Part.26『和解』

「ああ、その部分だけどね……この表現に変えると良いよ。ここと、ここ。二重表現になってるから」

「うわ、本当だ……恥ずかしい。ありがとうございます」


 放課後、いつもの文芸部の部室。

 行き詰っていた文化祭用の小説を推敲すいこうするため、今泉先輩に読んでもらっている最中だった。『相談に乗ってもらってた』なんて嘘をついて未来さんの追及を逃れていたものの、本当に相談をしたのは今日が初めてである。

 文章力の高い先輩らしく、されるアドバイスは適切かつわかり易い。もっと早く見てもらうべきだったと、今更のように思う。


 ……まあ、それは兎も角として。

 さっきからパソコンの画面を覗き込む時の顔がやたらと近いんですけど、先輩。

『加護さんと話をしているとき、良い顔で笑う』なんて未来さんに言われたものだから、普段よりも何割か増しで彼の存在を意識してしまう。

 肩が触れるたびに身を震わせて、紅潮しているであろう顔をそっと背け、加速していく鼓動を悟られぬよう、椅子を遠ざける私が居た。


「これ、文字数どのくらいで完結させる予定?」

 彼が二センチ椅子を寄せてくる。

「今のところ、五万文字から七万文字くらいで収まる予定です」

 私は三センチ椅子を遠ざけた。

「なるほど」と先輩は肯いた。「なんで逃げるの?」

「に……逃げてましぇん! 何を言ってりゅんですか!」

 噛み噛みの上に声が裏返った。幾らなんでも動揺し過ぎだろ、私。

「まあ、いいけど」


 興味無さげに会話をぶった切ると、先輩は考え込んだ。

 無関心ですか。それはそれで複雑です。


「でも――五万文字か。うん、丁度いいくらいかな。誰でも読みやすい手軽な文章量って、案外そのくらいなんだよ」


 はあ、そんなものか、と私は思った。


「でも、五万文字じゃあ物足りなくないですか?」

「もちろん、公募に出すなり書籍化を見据えて書くのなら、最低でも十万文字前後は必要になるだろうけど、慣れないうちからそんなの意識しない方が良いよ。この辺の匙加減が難しくてね……文字数を意識するあまり、無駄な描写が増えると本末転倒になりかねない」

「それは、なんか分かります……。ごちゃごちゃして読みにくいと感じる時がありますよね」


 もちろんそれでも、しっかりと構成された文章なら良い。『よくわからないけど描写を増やしました』なんていうのが、一番困るパターンだろう。


「書き足した文章のそれぞれに、意味を持たせないといけないからね。登場人物のどうでもいい過去とか、特に意味のない心情描写とか、視点を変えて繰り返す同じシーンとか、意図なく展開される会話文とか、最悪なのはその辺りかな。そんなもん、誰だって読みたくないってわかるだろ? だから、『読んでもらう』文章を書くように、常に意識してないとダメなんだ」

「なるほど。結構気をつけるべきポイントは多いんですね……メモしておきます……」


『意味のない心情描写』とか、特にグサっときた。私の書いている小説に、めっちゃ心当たりがあります。


「それで……どうでしょう、私の小説。ちゃんと面白くなってますか?」

「そうだなあ……」


 先輩は腕組みをして再び黙考する。即答出来ないってことは、それなりに多くの課題点が見つかってるんだろうなあ。


「課題は結構あるね」

「……ですよね」


 予測はしてたけど、やはり落胆してしまう。


「まず、主人公が何故彼に惹かれるようになったのか、そこをもっと説明した方が良い。それから、ところどころで展開がいているように感じられる」

「急いている?」

「そう。どうしてそんな風に見えるのかというと、簡単に言って描写が足りない。場面が切り替わったときの説明が不十分なまま直ぐ会話文に入ろうとしているから、頑張って地の文を使って説明を加えること。このままじゃ読み手が情景を頭の中で描けないからね。登場人物が五感で何を感じているのか想像して、もっと描写をした方が良い。あとさ、ここの文章、自分でも違和感あるでしょ?」

「あ、わかりますか。その通りです」

「そもそも、文章の並びがおかしい。こことここの行を入れ替えてごらん。その上で、前後ふくめて推敲すいこうを重ねれば、違和感の全てが消えるよ」

「うわっ、本当だ。全然気づきませんでした」

「それで、肝心のストーリーなんだけど……」


 ちょっと緊張した。思わず膝の上で拳を握ってしまう。


「わりと良いね。ちゃんと構成も考えられているし、後半の展開は結構心に響くものがあるよ」

「ありがとうございます」


 うわあ、ちゃんと褒められた。私の人生において珍しいイベントだぞこれは。「ずるいです。私のも見て下さい」と明日香ちゃんにせがまれると、先輩は向こう側の椅子に移動して行った。


