Part.10『寿命一年の親子』

「良い人でしたね」とパソコンを抱えながら隣の先輩に話しかけると、「ちょっとだけ、変な人だけどな」と彼は肩を竦めてみせた。


 先輩の自宅は、駅から電車に乗って三駅先にある。別に送ってくれなくても良いよ、と彼は遠慮したのだが、「買い物に付き合わせたお礼です」と告げて、半ば強引に駅まで一緒に歩くことに決めたのだ。


 歩きながら、ちらちらと先輩の横顔を盗み見た。今まではなんとも思ってなかったのだが、先日明日香ちゃんに痛くもない腹を探られたせいで、なにやら妙に意識してしまう。

 うわ、睫毛まつげ長い。見慣れない横からの視点のせいか、いつもより鮮明に目に映る。

 どこか中性的な顔立ちに見えるのは、そのせいかもしれない。鼻筋だって通っているし顎も細い。背景に広がる橙色から濃いめの蒼に変化を始めた空は、彼の整った輪郭線を、綺麗なシルエットにして際立たせていた。


「あの人さ、うちの親父の知り合いなんだ」


 彼の横顔に見惚れていた私は、突然鼓膜を叩いた澄んだ声に驚き、僅かにかかとが浮き上がる。


「ああ、『今泉のせがれ』とか言ってましたもんね」

「うん。実は昔色々とあってね。家の親父と一回関係が拗れかけたんだけど、それでもなんだかんだで良くしてくれるんだ」


『拗れかけた』という彼の言葉を、気遣わしく感じた。けど同時に、それ以上詮索するべきではないだろう、とも。人が色々というフレーズを用いる時は、これ以上踏み込んで欲しくないという予防線を張っている時なのだから。

 それに、お互いの立ち入った話ができるほど、私達の関係も懇意なものではないのだし。


「加護さんってさ、夢乃とは同じ中学なの?」

「はい、と言うか、中学どころか小学校からずっと一緒ですよ。そもそも家が近所なもので」

「どうりで。だから二人は仲が良いんだね」

「腐れ縁って奴です」


 笑いながら、腐れ縁か、と心中で思う。

 文字からそのまま受けるイメージと異なり、本来良い意味で使われる言葉だ。けれども、私がほぼ一方的に明日香ちゃんに依存している今の状況は、本当に良い関係なんだろうか。


「先輩も文芸部の中に、同じ中学の人とかいるんですか?」

「佐藤部長は中学から一緒。だから妹の亜矢ちゃんの事もよく知ってるよ。彼女の差し金なんでしょ? 文芸部に入ったの」

 ははは、と思わず苦い笑みが零れた。

「切っ掛けは確かにそんな感じでしたね。でも、誤解しないで下さい。入部したのはあくまでも私の意思であり、彼女に気遣った訳じゃありません。今はただ純粋に、小説を書きたいと思ってます」


 切っ掛けも、動機も、本当のことはまだ言えてない。それでも、小説を書きたいと気持ちが逸っているのは嘘じゃなかった。


「そっか。なら、安心した」

「小説といえば、この間、ウェブサイトにも投稿してると言ってたじゃないですか? やっぱり、結構人気出てるんですか? 先輩の小説」

「あはは……そうでもないよ。たまーにジャンル別の集計で、ランキング上位まで上がってくるけど、それが精々かな。総合順位だと、あんま大したことないね」

「そんなもんなんですか?」

「ああ。俺が書いているのは難しい推理小説だからね。相対的に読者は多くない」


 成る程、そういうものなんだ。ウェブ小説なんて全然読まないし知らなかったけど、上手ければ相応に人気が出る、というわけでもないんだな。


「でも、ジャンル別とはいえ上位だったら、やっぱり凄いんじゃないんですか?」

「んー」と彼は微妙に難しい顔をした。「凄いんですか、と訊かれて、凄いんだよ、と答える程、俺も面の皮が厚くはないよ」

「そうでしたか。すいません」

「……言い方」

 先輩の顔が益々渋く変わる。

「え。なんか、オカしかったですか?」と言い掛けて、直ぐに気がついた。「ああ、面の皮が厚いって意味じゃないですよ」

「……分かってる。でも加護さんって、意外と鈍感でマイペースなのな」

「それこそ失礼ですよ」


 顔を見合わせて、二人で声を出して笑った。


「私、先輩の書く小説凄く好きですよ。文化祭用に書いてるの出来上がったら、是非読ませて下さいね」

「ああ、良いよ。というか、どうせ文化祭で公開するんだから、態々わざわざ確認とらなくても読ませてあげるよ」

「そう言えば、そうでしたね。でも、今書いてる推理小説、本当に凄いです。よくあんな事件の話が思いつくなあ……と感心してます」

「いや、まるっきりゼロから考えているわけでもない。実際に起きた詐欺事件とか、密室殺人のトリックとか、色んなものを参考にはしているよ」


 密室殺人は当然フィクションの奴ね、と彼は口添え笑った。


「そういえば最近、詐欺窃盗に誘拐と、未解決事件の報道が多いですしね。……そういうところから、取捨選択してネタにしていくわけですか。やっぱり私なんかとは、創作活動に使ってるエネルギーが違いますね。ところで先輩は、何時頃から小説を書いてるんですか?」

「中学に上がった頃かな。その位の時にはもう、書いてたような気がするな」

「……そんなに前から。先輩は小説を書くのが、本当に好きなんですね」

「好き──か。まあ、俺にとって小説を書くことは、もはや義務みたいなものだからな」


 何処か自虐めいた口調で呟くと、即座に彼の笑みは剥がれ落ちる。代わりに浮かんだ寂しげな表情と、顕著な反応の変化に思わず驚いてしまう。


「ん、俺の顔になんかついてる?」

「あ、いえ……」


 ──義務。

 先輩の口から飛び出してきた思いもよらない単語に、胸中に困惑の雲が広がっていく。

 確かにまだ、冒頭部分しか読ませて貰ってはいない。でも、先輩の書く小説からは、読み手を楽しませたいという包容力を感じていた。全ての登場人物を愛していると分かる、丁寧な心情。細かい描写から伝わってくる、作品を愛してやまない気持ち。

 だからこそ、彼は小説を書くのが純粋に好きで堪らないんだと、勝手に解釈してた。

 それなのに、どうして?

