Part.13『今泉家の事情』

 薄暮の夕陽が視界の先を茜色に染め上げる。

 私は部活動を終えた後学校を出ると自宅とは違う方角に歩き、そのまま先日の五十嵐電気店を訪れていた。

 扉を開けて中を覗きこんだ。相も変わらず散らばったままなのね、と雑多に物が積み上げられた店内を見渡しながら、「こんばんは」と中に声を掛ける。

 数秒の沈黙が流れた後、新聞を両手で広げ読んでいたらしい店長が、物陰からひょこっと顔を覗かせた。


「君はこの間の……。えーと、名前……」

「加護咲夜です」

「ああ、咲夜ちゃんね。なるほど、良い名前だ」


 蛍光灯が落ち着いた淡い光を落とす店内に、足を踏み入れる。今日は一人でやって来たことで、緊張を腹の底に感じた。

 五十嵐店長はスポーツ新聞を綺麗に折りたたんでレジ脇の棚に載せると、私に丸椅子を勧めてきた。


「私の名前、いいんですかね」

 勧められた椅子の場所を整え、腰を落ち着けた。

「なんだか夜って言葉は後ろ向きなイメージを持たれがちなので、自分としては然程さほど気に入っていないんですが」

「夜から連想される単語が、朝とは反対の、死や終わりといった暗さに纏わるものが多いからかい?」

「まあ、実際そんな感じです」

「だが、別に悪いイメージばかりじゃないぞ。例えば神話の世界においては、夜は自由であることや、美しさを象徴する言葉でもあるらしい。いいじゃないか。凄く響きのいい、君にピッタリの名前だと思うよ」


 咄嗟に出てきた雑学からも、店長の博識ぶりがうかがえる。なにより落ちついた声音が、大人の男性を感じさせて心地よい。

 けど、「ピッタリ、ですか」と微妙な反応を返した私を見やると、彼は顎に手を添え「ふむ」と黙考した後、次の言葉を導きだした。


「……これは僕の推測だけど、自分が無口な事を気にしているとか、そんな感じなのかい?」

「わかりますか」


 朗らかじゃない自分の性格も、そんな内面を連想させる名前も、実のところあまり好きじゃない。不満を、腹の底に抱いている自分の事は尚更。醜い内面を見透かされたように感じて、反射的に背を丸めて縮こまる。


「まあ、なんとなく。僕も昔は無口な方だったし、その事を気に病んでもいたからね。だから君を見ていると不思議と同調できる部分があって、他人とは思えないんだよ」

「店長さんがですか? なんだか信じられないですね」


 この間先輩が、店長は昔陰キャだったはずとも言っていたが、それでも俄かには信じられなかった。


「歳を重ねるとさ、人は変わって行くものなんだよ。だから今は負い目を感じていても、何れ変われるから気を揉む事もないよ。それに、君の両親が一生懸命悩み、考えて、付けてくれた名前だろ。それだけでも有難いことじゃないか」

「ええ、それはまあ」

「それともう一つ」と店長は言った。「君のように質素な雰囲気の女の子の方が、案外と男にモテるんだぞ」

「それを言うなら素朴、若しくは清楚じゃないんですか?」と私が突っ込むと、「ああ、そうだったかも」と店長は含み笑いを漏らした。


 酷いですね、と釣られて笑うと、店長は満足した顔で立ち上がる。


「そろそろ、緊張も解れてきた頃合いかな?」


 その言葉で強張っていた自分の身体が、いつの間にか弛緩しているのに気が付いた。私は感情が表に出易い方、とよく言われるけれど、最初から全部お見通しだったのかな、と恐縮してしまう。


「飲み物、コーヒーでいいかな?」

「……いえそんな、全然お気遣いなく」

「ははは、僕だって男だ。滅多にない女子高生の来客にくらい、気を遣わせてよ」


 言いながら、店長は一旦店の奥に引っ込んで行った。数分後、コーヒーカップを二つ持って戻ってくると、うち一つを私に差し出した。「有難うございます」と頭を下げて受け取ると、彼はレジの脇に置いてあった椅子を手繰って腰を下ろした。


「それで?」コーヒーを啜りながら、訳知り顔で店長が尋ねてくる。「態々わざわざ僕のところまでやって来たからには、何か聞きたいことがあるんだろう?」

「何でもお見通しなんですね」

「これでも一応、君よりは人生経験が長いつもりだ」


 見るからに暇そうだ、という事情を差し引いたとしても、店長は勤務中の身。そんな彼が、こんな一介の女子高生相手に時間を割いてくれてるんだ。私の方から用件を切り出すのが礼儀だったのに、むしろ気を遣わせてしまったことに罪悪感を覚えてしまう。

