Part.14『告白』

 翌日。先輩に直接話を聞こうと決心した私は、昼休みになると、二年生の教室の前にいた。

 青高の教室配置は、私たち一年生の教室が三階、二年生が二階、三年生が一階である。比較的多くの学校で見られる、階層ごとで学年の教室を分けるという配置である。


 息せき切って走って来たことで弾んでいる呼吸を整えながら、そっと中を覗き込んでみる。

 男子と女子が半々くらいの面々。

 女子生徒の何人かはこちらに視線を向けた後、興味を引く相手では無いと思ったのだろう。また元の会話に戻っていった。一方で男性生徒の何人かは、値踏みするような視線を送ってきた。

 二年生の教室に一年生の女子生徒がやって来るのは、比較的珍しい光景なのだろう。男子の先輩が、すれ違い様にちらちらとこちらを振り返りつつ廊下に出て行くのが分かる。


 ──くそ、めっちゃ恥ずかしい。


 先輩の席は何処だろう? 視線を急いで左右に走らせていくが、なかなか目当ての姿は見つからない。

 どうしようかと悩んだ挙句、教室の敷居を跨ごうとしたその時、私の姿を認めた男子の先輩が声を掛けてきた。


「誰かを捜しているの?」


 出来れば二年生の教室に入りたくなかった私は、有り難くその申し出に乗っかった。


「あ、はい。今泉京先輩を」

「お~い今泉、お前に来客だって。彼女かな?」


 次の瞬間、教室中の視線が私の方に流れてきた気がした。反射的に、扉の陰に身を潜めた。あるいは自意識過剰なのかもしれない。だが何人かの女子生徒は、間違いなく好奇の眼差しを向けていた。

 まったく、何てことを言ってくれるんですか!

 あんな暗そうな一年が、二年の教室まで来て呼び出しだって~勇気ある~などと噂になったらどうしてくれる!

 恐る恐る教室の中に視線を戻すと、立ち上がってぎくしゃくと歩いてくる今泉先輩と目が合った。

 先輩はばつの悪そうな顔で廊下まで出てくると、私の袖口を引っ張って廊下の端まで導いた。そのまま私の耳元に顔を寄せると、極限まで潜めた声で囁いた。


「変な噂が立つから、やめてくれよ……」

「ぬ、濡れ衣です。私は『今泉先輩を捜している』と言っただけですよ」

「まあ……なんでもいいや」

 案外と簡単に先輩は折れた。

「それで? 態々わざわざ教室まで来たという事は、何か用があるんでしょ?」

「はい。二人きりで話したいことがあるので、屋上まで来てもらえないでしょうか?」


 手短に用件を告げると、先輩は何故か顔を赤らめた。


「今?」

「今です。二人きりでしか話せない内容ですし、ついでに言うと、明日もう一度この教室に顔を出す勇気はありません。つい先程、私の心が折れる音がしました」

「それは……そうだろうね」と先輩は神妙な面持ちに変わると「わかった」と首肯した。


 そうして二人、屋上を目指して歩き始める。背後から何人かの女子生徒があげる湧き立つ嬌声きょうせいが聞こえてきたが、振り返る勇気などなかった。


 * * *


 眼前に広がる澄み切った青空。屋上には、暖かい春の風が吹いていた。

 私は、落下防止用のフェンスがある場所までゆっくり進み、白く塗装された金網部分に片手を触れた。金属特有の冷たい感触が、手のひらから伝わってくる。一度深呼吸をしてから、先程までと同じように、ゆっくりとした動作で先輩の方に向き直る。


「──先輩」


 私は彼の名前を呼んだ。

 重大な告白をしなければならない。極限まで緊張が高まり、声は自然と擦れトーンまで低くなる。視線はコンクリートの床に、彷徨うように注がれていた。


「……はい」


 先輩が強張った表情で首肯する。彼の緊張感まで、私に伝わってくるよう。

 体の正面で交差させてた手のひらを背中に回すと、努めてゆっくりとした口調で語り始める。


「これから私の言う事を、驚かないで聞いて下さい」

「うん」

「私、ずっと隠していた事があるんです」

「うん……」

「ずっと伝えたかったけれど、言えてなかった事があるんです」

「……」

「私、知ってるんです──」


 その時突然吹いた強い風に、顔を背けた。

 大きく翻ったスカートの裾を片手で押さえながら顔を戻すと、こちらを向いていた先輩と目が合う。黒目がちな彼の瞳に投影されていたのは、空の青と私の姿だけ。先輩の顔に、さっと気まずさと羞恥の色が混じって浮かぶ。

 逃げちゃダメだ、と怯える心を叱咤する。冷静に、慎重に、なるべく遠回しに真実を伝え、情報を聞き出す必要がある。

 先輩の顔を真っすぐ見つめると、私は自らの秘め事を告白した。


「先輩はもうすぐ死ぬんです。たぶん一年以内」



 ──最悪だ。



 寿命が見えること。若しくはそれに纏わる話を伝えた時。向けられる反応と眼差しは常に同じだった。

 それは──得体の知れないモノを見る嫌悪の眼差し。または畏怖の念。

 だから私は、自分の『能力』に纏わる話を極力他言しない。「妙な人間だ」と思われてしまった瞬間に、それまで築き上げてきた信頼と関係は、音を立てて崩れ去ってしまうのだから。

