Part.9『五十嵐電気店』

 学校を出た私と先輩は、駅の方角に足を向け歩いた。

 目的地は、大通りに面した場所にある家電量販店。日はすっかり西へと傾き、視界の先に広がる空は、壮麗な茜色に染まっていた。

 築年数を感じさせる薄汚れた雑居ビルの壁も、歩道やアスファルトの上も、世界の全てが空と同じ色に染め上げられている。私達の足元から伸びる影は、対向車線側の歩道にまで到達していた。


「付き合わせてしまって、申し訳ありませんね。電車の時間とか、大丈夫でしたか?」


 行き交う車に目を向けながら、隣を歩く今泉先輩に話しかけた。


「大丈夫だよ。電車なんて何本も出てんだし、終電まで間に合えば問題ないさ」


「幾らなんでも、そんな遅くまで居ませんよ」とクスクス笑うと、「もしかしたら、もしかすると、終電を気にする時間まで二人で過ごす展開になるかもしれないじゃないか」と彼はお道化た口調で言った。


「そんな展開、有り得ません。……でも、本当に付き合って頂いて、有難うございます」


 なんてね。少々あざとすぎるだろうか。こうして少しずつ先輩との距離を縮め接点を増やしていくことが、彼の死因に纏わるヒントを探る上で重要だと考えた、というのが本当の理由。まだ焦る必要はないと思う。けど、ちょっとずつ。


「それで?」と先輩が真顔で言った。「どんなパソコンが欲しいの?」

「そうですね……持ち運びが楽であることが前提なので、小さめのノートタイプですかね」

「予算は?」

「に……二万円ほどです」


 予算のことを訊かれると頭が痛い。私の小遣いの中でやり繰りしないといけないのだから、そんな高価な物など買えるはずもないのだ。

 ふむ……と、暫し考え込んでいた先輩だったが、突然私の手を握ると強く引いた。そのまま、小さめの路地へと引きずり込まれる。


「え? ちょっと」と私は狼狽うろたえる。「こんな路地に女の子を連れ込んで、どうするつもりなんですか!?」

「人聞きの悪い事を言わないでくれ」


 振り返った先輩の顔は、心なしか青褪めて見える。


「だって、予算二万なんだろ? それならば、いい店を知ってる。大手の家電量販店に行くよりも、掘り出し物が見つかるはすだ」

「イイ店……ですか」

「なんだか、そのフレーズもおかしくないか?」


 彼に手を引かれて路地を抜け、寂れた商店街を歩くこと数分。辿り着いた目的地は、衣料品店の隣に軒を連ねる、こじんまりとした電気屋だった。入口の上にある錆の浮いた看板には、『五十嵐いがらし電気店』と書かれてある。古き良き時代を思わせる風情ある店構えは、看板を確認しなければ、ここが電気屋だと気が付かない人も多そうだ。

 先輩は繋いでいた手を解くと、「こんにちは」と声を掛けて店内に足を踏み入れる。時間的に「こんばんは」じゃないのかな、と思いながら私も彼に倣った。物が雑多に置かれた店内は、すれ違うのも困難なほどに手狭だ。左側にある棚の上には、デスクトップ型のパソコンが数台と、ハードディスクやマウスといった周辺機器の数々が所せましと並んでいる。右側の棚には、分厚いカタログやパンフレットが山と積み上げられていた。棚の奥にある通路と思しきところにも、平積みされたダンボールが複数見えるが、最早何であるのかすら分からない。

 電気屋って、こんなに散らかっているもんだったかな、と流石に苦い顔になる。

 やがて奥の方から、無精ひげを生やした痩身の中年男性が現れた。肩まで届きそうな長髪に、鈍い光を湛える三白眼。ちょっと怖そうな風貌だな、という感想を抱いた。


 男性は先輩の姿を認めると、「おお、今泉のせがれじゃねーか、久しぶりだな」と掠れた声で言った。続けて私と目が合うと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まった。「……なんだその娘は。まさかとは思うけど、お前の彼女じゃなかろうな?」


 動揺からか、震えはじめた声音。私はそっと、会釈を返しておいた。

 中年男性はレジ横の椅子に腰を下ろすと、懐から煙草を取り出した。節くれだった指先で、カチカチとライターを打ち鳴らすが、一向に火が点く気配はない。オイル切れじゃないのかな、と余計な心配を始めた頃合に、ようやく火が点いた。


