄色の絵の具と、向日葵のような彼女」 著者:生天目未来』
めちゃめちゃ驚いた。
何かの間違いなんじゃないかと疑い、二度見してしまったほどだ。なるほど、明日香ちゃんが身振り手振りを交えて騒いでいたのも頷ける。
「これ、未来さんの作品ですよね? 凄いじゃないですか!」
言いながら、興奮している自分に気がついた。
「読ませてもらっても良いですか?」と尋ねると、「どうぞ。むしろ、読んで頂けると嬉しいわ」と未来さんは晴れやかに笑った。
まるで自分のことのように、緊張しながらページを捲っていった。
読み始めから衝撃が走った。小説の中の情景が脳裏を駆け巡ると、ページを捲る私の手も、自然と早くなる。
内容を簡単に説明すると、高校に入学した主人公の男子が、廃部寸前だった美術部に入部し、部員を集めながら部の復興とコンクールでの入選を目指すという青春小説だ。
作中に登場するヒロインは、高い実力を持ちながらも、絵を描くことに興味を失った女子高生。美術部に参加して貰えるよう彼女を説得し、多方面から尽力していく中で、次第に二人が惹かれ合う姿が描かれる。
もちろん物語だって面白いんだけど、それ以前に情景描写も心情描写も丁寧で、でも決してクドくはなくて、頭にすんなりと情報が入ってくる。
主人公がヒロインに寄せる慕情とか、なんとかして美術部を立て直そうとする信念とか、丁寧な筆致により平凡な日常のワンシーンですら主人公と知らず知らずのうちに気持ちがリンクしてしまうので、心地よく読み進められる。うん、凄くいい。
ところどころで物語が大きく動くシーンが存在するのでどんどんページを捲ってしまい、勢いで読破しそうになっている自分に気が付き手を休めた。
正直――特別賞という結果も納得である。
凄い。掛け値なしに凄くいい。今まで見てきた未来さんの作品とは一線を画している。物語も、斬新かつ独創的な比喩表現も、高校生が書いた小説とは思えないほどだ。
けど、凄い──と思う反面、不思議な違和感が喉元に引っ掛かる。違和感の正体を言葉にするならば、『未来さんらしくない』だろうか。
未来さんの実力が低いという意味ではない。これまで何度か読ませて貰ったことで、彼女の実力が高いことは私も知っている。だが、彼女の作品の持ち味は、良くも悪くもスッキリとした描写と読み易い文章にある。
だからこそ、こんなに重厚な地の文が書けることも、巧みな物語の構成ができることも、正直意外だった。
そう。この作風はむしろ……。
「いつの間に、こんな凄いの書いてたんですかぁ?」
明日香ちゃんが若干食い気味に尋ねる。
「うーん」と未来さんは、
「全部家で仕上げたわね。部室のパソコンに持ちこんじゃうと、部活用に書き進めてる作品の方に、集中できなくなっちゃうから」
それから私の顔を見て、思い出したように、A4用紙の束を差し出してくる。
「そうそう加護さん。話は変わるけど、私の分のリレー小説出来たから、渡しておくわね」
紙の束を受け取ると、ぱらぱらと捲って内容を確認したのち、盛大に溜め息をついた。「ちょっと」と明日香ちゃんが
「早く回って来たので、時間に余裕があってホッとしたのが半分。遂に来たかと責任に圧し潰されそうなのが半分。そんな気分です」
「まあ、そうでしょうね」
その時、大きな音をたてて部室の引き戸が開くと、今泉先輩が姿を現す。
突然背後から響いた音に驚き、「うひゃあ」と声をあげた私の反応など歯牙にもかけず、明日香ちゃんの「お疲れ様です」という挨拶すら完全に無視して、彼は真っ直ぐ未来さんへと詰め寄った。
「どういうつもりだ?」
「何の話?」
「ここまで来て白を切ることもないだろう。その本に載っている小説の話だ!」と彼は、私の手元にある文芸誌を指差した。
──え、これ!? 驚きから意味もなく両手を掲げてしまう。
「ああ、タイトルは変えたんだけど、やっぱり気づいたんだ」
「……当たり前だろう」
「私、見てられなかったのよ」と未来さんが苦い顔をした。「小説が書けなくなったあなたの事。京はね、小説を書いていてこそ、あなたなのよ。私はあなたの実力を高く評価している。なるべく早く作品が世に出て、評価されて、その存在が認知されるべきだと思ってる。だから見てられなかったの。何時までもうじうじと書けない自分に思い悩んで、ずっと立ち止まって、女になんか
うわ、私のことなんだろうか。ちょっと胸にグサっときた。
「だからと言って、頼んでもいないことをするなよ!」
「だったらさ、さっさと作品を仕上げて、新人賞でもなんでも応募したらよかったでしょ!? 大層な理屈ばかりこねてるけど、何時まで待っても作品のひとつすら上がってこないじゃない!」
「……確かにその通りかもしれない。けど!」
先輩は苛立ち混じりに机を叩いた。けたたましい音に、明日香ちゃんが身を震わせる。
「それこそ余計なお世話なんだよ! ──確かに俺は今スランプに陥っている。対策の一環として、敢えて複数の作品を手掛けているものの、やはり調子は上がってこない。……でも、それでも、俺なりに悩みながら頑張っているんだ……! こんな事をしてくれと、頼んだ覚えはない!」
直後先輩が未来さんの肩を小突くと、険しい表情で彼女は立ち上がり、荷物を抱えまるで逃げるように部室を飛び出して行った。すれ違う瞬間に垣間見えた彼女の顔は、泣いているようだった。
ピシャっという扉が閉まる音だけを残し、部室の中は静寂に包まれた。
「あの、先輩……。説明してもらっても、良いでしょうか?」
控えめに私が声を掛けると、「ああ」と彼は、苦虫をかみ潰したような顔で頷いた。
「今思えば、未来と付き合っている時に幾つかの原稿データを渡したのが間違いだった。俺としては、彼女が小説を書く為の参考になれば、と思って渡しただけだったんだが」
「まさか、それって」
「加護は察しが良いから、もう気付いたかもな。部分的に改稿された上で未完成だった後半部分を加筆されてこそいるが、その受賞作品は、俺が途中まで仕上げていた小説だ」
彼の言葉を聞いた瞬間、作品を読んで感じた違和感の全てが腑に落ちた。
「だが実際、未来の言う通りなんだ。俺は最近、まったく小説が書けていない」
それは、呻くような声で。
「え、でも」
私が疑問に感じて口を挟むと、彼は自嘲気味に笑ってみせた。
「順調に、書いているように見えるって言いたいんだろう?」
無言で首肯した。確かにそんなことを二人は言っていたが、毎日順調に書いている先輩を見ていると、俄かには信じ難い。
「表向きは、確かにそうだね。何時も半分くらいまでは書けるんだ。だが、結末が近づくにつれて、展開や登場人物の動機に矛盾が見付かったりと様々なスランプを誘発して、必ず筆が止まってしまうんだよ」
「え、信じられません」
明日香ちゃんの声が差し込まれる。それには私も同感だった。
「実際のところ俺は、昨年の文化祭以降、ただの一つも作品を完成させていない。これまでも公募では二次~三次選考で落ちることが多くて悩んでいたけれど、そもそも、スタートラインにすら立ててない」
そうか、と私は思い出した。
五十嵐電気店に行ったあの日の夕方、先輩が小説を書くことについて辛そうな顔で語った理由は、自身のスランプにあったんだ。
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