 無論、ここまでの経緯と情報から、先輩の死因を考察できるだけの慧眼けいがんが私に備わっていれば良いのだが、生憎とそんなものはない。だからこそこうして、直接話を聞くために出向いているのだが。


 それにしても──信じられないような自分の失態に、思わず目を閉じ俯いた。伝える以上、覚悟はしていたつもり。先輩がどんな顔をしていても、気にしないように……。自分に、そう言い聞かせながらゆっくりと顔を上げた。

 けれど、先輩の顔を見て私は拍子抜けした。彼の顔に浮かび上がっていたのは、恐怖でも嫌悪でもなく、驚きと、ただ純粋な疑問の色だけだった。


「それって、本当なの?」


 何処か間の抜けた声で先輩が訊ねてくる。


「本当か、と問われるならば、本当です。とても信じがたい話だとは思うのですが、私は他人の寿命が見えるんです。だから──先輩が来年までに死んでしまうことも把握しています」


 再び自分に呆れ返る。情報を小出しにするつもりだったのに、勢いで全部言っちゃった。バカじゃないの私!

 それでも尚、先輩は別段驚いた顔をしない。「そうなんだ」と納得したように呟いた後、可笑しくてしょうがないという風に、大きな声で笑い始めた。


「あれ……疑わないんですか? 私のこと、妙なことを言う、変な女だなって思わないんですか?」

「変な女だ、なんて思わないよ。もちろん突飛なことを言い出す奴だな、とは思うけど。でも、そんな事よりもさ、どんな告白をされるんだろうと身構えていたんだ。それなのに、死ぬ、とか真面目な顔で言ってくるもんだから、なんだか可笑しくなっちゃって」

 そう言って彼は、ひとしきり笑った。「それでも──」


 一度背筋を伸ばして真顔になると、彼は「信じるよ」と淀みなく言い切った。


「……え、っと。本当に信じてくれるんですか?」

「んー、そうだな。正直実感が湧かない、というのが本音なんだけど、でも、随分真剣みたいだし? それに何でだろう。加護がそう言うんだったら、きっとそうなんだろうな、と心の何処かで腑に落ちるんだ」


 先輩は私の側までやって来ると、頭の上に手を置いてわしゃわしゃと撫でた。


「やめてください。子供扱いしないで下さい」抗議の意思をこめて彼の手を払い除けるも、何故か釣られて笑ってしまう。「先輩はほんとに、変な人ですね」


 本当に変な人だと思う。なんの疑問も抱かずに私の告白を信じてくれた人なんて、たぶん明日香ちゃん以来。

 だが、こうなった以上中途半端に隠す意味等ない。私は、自分の能力に関する秘密の全てを、包み隠さず伝えていった。寿命が見える事。私の能力は、意外と不便で使い道がない事。先輩の寿命が一年である事。寿命は明滅していないので、数日中に死ぬことは無いだろう事。

 彼は茶化す事も取り乱す事も無く、私が淡々と続ける話の内容に、所々で相槌を打ちながら真摯に耳を傾けてくれた。


「なるほど」納得顔で、彼は頷いた。「まるで、漫画の中の話みたいだな」

 が、「ところで加護」と質問を返してくる。

「はい」

「その、どことなく思わせぶりに言うのは、わざとなのか?」

「思わせぶり? 何のことですか?」

「無自覚なのか……誰か助けてくれ……」

 先輩が、眩しそうに空を仰ぎ見た。

「何を言っているのか、よくわかりませんね」

「まあ、いいや……」

 ぼそっと呟きを落とすと、先輩は屋上のフェンスに背を凭れる。

「それで? 俺は、どうすれば死ぬ運命から逃れられるんだ?」

「わかりません」

「わからないのか……」


 先輩は露骨に落胆すると、空に向けていた視線と肩を同時に落とした。


「さっき説明したじゃないですか。私の能力に、死因を特定する力はないんだと。ただ、これだけはハッキリ言えます」

「なんだい?」

「交通事故にだけは遭わないよう、日々細心の注意を払って下さい。自分で防げるものなんですし、先輩だって事故で死ぬのは嫌でしょう?」

「まあ、それはね。うん、分かった」


 軽い口調で彼が言う。本当に分かってるんですかね、この人。

 もっとも、先輩が死因を知りたがる気持ちはよくわかる。そういった問い掛けに対して助言できないからこそ、私は自分の能力に纏わる話を、決して他言しない。それでもこうして伝えているのは、彼の運命を変えたいからだ。

