第三章「其々の、恋愛事情」

Part.21『登下校』

 今日は何日かぶりに、雨の降る日だった。

 放課後になると、先輩たちの流れるようなタイピングの音と雨の音とをバックグラウンドミュージックのように聞きながら、たどたどしく小説を書いた。

 ここまでの高校生活は、まずまず順調。

 華々しい高校デビュー、なんて当然いくはずもなく、相も変わらず泣かず飛ばずの私。文芸部の外に友達らしい友達もいなかったが、それでも、目だって仲が悪い相手もいないのだから先ずは御の字だろうか。

 むしろ問題があるとすれば、文化祭用に執筆を始めた恋愛小説の方。

 行き詰まっていた箇所の修正をようやく終わらせ、やれやれと安堵し全体を見返したところで、新たな問題点が見つかった。

 というか、一度気になり始めると、全てがおかしく見えてくる。過去形と現在進行形の使い分け。不適切なてにをは。接続詞の数に主語と述語の関係。芋づる式に見つかる違和感に、冒頭から書き直す羽目に陥っていた。

 こいつは参りましたね。


「未来先輩、出来ましたよ」


 明日香ちゃんのハイトーンボイスが聞こえる。釣られて顔を上げると、彼女がA4サイズの紙の束を、未来さんに手渡してるところだった。


「ああ、早かったのね。じゃあ私も急いで書き終えて、加護さんにバトンを渡さなくっちゃね」という未来さんの言葉と、こちらに向けられた微笑みで思い出した。

 リレー小説だ。

 自前の小説でもすっかりつまづいているというのに、もう一つ課題があったんでしたね。ここ最近は高橋親子の件でかかりきりになっていたので、いい加減にペースを上げないとヤバそうです。

 思わず、全身で溜め息を吐き出した。


「また溜め息をついてるのか。何なんだお前は」


 今泉先輩が、蔑むような眼差しを向けてくる。


「何なんだと言われても困ります。私は先輩と違って才能の無い人間なもので」一旦手を休めると、肩の凝りをほぐすように、手で揉んだ。木製の椅子がぎっと軋む。「次は、誰かさんの問題も、何とかしないといけませんし……」


 彼の寿命にじっと目を向け、不満そうに下唇を突き出した。

 先輩を取り巻く環境が変わった訳でもないので、彼の寿命はもちろん一年のままだ。

 だが、寿命を変えられるという事実については、もはや疑う余地もない。横断歩道での小学生の一件と、高橋親子に纏わる一連の騒動を経て、完全に証明されたのだから。


 あの日以降、梓さんの親権について、三枝子さんと中村さんの間で話し合いが行われているらしい。あまり一般に知られていることではないが、離婚に伴い一度決めた親権を変更するのは、思いの外簡単ではない。

 先ず、当事者の協議による親権者変更は認められない。親の話し合いだけでころころ変えるのは妥当ではない、という考え方に基づくものだ。

 では、どう手続きを進めるかというと、親権者変更調停を家庭裁判所で行うことになる。これは後に梓さんから聞いた話だが、中村さんは数ヶ月前から精神疾患を患い、通院を繰り返していたらしい。もしかするとこの事実が、親権の変更に追い風となるかもしれない。


 無論、最重要視されるのは、娘である梓さんの意思なのだが。


 私などは、二人が元サヤに収まれば全て円満に解決するのにと期待してしまうが、いずれにせよそれは、部外者である私が立ちいるべき問題ではない。だから見守るしかできない。

 高橋家には、確かに借金があった。家計も相応に苦しかった。

 でもそれは、行く行く発生するであろう調停に備え、三枝子さんがお金を工面しようと奮闘し生活費を切り詰めているせいでもあった。今にして思うと、彼女の死因を自殺だろうと推測した私の考察は、ただの早合点だったという話。

 他人ひとの感情の機微を探り出すことの難しさを、改めて感じてしまう。それはそうと……

 私は隣に座っている先輩を見て、盛大に溜め息を落とした。とたん、彼の表情が怪訝なものに変わる。


 高橋親子のように何が問題なのか予測が立てばまだいいのですが、彼の場合は本当に難題なのです。相変わらず能天気で、悩み事など無さそうですし? 交友関係、女性関係にも怪しい影どころか一点の曇りなし。つまり怨恨での事件は考えにくい。