「青春だなあ」


 しんみりと部長が呟いた。


「部長も小説書いたらいいじゃないですか?」

「僕はダメなんだ」と露骨に彼が肩を落とした。「なんか僕が書くと、まるで長い詩のような、違和感だらけの小説になるんだよね。以前今泉君にも、ト書き文ですねって酷評されたことがある」

「部長。その話、ちっとも笑えないんですけど……」


 その時、部室の扉がカラカラと控えめな音を奏でながら開くと、数日振りに未来さんが姿を現した。


「生天目君……」

「すいません部長、ご迷惑をお掛けしました」


 未来さんは部長に深々と頭を下げた後、今泉先輩の席に移動する。先輩は立ち上がって迎えると、神妙な面持ちで彼女の第一声に耳を傾けた。


「許して貰えるとは思っていない。でも、頭を下げないと何も始まらないと思うので、先ずはこの言葉を伝えます。ごめんなさい」


 未来さんは先輩に深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げ彼と向き合った。


「私、あれから色々考えて、凄く反省して、どうやったら京に許して貰えるか考えた……。でも結局、答えは一つしか見つからなかった」

 そこで彼女は、すうっと息を吸い込んだ。

「文学賞の特別賞の件、私から連絡を入れて辞退した。結構出版社の方には反響があったみたいだけど、自分の作品じゃなかった事も伝えて、そこから先の──出版云々の話も、全部無かったことにしてもらった」


 今泉先輩は、「うん」と言って肯いた。


「それでも、これだけは信じて欲しい。私は京の小説が大好きだし、それを世間に広く認知して貰いたいと思っているのも本当。私のした事は間違いだったけれど、その気持ちに嘘はないから。それと……」


 未来さんは一度言葉を切ると、今泉先輩の瞳を真っ直ぐ見据える。強い覚悟を湛える亜麻色の瞳と、黒い瞳が正面からぶつかった。


「私、やっぱり京のことが好き。この気持ちだけは偽れない。でも、私の事を、もう一度好きになって欲しいとは言わないし言えない。今の私に、そんなことを願う資格なんて無いから。でも……これだけはお願いします。これからもずっと、私を文芸部の仲間で居させて下さい」


 一息に吐き出すと、彼女は私の方にちらりと目配せをした。交わされる言葉がそこに無くても、私には伝わる。それは……。


 未来さんから、私に贈られた『


 だから私も、力強く顎を引く。彼女から渡されたバトンをしっかり受け取って、頑張ろうと心に誓いながら。

 未来さんも頷き返すと、再び先輩の眼を見つめる。それから、意を決したように右手を差し出した。先輩の顔からも緊張の色が融けだすと、しっかりと彼女の手のひらを握り返した。


「ありがとう。ちゃんと自分の言葉で伝えてくれたこと、嬉しく思うよ。俺は残念ながら、未来の気持ちのに応えてあげる事はできそうにないけど、それでも未来が仲間である事に変わりはないから。だから、これからも──宜しくお願いします」


 先輩が未来さんの背中に手を回して抱き寄せると、彼女の頬を一筋の涙が伝う。未来さんが慌てて指先で拭うも、涙は次から次へと、止め処なく零れ落ちていった。形の良い口元が歪んで嗚咽が漏れ始めると、暫くの間先輩の体に手を回して泣き続けた。


 部長が抱き合う二人からそっと視線を外して、明日香ちゃんは満足したように笑みを零した。「さ、てと」私もパソコンのディスプレイを見つめると、キーボードを叩き始める。


 この瞬間、文芸部は元通りの五人に戻る。

 明日からは文化祭に向けて、最後の追い込みに入っていかないといけないだろう。遅れている執筆作業を思うと気が滅入りそうになるけれど、それでも全員の顔には笑顔の花が咲き、私の心も窓の外に広がる空と同じように、澄みきっていた。

「あ、そうだ」私は思い出したように身を屈めると、鞄の中身を探り始める。「今泉先輩に、プレゼントがあるんでした」


「な、なんだい」


 緊張気味に俯いて喉を鳴らした先輩に、私は紙の束を差し出した。


「リレー小説ですよ。最後の締め、宜しくお願いしますね」


 私がニッコリと微笑んだ瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、切れる音が聞こえた。

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