Part.15『捜索開始!』

 例えるならばそれは、心の奥底に潜む澱み、とでもいうべきものだろうか。

 普段は私の胸の内、その最も深いところで、ただ静かに暗褐色の水面を揺らしているのみだ。

 しかし、私の心が揺れ動いた時、若しくは強い衝撃を受けた時突如として目覚め、私の心をゆっくりと蝕み始める。

 忌々しいこの能力が存在し続ける限り、決して拭い去ることのできないマイナスの感情。心の中にひそむ闇。


 * * *


 次の日から、寿命一年の女性捜しが始まる。

 ただし、相手の名前も住所もわからないという状況。効率が悪いと認識しながらも、街を歩き、往来を行き交う人の寿命を見ながら、地道に捜していくしか方法がない。

 加えて、私達には思ったよりも時間がなかった。八月の最終週に控えた文化祭の準備も、並行して進めなくてはならないのだから。先ずは部活動をしっかりとこなした上で、空き時間を利用していく他ない。

 捜索メンバーは、私と先輩と明日香ちゃんの三人。寿命一年の親子の件を伝えても、彼女は別段驚いた反応を見せなかった。むしろ、冷静過ぎる反応に先輩の方が驚いてしまい、そちらの事情説明に時間を要した。

 捜索範囲は、できるだけ絞った。 

 ただ闇雲に動き回ったとしても、如何にも効率が悪い。前回二人を見失った路地と周辺を重点的に捜し、次第に範囲を広げていくつもりだった。


 そして今日も放課後を迎えると、三人で捜索活動を始めた。


 ──かごめ、かごめ。籠の中の鳥は。


 歩行者用信号機が青に変わる。信号が青に変わると、街も、人の流れも一斉に動き出す。

 今こうしている間にも、刻一刻と時間が失われていることを認識すると、自然と手のひらも汗ばんでくる。寿命一年の二人を捜して、注意深く街角に目を配っていた。

 右左に視線を彷徨わせていると、先輩が不思議そうな顔で尋ねてきた。


「寿命が見えてるんだったらさ、それを最大限利用して捜せないのか?」

「もちろん、最終的な確認は寿命でしますよ。残念ながら、顔は全くといってよいレベルでわかりませんしね」

「いや、そういう事じゃなくて、高い場所──それこそ展望台のような場所から見下ろせば、一発でわかるんじゃないのか?」

「無理ですよ」と私は首を横に振る。「第一に、視界に姿が見えてないとダメです。それに距離が離れてしまうと、見える寿命も相応に小さくなります。肉眼で見えない距離だと、結局は寿命を識別できません」


 視力検査をイメージすると、分かり易いだろうか。寿命の数字はそこまで大きく見えているわけでもないので、数十メートルも離れてしまうと、結局読み取れなくなってしまう。加えて私は、あまり視力も良くない。


「意外と不便なんだな」

 先輩が溜め息混じりに呟きを落とす。

「すいませんね……漫画みたいな超能力じゃなくて」

「でもさあ、見かけた場所はわかってるんでしょ?」


 明日香ちゃんが頭の後ろで両手を組んで、すれ違う人の顔をちらちらと眺める。目が合ったと勘違いした男性が、ちらりと彼女に視線を送った。流石は美少女の目力。


「うん、それこそこの辺り……って先輩?」


 気がつくと、隣に居たはずの先輩の姿がなくなっていた。

 足を止めて振り返ると、喫茶店のショーウィンドウの前に佇んでいる彼の姿が見える。「どうしたんですか? 足並みを乱さないでください」と半ば呆れながら戻り先輩の視線の先を目で追うと、どうやらフルーツパフェの食品サンプルに、目を奪われているようだった。


「加護。俺のやりたいこと、見つかったかも」

「は? なんですか、藪から棒に。まさか……」

「そのまさかだ。俺は前々からこう思っていたんだ。一度でいいから、腹いっぱいスイーツを食べてみたいと」

「……バカなんですか?」


 今度こそ呆れて肩を竦めた私達を置き去りにして、先輩は喫茶店の中に威風堂々いふうどうどう踏み入って行く。


「――ちょっと」


 私達は顔を見合わせて失笑すると、渋々彼の後を追いかけた。


 夕暮れ時迫る時間帯。喫茶店の中は客の姿もまばらだった。

 店内にはカウンター席の他に、ボックス席が三つある。私達は、観葉植物の鉢が置かれてある、一番奥のボックス席に陣取った。

 フルーツの載ったパフェを三つとブレンドコーヒーを注文した後に、私は先輩に「本気なんですか?」と念のため確認を取る。

 先輩は、「もちろんだ」と自信たっぷりに肯いた。


「やれやれです」


 諦めて天井を見上げると、寄り掛かった椅子の背凭れが軋みを上げた。

 ややあって、注文していたパフェがテーブルの中央に三つ居並ぶ。


「ごゆっくり」


 女性の店員は頭を下げると、怪訝な顔をすることもなく、そのまま立ち去って行った。まあ、誰が何個食べるかなんて、店員は知らないのだから当然の話。

 そのうちの一つを、明日香ちゃんが頬を緩めてついばんだ。私は猫舌を発動させてちびちびとコーヒーを啜りながら、目を細めて残り二つのパフェにスプーンを突っ込んだ先輩の顔を眺める。本当にそれ、二つとも一人で食べる気なんですかね?