「天使ですか」


 漏れた呟きに、先輩が秒で反応する。


「何か言った?」 


 消去法的にいうと、死因は事故になるんですかね──。


「それが一番やりにくいんだよなぁ」

「さっきから、なに?」

「いいえ……別に。これは例えばの話ですが。先輩にこっぴどくフラれた過去を恨み、夜な夜な怪しい儀式を繰り返しては隙あらば先輩を亡き者にしようと画策し、ナイフを荷物の中に隠し持つ元カノとか、そういうの、心当たりないですか?」

「ある訳ないだろう……。つか、なに、その具体的かつ背筋が凍えそうな設定」


 困惑顔でこちらを見た先輩だったが、一転、真面目な表情に変わり思案する。


「亡き者にしようと画策する女、ねえ。強いて言えば隣に」


 目も合わせずに、彼はぼそっと呟いた。


「死んで下さい」

「ほらっ……ほらっ……!」


 鬼の首を取ったように騒ぐ先輩に冷めた視線を送る。


「だいたい私は、元カノですらないんだから却下です」

「そこじゃなくて、殺意の方を否定して」

「……冗談に決まってるじゃないですか」


 流石にからかいが過ぎただろうか、ふふっと笑みが零れた。


「そもそも私は──」

「そもそも?」

「いえ、なんでもないです」


 好きでやっていますので、という言葉は飲み込んでおいた。


 一口に事故と言っても様々だ。まず電車の事故は捨てても良いだろう。そんな結末が待ち受けているのなら、同じ電車で通学している佐藤部長や未来みきさんの寿命にも、影響が出てくるはずだからだ。

 つまり、車の事故か通り魔的な事件なのかは知る由も無いが、突発的な何かが起こる可能性が高い。昨日までは共通の目的があったので、それとなく下校時も一緒になれたけど、今後はそうもいかなくなる。

 彼の周辺を見守るためにも、一緒に行動する理由が必要になる。


 ──理由、ねえ。


「先輩が迷惑じゃなければですが、今日の放課後、一緒に帰りませんか?」

「え、それってもしかして、デートのお誘い!?」


 彼は芝居がかった口調で仰々しく言った。明日香ちゃんが驚いたようにこっちを見た。なんなんですかそれ。声、大きいです。


「死んで下さい……違いますよ。先輩の寿命が一年になっている理由探しです。私が見ていないところで事故に遭われても困ります。いっそ迷惑です」

「言い方……。と言うか、何度俺を殺したら気が済むの?」


 彼の声音は心底残念そうだ。


「最早俺が死ぬ前提なのは、どうにも釈然としないのだけれども」

「何を言ってるんですか。死ぬ前提なんですよ? 自惚れないで下さい」

「え、俺って自惚れてるの? 死にたくないって思うのは自惚れなの?」

「いいんですよ、そんな理屈は……。ハッキリ言えるのは、このまま無策で過ごしていたら、いずれそうなるって事です。だからこそ、いま出来る事は全て試していかないと」


 そうだね違いない、と言って彼は肩を竦めてみせる。それから数秒沈黙を続けたのち、ゆっくりと首を傾げた。


「あれ? でもさあ。カワイイ後輩の女の子と一緒に帰る時の気持ちって、こんなに灰色なもんだっけ?」

「灰色どころか、無色透明です。そこに愛はありませんからね」


「事務的なものですよ」とキーボードを叩きながら、私は言った。叩く音が強すぎたのか、未来さんが不思議そうな顔でこっち見た。ヤバい、ヤバい……。


「分かった、一緒に帰ってあげるよ」


 それは、どこか諦めたような口調で。


「どうして上から目線なんですか……。先輩の命運は、むしろ私が握っているようなものなのに」


 意味あり気に笑って見せると、彼は分かりやすく頬を染めて俯いた。しまった、調子に乗らせた。


 目的と手段が決まれば、やることは一つ。

 部活が終わると、私と先輩はそそくさと帰り支度を済ませて生徒用玄関を出る。

 学校から最寄りの駅までは、徒歩で三十分ほどの距離だ。それでもその短い区間で、私の認知していない事故や事件が起きることだけは避けたいのが本音。


 生憎の雨の中、空を見上げて傘を開いた。

 先輩が無言で身を寄せてくる。

 私は顔をしかめながら距離を置く。

 なおも彼は肩を寄せてくる。

 なんなんですか、と思った。


「もしかして……傘を忘れたんですか?」

「すまん、一緒に入れてくれよ」


 先輩は背中をまるめ、小声で言った。


「……しょうがないですね」と思った。いや、声に出てた。


 仕方なく、二人並んで歩き始める。

 傘の中にいると、雨の日の景色は少しだけ変わる。

 室内から眺めているときはジメジメして憂鬱に見える景観も、傘をさして街を歩けば、とたんに気持ちのよい風景に変わる。パタパタと傘を叩く雨音も、物憂げに靄のかかる街角も、どこか幻想的な非日常に見えてくる。

