Part.22『嫉妬』
それは、部活動休養日の放課後のことだった。
私が通う青ヶ島高校では、週に一日から二日ほど、全面的に部活動を休止する日が設けられている。
適切な練習時間への調整。また、部活動を指導・引率する教員・指導員の軽減負担策の一環として行われているもので、近年では多くの学校で施行されているものだ。
部活動が無い日、委員会に所属していない私は特別学校に残る用事がなくなる。図書館に居残って自習するほど、勉強熱心な生徒でもないし。
そんなわけで今日も、終業を告げるチャイムと同時に席を立つ。委員会に向かった明日香ちゃんと別れて教室を後にした。
先輩のクラスは、もうホームルームが終っている頃合だろうか。そんなことを考えながら廊下を歩き、楽しそうに談笑するクラスメイト達を横目に見ながら、階段を下りていった。
「加護さん」
一階まで辿り着いたとき、背中側から私を呼び止める声が聞こえた。振り向くと、階段の真ん中付近に立ち、こちらを見下ろしている未来さんの姿が見えた。
「未来さん──どうしたんですか?」
口元に笑みを浮かべてこそいるものの、未来さんの表情はいつもより硬い。普段と違う彼女の雰囲気を感じ取って、私の心にも緊張が走る。
「これから少しだけ話をしたいんだけど、時間、いいかしら?」
改まってなんだろう、と身構えつつも、「はい、大丈夫ですよ」と頷いた。ポケットからスマホを取り出すと、「すいません。今泉先輩に、一度連絡を入れてもいいですか?」と確認を取る。
未来さんが肯いたのを確認してからメッセージを打ち始めた。
咲夜 【ごめんなさい。ちょっと急用が出来たので、もうしばらく学校に残ります。先に帰ってて下さい】
京 【了解。じゃあ、今日は先に出るね】
直ぐに既読がついて、間を置かずに返信もあった。内容を確認した上で、私は顔を上げた。「連絡、終わりましたよ」
「そう? 問題なかった? なら良かった。私ね、一度加護さんと、ゆっくり話をしておきたかったの。そうねえ、今日は誰も居ない事だし、部室で話しましょうか」
「はい」
私の返答を受け取ると、未来さんは背を向けて階段を上り始める。艶のある長い髪が、ワンテンポ遅れてはらりと舞った。
姿勢をただして颯爽と歩く彼女の背中。一方で、私の胸中は落ち着かないままだ。話なら部活の時でもできるはずなのに、どうして今なのか? そもそも、何故二人きりでなければならないのか? 幾つかの疑問が浮かんでは消えていく。
部室に入ると、未来さんに促されるままいつもの席に座った。
食器棚や書棚が壁際を占拠していることに加え、五人の部員がテーブルを囲んでいることで普段は手狭に感じられる空間も、今日ばかりはやけに閑散として目に映る。
無意識のうちに、胸元のリボンを指で弄っていた。
「紅茶でも良いかしら?」
「はい、申し訳ありません」
紅茶を準備し始めた彼女の背を見つめ、落ち着きなく何度も手を組みかえていた。
リレー小説の話だろうか? 先日、明日香ちゃんから未来さんに原稿が渡ったところなので、次は私の番なのだ。いや、もしかしたら、最近部活動に身が入っていないことを咎められるのかもしれない。
差し出された紅茶を受け取る時、緊張から指先が汗ばんでいるのがわかった。
私と彼女は部活の先輩と後輩という間柄。もちろん今までだって、何度も話をしたことがある。だが、こんなに改まって、なにかを話そうと申し出を受けたのは初めてだ。どうにも気まずい。紅茶を啜りながら、何か話題がないだろうかと思案していた。
未来さんは自分の紅茶も準備すると、私の向かい側に腰を下ろした。紅茶を一口啜り、私の顔を見て、ふいと視線を逸らした後に話を切り出した。
「突然ごめんなさいね。加護さんに訊きたかったのは、京のことなの」
「先輩の、ことですか?」
「うん」と彼女は肯いた。今度はしっかりと目が合う。「最近、なんだか彼と仲がいいよね?」
「そんな風に、見えますか?」
確かに悪くはない。ないのだけれども、じゃあ仲が良いのかと言うとそれもちょっと意味が違う気はする。
「思春期を迎えた年頃の男女が、肩を並べて登下校。そりゃあ、仲良さそうに見えるわよ」