 よし、言うぞ、と緊張を紛らわす目的で一度カップに口をつけ、小さく息を吐いたのち話を切り出した。


「今泉先輩の家の、借金の話を聞かせてもらえないでしょうか?」


 すると店長は、私の顔を覗き込んできた。真意を問質すような瞳が向けられる。


「それは……誰から聞いた話だい? 京本人から聞いたのか?」


 店長の顔にすっと影が差し込む。やはり、何か深い事情がありそうだと直感した。


「いいえ」と私は首を横に振った。「聞いたのは、先輩の友人からです。私などが余計な詮索をするのも差し出がましいと思いましたが、知ってしまった以上、見過ごすことも出来なくなった。……そう考えて頂けると幸いです」


 全て納得した、という風ではなかった。だが、私が本気であるということは伝わったのだろう。

 ふむ、と呟きを落とすと、店長はコーヒーカップを一旦、棚に載せていた新聞紙の脇に置く。懐から煙草を一本取り出すとライターで火を点け口に咥え、続け様に紫煙を吐いた。


「もし京の奴が、この先塞ぎこむようなことがあり、君に救いの手を求めてきたとしたら、彼の手を握る覚悟はあるかい?」


 真摯な瞳が向けられている。これは聞いて後悔しないか、という店長からの最終確認だ。言葉の意味を噛みしめた上で、私は彼の双眸に視線を留めた。


「あります」

「ならば……語ろう」


 店長は満足そうに頷くと、やがて、囁くような口調で語り始めた。


「今泉の父親と僕は、大学時代の先輩後輩の間柄だ。ちょうど僕が、今泉の二つ下にあたる。今泉は、この近くにある電子部品を製造する工場で、社長をやっている人間だ。従業員は精々三十名程度の、いわゆる中小企業って奴だな。パソコン用の電子部品もその工場では取り扱っているから、僕も度々部品を融通して貰っている。大学時代の付き合いもあるし、今でも懇意にして貰っている仲だよ。

 五年ほど前の話になる。彼は大手の電子部品メーカーから取引を持ちかけられた。それは、毎月何万個という電子部品を納めて欲しいという大口の契約だった。ただしそれは、工場が当時抱えていた設備と人員では、些か対応しきれない程の数量だった。そこで、幾つかの銀行から融資を受けることになる。分かり易く言えば借金の事だ。そのお金を元手にして、数台の自動機を導入していった。そして借金のうちの一部は、僕が連帯保証人として名乗り出ていた」


「ああ……確か、借金を巡るトラブルがあったとも聞きました」

 私が口を挟むと、「その通り」と言って彼は口元を歪め、複雑な感情を笑みにまぜた。


「ところが、契約は突然破談になってしまう。自動機も全部工場に入り、後は受注を待つだけという段階になってからね。大変だったのはここからさ。まあ正直に言うと、僕と今泉も結構揉めた。借金の総額は、一千万円を優に超える額だったからね。幸い、といってよいのか分からないが、僕が連帯保証人になっていた分の借金については彼も優先的に返済を進めてくれて、数年前に無事完済した。僕自身も、新たな借金を幾ばくか抱えることにはなったけれどね。だが──残り二つの銀行から抱えていた借金は、未だに一部残っているらしい。それで愛想を尽かされたんだろうね、今泉の奥さんは、数年前に家を飛び出すと、そのまま戻ることもなく離婚が成立してしまった」


 店長は、ふう、と紫煙を吐き出すと、「だからこそ僕は、自分の借金が片付いた今でも、諸手を上げて喜ぶことはできないんだよ」と話を締めくくった。


 元々は、大口の契約が取れることを前提として抱えた借金。取引そのものが破談となっては、返済計画が立ち行かなくなってしまうことは想像に難くない。

 個人経営する会社なのだから、先輩の父親に直接返済の義務が圧し掛かってくる。加えて、大人である先輩の父親や店長ですらも持て余すような金額。どう考えても、高校生である私に、解決の糸口を見いだせる話ではなかった。

 むしろここまで大きな話になってくると、借金だけの問題で済んでいるかも疑わしいところ。 


「借金以外でのトラブルは、無かったんでしょうか?」

 頭の中に浮かんだ疑問をぶつけてみると、店長は苦みばしった顔でこう告げた。「──あった」と。


「契約が破談になり多額の借金も抱えた。当然、工場の台所事情は火の車だ。そこで、複数の社員を自主退職──と言えば聞こえは良いが、端的にいうとリストラせざるを得なくなった。だがやはりというか、人員整理も全てが円滑には進まなかった。退職に追い込まれた人間とその家族が強く反発し、不当解雇として責任を問われ訴訟になりかけた」