 途中でギブアップしても責任は取りませんよ? 私、甘いものわりと苦手なんで。

 あ、眉間に皺が寄った。

 おそらくは、キーンとなっているに違いない。欲張るからですよ。だから訊いたじゃないですか、「本気なんですか?」って。


「先輩って、甘いものが好きだったんですね」

 相容れない嗜好だ、と思いながら話題を振ってみる。

「そうなんだよ。でもさあ、男が甘い物を一人で食べてたら、気持ち悪いとか先入観を持たれるでしょ? だからなかなか食べる機会がないんだよね」

「それはなんかわかります。先入観でイメージを作られてしまうと、覆すのが中々面倒ですしね」


 まったくもって同意だった。私も勝手に作られるイメージで、多々苦労してきた過去がある。


「先入観と言えば。何か、先輩に対するイメージが変わりましたぁ」


 この喫茶店は通りに面して大きなガラス窓がある。外界に向けてた顔を戻して、明日香ちゃんが会話に参加してきた。


「そう?」


 先輩は口をもごもごと動かしながら、疑問の言葉を呟いた。

 食べるか話すかどっちかにしなさいよ、という突っ込みを、言わずに飲み込む。


「もっと無口で、かつクールな人なんだと、勝手に思い込んでました」

「まあね」と先輩は彼女の言葉を笑い飛ばした。「初対面だと、そんな感じに振る舞うからね」

「振る舞う?」

「そう。俺は小説を書いている人間だからかもしれないけど、物静かなイメージを持たれるんだよ。だからさ、俺の方から周囲の印象に寄せてるっていうか」


 明日香ちゃんが目を丸くした。


「それでようやく謎が解けました。だから先輩のイメージ、最初と今とで違って見えるんですね。なんだか……私と似てるかもです」

「夢乃もなんかあるの?」

「ありますよぉ」


 言いながら彼女は、カフェオレを追加オーダーした。甘い物は別腹に入るのだろうか。彼女の細身の、それでいてしなやかなラインを描く体躯を恨めしげに見つめる。


「どう言えば、いいんでしょう。なんていうか、おしとやかなお嬢様、というイメージを勝手に持たれるんです。本当は全然違うというのに」


 不満気に下唇を突き出した愛らしい横顔を見ながら、「そうだろうな」と私も思う。

 明日香ちゃんは、それこそなんとなく──裕福な家の生まれで、物腰の柔らかいお嬢様で、かつ、物静かな印象を持たれがちだ。しかし実際の彼女は、むしろ真逆といえるもの。見た目と違って歯に衣着きぬきせぬ物言いをするタイプだし、家も決して裕福じゃない。彼女なりに大きな心労を抱えていることを、私は知っていた。


「ああ、分かる」

 と先輩は仰々しく頷いた。片付けた一個目のパフェを脇に除けながら。……恐ろしい胃袋ですね。

「夢乃って、イメージほどお淑やかでもないし、優雅でもないよね」

「全然、フォローになってませんけど」

 彼女は不満そうに、スプーンをピっと先輩の方に向けた。

「まあでも、仰る通りです。私は言いたいことを我慢して腹に溜め込む性質たちではありませんし、色眼鏡を掛けて見られるのもお世辞を言われるのも嫌いです。だからハッキリ言ってもらった方が、よっぽど気が楽ですねえ」


 再びスプーンでパフェを掬いながら、明日香ちゃんは花のように笑った。

 先輩は彼女に笑みを返すと、会話を切り上げ窓の外に視線を向けた。通りを行き交う人の波に、視線を走らせている。

 その時のこと。コーヒーカップを口に付けたままボーっとしていた私の肩を、先輩が叩いた。


「ふえ、どうしたんですか?」

「加護。あれ──」


 先程まで物憂げだった先輩の顔は引き締まり、目を見開いていた。彼が指差す方向に注意を向けて、私も同様に驚いた。

 喫茶店の前に見える車道。その対向車線側の歩道に、車椅子に乗せた老婦人を押して歩く中年女性の姿があった。間違いない、あの日の寿命一年の親子だ。


「ビンゴ?」と潜めた声で彼が尋ねてくる。「はい、ビンゴです」と私は首肯した。

 そして、同時に気がついた。

「もしかして喫茶店に入ったのは、この場所で張り込みをする為の時間作りだったんですか?」

「まあ、半分は正解」先輩は、はにかむように笑った。


 すいませんでした。本気でバカなのかと疑ってました。実際のところ、もう少し要領の良い方法が有りそうなもんですが、取り敢えず今は、心の中で謝罪をしておきます。


「ええと、お金……」


 財布を探しながら立ち上がった私を、明日香ちゃんが片手で制した。


「会計ならいいよ、私と今泉先輩で済ませておくから。咲夜は構わず二人を追いかけて」


 キッパリと淀みなく言い切る口調。彼女の気遣いを感じ取ると、私は「ごめん」と頭を下げた。


 急いで喫茶店を飛び出すと、二人の姿を目で確認してから駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る