彼女が受けている心証については否定できない。沈黙を誤魔化すように紅茶を啜った後で、けど、誤解ですよ──と言い掛けたところで、未来さんに遮られた。
「加護さんってさあ、京と付き合ってるの?」
「――熱っ!」
あまりにも直球の質問に、噴き出しそうになった、もとい、噴き出していた。
「大丈夫?」と心配そうに覗き込んでくる未来さん。「すいません」と頭を下げながら、ポケットからハンカチを取り出した。
胸元を濡らした紅茶を拭きながら考える。私達の関係を問質してくるという事は、未来さんは今泉先輩に対して好意を抱いている可能性が高い……。言葉を慎重に選ぶ必要がある。
「確かに、そんな噂がたっているんですよね。実に迷惑な話です」
「噂? じゃあ真実と違うってこと?」
「もちろんです。私達の関係は、『友達以上、恋人未満』そんな曖昧なものですらありません。それこそただの、先輩、後輩の間柄ですよ」
「信じられない」と未来さんは驚き、口元を手で覆った。「火のない所に煙は立たぬ、でもないけどさ、あれだけ噂になってるんだったら、交際はしてなくてもキスぐらいはしているものかと思ってた」
独り歩きする噂って怖いな。それにしても、交際とキスの順番が逆なのでは? と思わず苦笑い。
「ん~……そうですね。最近小説が上手く書けなくて悩んでたので、先輩に相談していたんですよ」
私の能力の話。先輩の身に迫る (であろう)危険を探っている話。幾つかの情報を伏せている関係上、どうしても嘘を散りばめる必要があった。
「そうだったの。なんだか拍子抜け、というか意外ね」
未来さんはそう言うと、安堵したように笑った。しかし彼女の顔は笑ってこそいるものの、些かも楽しそうに見えない。何か含みがありそうだ。
「意外……ですか?」
「うーん、だってさ」
と未来さんが私の顔を真っすぐ見据える。
「京と話している時の加護さんって、なんだか凄く楽しそうに見えるし、てっきり二人は交際してるものだと解釈していたわ」
「……事実無根ですよ」
カップを一度テーブルの上に置くと、窓の外に視線を移した。
暦は既に六月の下旬。桜の木は枝葉に替わり、初夏の緑に衣を替えた草木が窓の外を彩っていた。まだ日射しはそこまで強くないが、もうまもなくセミが合唱を奏でる季節がやってくるだろう。
楽しそう……か。
確かに私は先輩と居る時、楽しいとも心地よいとも感じる。でもそれは、小説という共通の趣味があるからであり、同じ部活に入ってなかったらこうはいかない。……と、そこまで考えた所で気が付いた。最近はわりと部活以外の話もしている事実に。他愛もない雑談に、学校やクラスメイトの話。
もしかして私は、『先輩の事が好きなの?』と自分に問いかけてみる。ややあって、『それはない』と答えが返ってきた。私が先輩の寿命が短いことを案じ、行く末を気にかけていることは紛れもない事実。でもそれは、同情心に近い感情であり、一般的に言う恋愛感情とは、明らかに異なるものなのだ。
馬鹿馬鹿しい──まあ、いい加減に? 変な先輩から、異性の友人に昇格させてあげてもいい頃合いだろうけど。
悪くない、と含み笑いを漏らした時、訝し気にこちらを見ている未来さんと目が合った。
「でも、彼の事。ちょっとくらいは、気になっているんでしょう?」
未来さんがなおも質問を重ねてくる。その表情は真意を炙り出そうとしているようでもあり、釈然としていない風でもある。
「まあ、嫌いではないですけどね」と一部同意した上で、私は首を横に振った。「でもそれは、言うならば友情に近い感情です。小説の話をしている時、楽しいとは感じますけどね。逆に言うと、それだけです」
彼女はカップの底に残っていた紅茶を飲み干すと、「ふ~ん……」と呟き頬杖をついた。私の体を上から下まで、値踏みするようにじっと眺める。
「でも──京の奴はタイプなのよね。あなたみたいな雰囲気の女の子」
彼女の言葉に、口元に運ぼうとしてたカップを取り落としそうになる。
「わっとっと……危ない。変なこと言わないで下さいよ。驚くじゃないですか」
「なんでもないわ。独り言よ」
素知らぬ顔で立ち上がると、未来さんは自分のティーカップを洗い始めた。
――なんとなく空気が重い。