 先輩の肩が濡れないように傘を寄せた時、傘の柄をひょいと彼が摘み上げる。そのまま少し高い位置に掲げた。

 彼の気遣いを察して頭を下げる。「すみません。私、背が低いもので」

 私が謝ると、先輩は「いいよ」と歯を見せて笑った。


 唐突に、辺りを歩いているクラスメイトらの好奇の眼差しが気になった。

 そうか、これが噂の、相合傘というイベントか、と思った。意識し始めると途端に、ひそひそ話の全てが自分達に向けられた噂話に聞こえてくる。

 背中に突き刺さってくる視線の全てが、痛くてむず痒いです。それでも今は、我慢するしかないだろう。

 しんとした空気の中、傘を叩き続ける雨音と、アスファルトを叩く靴音だけが嫌味なほど耳に響く。気まずい、と思い始めた矢先、先輩が口を開いた。


「あれから寿命一年の人見つかったりした?」

「隣にいます」

「いや、そういう話じゃなくて……」

 事実じゃないですか、という皮肉を飲み込み「すいません」と頭を下げた。

揶揄からかってみただけです。実を言うと、そこらじゅうに一杯いますよ」

「そうなの!?」

「ええ。ただし気付いたとしても、寿命一年であることが不自然でなければ、私は見て見ぬふりをしています。例えば、そうですね……、病院に行けば、そんな人をたくさん見れます」

「ああ……」

 と先輩は、バツが悪そうに独り言ちた。

「それこそ寿命が一年であったり、二年~三年の人までごろごろと。だからそういう人達からは、目を背けています。彼ら一人一人に感情移入をしていたら、私の精神がもたないので」


 それはそうだろうね、と先輩が相槌を打った。


「そうしているうちに、他人と深くかかわり合わない癖がついたんでしょうかね。私は冷たい人間だと評価される事が、度々あります」


 こうして寿命の話をしていると、どうしても思い出してしまう過去がある。


「昔あったんですよ。寿命が一年の人を見かけて、でも見過ごして、その直後にその人が自殺をした事件が。あの時は、かなり塞ぎこみました。思いあがりかもしれませんけど、私が声を掛けていれば救えたんじゃないかって、随分と悩んだものです」

「それは結構辛いエピソードだね。中学生の時の話?」

「いえ、小学六年生の時でしたよ。今でもちょっとしたトラウマです。……だから今年は自分を変えられたというか、何人かの命を救うことが出来て、私なりに救われてる部分は結構あります」

「そうだね」と先輩は神妙な面持ちで頷いた。「加護も、色々と大変なんだな」

「慣れていますから」


「じゃあ、また明日」

「また」


 駅に着くと、お互いに手を振り合って別れた。降りしきる雨の中、駅構内に消えていく先輩の背中を、ただじっと見つめ続けた。

 先輩を救えた時、私の贖罪しょくざいの旅は終わるのだろうか。


 翌日から、駅まで二人で歩くことは日課になる。

 明日香ちゃんが同行してくることもあったし、来ない日も多かった。次第に私達は、下校時のみならず、朝も一緒に登校するようにした。

 駅から学校まで至る道のりを、自宅から学校方向に歩き二つ目となる交差点。其処にある歩行者用信号の真下を、毎朝の待ち合わせ場所と定めた。

 取り留めのない会話をしながら、毎日通学路を一緒に歩いた。

 無論私達は付き合ってる訳じゃないので、関係の進展はおろか手を繋ぐことすら無かったが、それでも、二人は交際しているに違いないという噂が、まことしやかに流れ始める。

 人の噂とは恐ろしいもの。

 ……ちょっと迷惑だなと思いつつも、存外に悪い気分でもなかった。

 なんとなく自分が、カースト上位の女子生徒にでもなったようで鼻が高かったからだろうか?

 それでも、訊かれるたびに否定はしておいた。私たちに交際している事実が存在しない以上、事実無根じじつむこんな噂話。


 二人で歩く登下校が毎日の日課ルーチンに変わり、一週間ほど経過した時だったろうか。部活動休養日の放課後に、未来さんが私を呼び出したのは。

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