「そんなんじゃありませんよ」

 と先輩は心外そうに肩を竦めた。

「文芸部に入った一年生ですよ。小説を執筆するための、ノートパソコンを探しているんです」

「ああ」と男性は、心底安心したように頷いた。「だよなあ、お前はどちらかと言うとこっち側の人間だ。一瞬だけ、裏切られたのかと思って驚いちまったよ」

「失礼ですね、勝手に同類扱いしないで下さい。俺は四十過ぎまで独身を貫く気なんてありません。真っ平ごめんです」

「そっちこそ失礼だろう。僕はねえ、自分の意思で独身を貫いているんだ。人を色眼鏡で見るな」


 男性の顔が露骨に渋く変わる。


「はいはい、耳に胼胝たこができるほど聞かされましたよ、その話」


 反論を、適当な相槌だけで先輩が受け流すと、男性が益々渋面になる。


「それで、予算は二万円なんですけど、何か丁度いいのありませんかね?」


 先輩が本題を切り出すと、男性が、私の体を頭の天辺から爪先まで無遠慮にめ回した。それは決して厭らしい目つきでもなかったが、羞恥心が強まり萎縮した。


「二万円……ねえ」呟きの後、思い出したように男性は「立ちっぱなしも疲れるだろう。取り敢えず座れ」と丸椅子を私達に勧めてきた。

「ありがとうございます……」と私が恐る恐る座ると、後頭部を掻きむしりながら、彼は一旦奥の方に引っ込んだ。

「怖い人なんですか?」


 隣の先輩に、小声で伺いを立ててみる。彼は驚きで目を丸くしたのち、大声で笑った。


「そんなわけないでしょ。学生時代は恐らく、陰キャだった人だよ彼は。あの人が怖い一面を見せるのは、オンライン・ゲームをしてる時だけ」

「その言い方だと、まるで先輩もゲームしてるみたい」

「してるよ」と彼は嘆息した。「あの変なオッサンに誘われて嫌々ね。加護さんはゲームとかしないの?」

「まったくしませんね。時々、動画見てる程度です」

「そうなんだ。その方が賢明だと思うよ」


 そこまでを聞いて、ようやく私は肩の力を抜いた。二人がいい争う口調も冗談めいていたのでそんなに心配していた訳でもないが、悪い人ではなさそうだ。


「ちょっと、安心しました。でも、なんだか変な人ですよね」

「ああ、変な人だ。店内を見ていれば、変わり者なのはわかるだろ?」

 でも、と先輩はフォローの言葉を付け加えた。「ああ見えて、わりと面倒見の良い人なんだ。ちなみに彼が、ここの店長ね」


 この店は電気店の看板を掲げてこそいるものの、肝心の電化製品は、テレビやエアコン等売れ筋の商品が数台置かれているのみだ。ぱっと見でも、中古パソコンの販売や、修理を生業にしてるのだろうと推測できた。

 椅子の固さをお尻で感じながら、視線をそっと左右に配る。

 様々な部品や箱が雑多に置かれ、山となり、淡い蛍光灯の光で満たされた店内は、まるで幻想的な非日常を演出している舞台セットのようだ。

 四角い箱の側面に書かれた英文字を、顔をしかめて黙読しているとき、一台のノートパソコンを片手に店長が戻ってきた。レジ横の椅子に座ってパソコンの表面にふっと息を吹きかけると、もわっと埃が舞い上がる。たまらず店長はゲホゲホと咳込んだ。

 大丈夫だろうか、この店……。


「ちょいと古い型にはなるがExcelもWordも入っているし、スペック的にも問題ないと思う」と店長が胸を張った。

「オーエスは何ですか」と先輩が質問を返した。

「こんなんでもWindows10だ。まだまだ現役で戦える」

「メモリとストレージは?」

「4GB、64GB」

「バッテリー駆動時間はどの程度ですか?」

「七時間だ」

「13.3インチディスプレイですよね? 重量はどのくらいですか?」

「1.38キログラムだ。見たところお嬢ちゃんは線も細くて非力そうだし、この位のが良いだろう。液晶ディスプレイにLEDのバックライト付きだから、目にも優しい」

「すいません。言ってることが半分ほどしか理解できないんですが……」


 困惑気味に口を挟むと、店長はぽんと手を叩いて「がはは」と豪快に笑った。


「勝手に盛り上がってすまなかったな。簡単に言うと、性能も十分じゅうぶんで持ち運びし易い、君へのオススメってことだ」


 もう一度私の全身をめ回す様子から、先ほど、私の体格から腕力を推し量ってたんだろうと得心した。

「そうなんですか?」と隣の先輩に尋ねると、「二万円で買えるなら、十分なスペックだよ」と彼は補足した。


「本来であれば二万五千円と言いたいところなんだが──お嬢ちゃんがとびきり可愛いので、一万九千円に負けておくわ」

「私、可愛くなんかないですよ……」


 店長のお世辞に、肩をすくめてしまう。


「卑下する必要はないぞ? 君が可愛くなかったら、今泉の奴もここまで面倒みてくれないと思うぜ?」


 店長が意味あり気に視線を送ると、先輩は「茶化さないでください」と不満そうに反論した。


「彼女が迷惑するでしょう……。それはそうと、加護さんはどうする?」

「そうですね。ここまで面倒みて貰いましたし、是非買いたいです」

「そう来なくっちゃな」


 店長は揉み手をすると、もう一度豪快に笑ってみせた。

 会計を済ませてパソコンを受け取ると、「わ……軽い」と思わず声が漏れた。これくらいの重量だったら、鞄の中に忍ばせても負担にはならないだろうか。


 店を出る時に、私と先輩の背中を店長が平手でばんと叩いた。驚いて振り返ると、「まあ、頑張んな」と言って親指を立ててくる。

 後頭部を掻きながら、先輩が私に囁いた。「ほんとに、気にしないでね」

「ハイ」と頷いた後で、私はふふっと微笑んだ。隣の先輩に変化した表情を悟られないように──そっと。

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