 訴訟、という言葉が持つ意味の重さに、私の脳が軽く震える。


「それで、どうなったんですか?」

「幾ばくかの慰謝料を支払うことで、なんとか示談が成立したとか言ってたな。あのまま訴えを起こされた場合、整理解雇が認められるかは微妙なところで、敗訴しかねない状況ではあった。まあ勝っても負けても、お互いに遺恨を残す結果になるだろうし、最善の方法だったんじゃないか」


 乾笑かんしょうを浮かべ、灰皿で煙草の火を完全にもみ消すと、店長は椅子に深く座り直した。


「辛気臭い話だっただろう? これが今泉の親父と借金に纏わる話の全てさ」


 ただ話を聞いていただけなのに、大きな溜め息が思わず漏れた。


「はい。覚悟はしていたつもりでしたが、予想以上に重い話で困惑しています。正直なところを言いますと、先ほど先輩に手を差し伸べると言ったことを少し後悔しています。先輩が塞ぎこんだ時、目を背ける、という意味ではありません。支えてあげたい──とは思うんですが、自分に何ができるのか具体的なイメージがわかないとでも言いますか。それで、少しばかり愕然としている最中さなかです」

「君は性根が素直な女の子なんだな。なかなかいいね、僕のタイプだよ」


 今どき珍しい、と店長は、本気とも冗談ともつかない顔で笑った。


「ついでに、もう一つ訊いても良いですか?」

「なんなりと」

「今泉先輩って、小説書くの好きなんですよね?」


 予想外の質問だったのだろう。店長は、キョトンとした顔で瞳を瞬かせた。


「間違いなく好きだと思うぞ。それこそ三度の飯を食うとき以外は、小説のことばかり考えてるような男だ。それにしても──そんなことなら、アイツに直接訊けば良いじゃないか? もしかしてアイツ、あんまり構ってくれないのか?」

「そうでしたか……なら、良いのですが。あと、構って云々は店長さんの誤解です。私たちはそんな関係じゃありませんから」


 期待に沿えられないのは申し訳ないが、誤解であるものはしょうがない。

「そうなのか?」と彼はいよいよ不満気に呟いた。

 店長の口ぶりからも、今の話に嘘が無いことは分かった。良かった、と安堵してから苦笑い。私が、他人のプライベートにまで首を突っ込んでいるなんてな、と。まったくどういう心境の変化だ。


 カップの底に残っていたコーヒーを飲み干すと、私は鞄を手に持ち立ち上がる。


「今日は貴重な話を聞かせて頂いて、有難うございました」

 頭を下げ、踵を返した後で一度だけ振り返る。

「それから、パソコンも有難うございました。なかなか使い勝手がよくて、重宝しています」

「そいつは朗報だ。大事に使ってやってくれ」

 店長は得意気に、歯を見せて笑った。


 辺りはすっかり夜の帳が降りていた。暗くなった夜道を、常夜灯が落とす光を見つめながら歩を進める。まだ四月。夜になると相応に吹く風も冷たさを増す。身震いをして、羽織ったコートの襟を立てた。

 色々と調べてはみたが、先輩の周辺に、家の借金以外で暗い影や問題点は見つからなかった。借金の話は確かに気になるとは言え、何年も前の話であり現在は解決しつつある事柄。借金の事を苦心して、先輩が命を絶つ、なんてこともまあないだろう。

 先輩の寿命が、いつ一年と確定したのか分からない以上憶測となってしまうが、実のところ、これまでに何度か人の寿命が変化したケースに遭遇している。変化した理由は、必ず、何らかの外的要因──いわゆる環境の変化──に起因する自殺、若しくは病気だった。

 そう、あの日の彼女のように……。

 もう一度身震いをして、頭を左右に振った。


 もし、来年までに死ぬ事が当初の予定と異なるならば……ここ一年以内に何か大きな環境の変化が起こっているはずなんだ。借金の問題とは異なる、何かが。

 ……ダメだ、わかんない。やはり、直接先輩に話を訊いてみるしかないだろうか。


 待てよ、そういえば一つだけあったな。ここ最近起こった環境の変化。


 文芸部に入った、一年生の存在。


「つまり、──なんつって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る