ぴん、と張り詰めた部室の空気。私が紅茶を啜る音まで、やたらと鮮明に耳に響く。落ち着きなく視線を彷徨わせていると、洗い終えたカップを食器棚に片付けた未来さんが、ゆっくりと近づいてくる。
そして、私の真横で足を止めた。
「じゃあ──加護さんは京と交際はしていないし、好意も抱いていない。そういう結論で良いのかしら?」
「はい、そうですね」
「なんて──」と未来さんは、私の頭頂部に触れそうな距離まで唇を寄せて言った。「私が無邪気に信じるとでも思ってたの?」
「えっ……」
頭上から降ってきた冷たい声音に驚き顔を上げると、私を見下ろしている未来さんと目が合う。細められた彼女の瞳の奥には、失望。疑念。僅かな苛立ち。様々な感情が浮かんで見えた。
私の頭に寄せていた顔を一旦引き上げると、彼女はぱっと背を向けた。
「じゃあお願いしても良いよね。明日から彼と一緒に登下校するの、止めて欲しいの」
「ど……どうしてですか?」
「どうして?」
私が即答すると、彼女の声音はより一層冷え込んだ。
こんな話し方をする人だったろうか? 未来さんの突き放すようなリアクションに驚くと同時に、咄嗟に拒絶の意思を示した自分のことすら分からない。考える暇もなく、口をついて出た、という表現がしっくりくる。それに、
どうして私は、こんなに心がモヤモヤしてるんだろう?
「だって、問題ないじゃない? 加護さんは彼と付き合ってない。小説の相談だったら、部活の時間にでも十分出来る。何も問題ないでしょう?」
正論だ。まったくその通りだと思う。でも、先輩の傍らに居られなければ、この先に続く彼の運命を変えられない。
「それはそうですけど、でも、一緒に帰るくらいなら……別にいいじゃないですか」
「一緒に帰る――くらい?」と未来さんが詰め寄ってくる。
即座に失言だったと気がつき口を塞いだ。未来さんの気持ち、薄っすらと透けて見えていたのに、何故私はこうも食い下がってしまうのか。素直に「ハイ」と答えておいて、後で対応策を考えるべきだった。
余計な一言を添えたことで、彼女の怒りの火に、油を注いでしまったようだ。
「京とは交際もしていないし好意も持っていない。加護さん、さっきそう言ったよね? それなら二人で仲良く肩を並べて、見せつけるみたいに歩く必要なんて無いじゃない? それとも何? あなたって、男女の友情とか信じてるタイプだったりするわけ?」
「いえ、そういう訳では――」
「じゃあ、どういう意味なのよ?」
直後、私は彼女に肩を掴まれ、椅子の背もたれに強く押し付けられた。一連の動作はゆっくりと行われたので痛みを感じることは無かったが、その行動と表情は、普段の未来さんからは想像も出来ないもので、私は完全に狼狽えていた。
だが直ぐに未来さんは肩の手を離すと、私に頭を下げ謝罪した。「ごめん、ちょっと冷静じゃなかった。ビックリさせて、ごめんなさいね」
「いえ」
私が怯えているのを見て取ると、未来さんはようやく強張った表情を崩した。
「自分の本音を隠して質問ばかり。私の方が先輩なのに、ちょっと見苦しかったわね」
弱ったな、という感じで彼女は頬の辺りをかいた。
「いえ、本当に大丈夫です」
愛想笑いをしたいのに、頬の辺りが引きつっていて、上手く笑うことができない。
未来さんは全身で吐きだすような溜め息を漏らすと、鞄を抱えて部室の扉まで移動した。手を掛けたところで、一度だけ振り返る。
「私、京のことが好きなの。それもずっと前から。だから、加護さんにあまり近づいて欲しくない。強く言い過ぎちゃったのも、そのせいだから」
「忘れてちょうだいね」と言葉を残すと、彼女はそのまま部室を出て行った。扉がパタンと閉まる音が響きわたる。
次の瞬間、全身の力が抜けたように机の上に突っ伏した。
それにしても……どうして考えなしに強く拒絶してしまったのか。彼はただの部活の先輩、それだけなのに。
そう、そのはずなのに、心の奥深いところに、拭いきれない違和感のようなものが澱み沈んでいた。唐突に生まれた強い痛みと疼きは、いつまで経っても、消えてなくなる気配はなかった。
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