 いや、どうなんだろうな。

 これは、自分の罪を許し許される為の、代償行為に過ぎないのかもしれない。


「私の能力は、あくまでも人の寿命が見えるだけ。だから、先ほどのような当たり前の助言をするのが精々なんです。それでも私は、先輩の事を助けたい。だから先輩が今、どんな問題を抱えているのか知りたいんです。何かトラウマに感じていること、又は悩み事とか無いんですか? それこそ、生きていること自体が辛くなってしまうような」

「無茶をいうな」と先輩が苦々しく笑う。


 そのまま腕組みをしてう~んと暫く唸った後、手のひらの上で拳をポンと叩くと、悩ましげな顔で私の方を見た。


恋煩こいわずらいを、している」

「誰にですか?」

「君に」

「……死んでください」

「加護は俺を生かしたいのか殺したいのかどっちなんだ。──まあ、今のは冗談なんだけれども」

「こんな時に冗談なんて、悪趣味ですね」


 一度憤慨した後で、少し考え訊き方を変えてみる。


「では、質問を変えましょう。やり遂げたい人生の目標とか、何か無いですか? こう、生きる希望を見いだせるような」

「待ってくれ、その『生きる希望が無い』ことを前提に話を進めるのは、どうなんだ?」


 先輩の唇がわなわなと震えた。


「取り敢えずは、その方向性から潰していこうかと」

「その考え方には大いに異論を唱えたいところだが、まあいいや……。この間も言っただろう。俺には、死にたいと感じてしまうような悩み事も厄介事も一切無いと。……言いにくい事だが、大した目標もない」

「そうですか。残念です」

 今度は私が肩を落とす番だった。彼に倣って鉄製のフェンスに背を預ける。

「生きることに何ら不満を持っていないのに、落胆されるのは初めての経験だ」

「すいません」


 頭を下げながら、流石に不躾ぶしつけだったろうかと今更のように自分を戒めた。先輩と話をしているとどういう訳か心地良いので、ついつい私も饒舌になってしまう。仮にも相手は、同じ部活の先輩だというのに。

 だが彼は、特に気にした素振りも見せない。思い出したように、「ああ、もしかして」と呟き私を見た。


「この間の帰り道で加護が言っていた、『中学時代の知り合いを見かけた』という話。あれはやはり、嘘なんだろう?」


 伝えるべきだろうか、と暫し逡巡してしまう。だが、自分の能力を全てカミングアウトしておきながら、先日の話だけ誤魔化しておくのも妙な話。


「やはりお見通しでしたか」

 言いながら、先輩の目を見た。彼の瞳は逸らされない。

「どうやら隠し立てできそうにないので、本当のことを話します。あの日──先輩と同じように寿命一年の人物を見かけて、追いかけてたんです」

「なるほど。だからあんなに慌てていたのか。それで、どんな人物だった?」

「車椅子に乗せられた老婦人と、車椅子を押して歩く中年女性でした。二人とも、寿命が一年になっていました」

「ふむ」


 呟きののち、彼は拳を顎に当て思案する。


「……それはちょいと、不自然だな」

「そうです、先輩の言う通りです。あの二人は何らかの事故か事件に巻き込まれる可能性が高いんじゃないかと疑っています。だからこそ、どうにかして助けたいと思うのですが、名前も住所も、それどころか顔すらわかりません」


 そこまでを一息に吐きだすと、私は力なく項垂れた。


「助けよう」

「え?」

「その二人を助けよう。俺と加護の二人で。それが俺のやりたい事だ」

「何を言ってるんですか。それは先輩自身と無関係でしょう? 私が心配して尋ねているのは、先輩個人のやりたい事、若しくは悩み事なんですよ?」


 さっきから話のペースを握られっぱなしだ。真意を問い質すつもりで先輩の方に一歩近寄ったその時、予鈴の音が鳴り響く。話はお終い、とでも言いたげに彼は背を向けると、首だけをこちらに向けて晴れやかに言った。


「今は本当に、漠然とした目標しか無いんだよ。だからさ、俺のことは取りあえず後回しにして、その二人を助けようぜ?」

「でも──」

「ま、そのうちになんか気になる事でも見付かったなら、そん時は相談に乗ってくれよな? 頼りにしてるぜ、ちょっと不思議な後輩ちゃん」

 なんだか馬鹿にされてる気がしないでもないが、一先ず釈然としない思いを飲み込んで、「分かりました」と頷いた。


 先行して歩き始めた前方の背中をじっと見つめる。今泉先輩は、とんでもないお人よしだった。

 でも彼の表情を見ている限り、言っていることに嘘はなさそう。だから先輩の家庭の事情についても、当分のあいだ不干渉でいようと思う。私が首を突っ込むのも差し出がましいことだし、実際にしてあげられることも無いのだから。

 但し、諸々の事情が重荷となって、先輩の心が折れそうになった時は、私が手を差し伸べよう。

 一度立ち止まって空を見上げると、強い春の風が吹いた。


 空も心も晴れやかに澄み渡る中、こうして、私と先輩による奇妙な共同関係は──幕を開けた。

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