 もしかすると先輩は、その非凡な才能故に、私のような凡人では思いも至らぬ、苦悩や重圧を抱えているのかもしれない。届きそうにない領域の話にまで考えが及ぶと、それ以上突っ込んでは訊けなくなってしまう。


 次第に落ちてくる沈黙。

 街の喧騒も、とたんに耳障りなノイズに感じられてくる。

 部活と小説以外に共通の話題を持たない私たちは、なんとなく会話が途切れてしまう。沈黙が長く続くようになると、次第に息苦しさを感じ始めた。


 何か、話題はないだろうか。


 藁にも縋る思いで、視線を街角の風景に飛ばし始めたその時、視界の隅に飛び込んできた〝それ〟に、私の視線がくぎ付けになる。


「加護さん?」


 不思議そうな彼の声を聞き流し、車道を挟んで反対側の歩道を進む、二人の女性を見つめ続けた。


 ──……居た。寿命が一年の人物。


 一人は車椅子に乗せられている老婦人。年齢は七十代半ばといったところだろうか? 彼女一人だけが寿命一年の人物であったならば、私は間違いなく見過ごしていただろう。彼女の年齢を考慮すれば、寿命が短くても別段おかしくないからだ。

 だが、老婦人を乗せた車椅子を押している中年女性。彼女の寿命も一年なのだ。それはおかしい、あり得ない事だと私の脳が警鐘を打ち鳴らす。

 死因が分からない以上憶測に頼らざるを得ないが、恐らく二人は同時に命を落とす。必然的に二人は、何らかの事故、あるいは事件に巻き込まれる可能性が高い。


「先輩ごめんなさい、急用を思い出しました」


 努めて自然にそう告げると、私は弾かれるように駆けだした。背中から「加護!」という先輩の声が追いかけてくるが、足を止め説明している余裕はなかった。横断歩道の前まで辿り着いて顔を上げる。

 赤信号だ。なんでこんな時に……

 対向車線側の歩道に、もう一度目を向けてみる。車椅子を押した女性が、路地を曲がっていくのが見えた。

 曲がった路地の形状を脳裏に焼き付けると、信号が青に変わった瞬間に飛び出した。横断歩道の上ですれ違う人達と何度か肩が接触し、その度に「すいません」と謝る羽目に陥りながらも。

 思ってた以上に二人との距離が離れてる。焦る心を宥め、痺れる両足を叱咤しながら走り続けた。

 こんな時、自分が運動部所属じゃないのを疎ましく思うよ。


 目星を付けていた路地に到達すると、形状を脳裏に焼き付けた映像と照合し、確認をした上で角を折れる。


「あ……れ……」


 ところが其処に、中年女性の姿はおろか、車椅子の影も形もなかった。

 二人が角を曲がったのを見てから、精々数分程しか経っていないはず。それなのに、親子の姿は忽然と消えてしまってた。


「見失った? どうして?」


 弾んだ呼吸を整えつつ、辺りに視線を配っていった。

 細かい路地が何本かあった。そのうちの一つに、曲がって行ったのかもしれない。衣料品店や、小さな飲食店の軒先が見えた。何か用事があって、店に入ったのかもしれない。往来を行き交う人の数も多い。雑踏の中に、紛れ込んだのかもしれない。

 あらゆる可能性を考慮しながら、小走りで周辺の様子を窺っていく。だが何度通りを往復しても、二人の姿を見つけ出すことは叶わなかった。

 結局、通りを二往復したところで足を止め考えに耽っていると、「加護!」という私を呼ぶ声が聞こえてくる。

 声がした方に顔を向けると、息を切らせて膝に手をつく今泉先輩が居た。


「お前な……俺が呼び止めているんだから、もうちょっと事情を説明してから走り出せ。いったい何があったんだ?」

「え~と……」


 今度は先輩にどう説明すべきか、思案する必要があった。

 流石に「寿命が一年未満の人がいました。彼女らは、事件に巻き込まれる可能性が高いです」こうバカ正直に説明したところで、信じて貰えるはずもない。だから考えた末に、こう嘘をつく事にした。


「中学時代の友人を見かけた気がしたので追いかけたんですが、見失ってしまいました。もしかすると、人違いだったのかもしれませんね」


 ははは、と愛想笑いを浮かべつつ、痒くもない後頭部を掻きむしる。先輩は一応の理解を得たのか「そうか」と呟いたものの、なお、疑いの眼差しを向けてきた。


「なあ、加護」

「はい?」

「もしかしたらこれは、俺の考えすぎなのかもしれない。だが、もしもだ。何か隠している事や悩み事があるのなら、正直に話してくれよ? 俺は何時でも相談に乗るし、加護が救いの手を求めるのなら、迷うことなく君の手を掴むから」

「臭い台詞ですね」


 真顔でそんな事を言ってのける先輩に、思わず笑ってしまう。

 会話の流れからすれば、「そんな事はありませんよ」と続けて一笑に付すべきなんだろう。

 でも、決して逸らされる事のない彼の瞳を見つめていると、これ以上嘘を積み重ねるべきではない、という気持ちになってくる。

 だから私は、毒気を抜かれたようにこう肯いた。


「はい──わかりました」……と。

 

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