Part.6『転機①』

 結局、私はトイレを探してるうちに屋上に迷い込んだ変な女、という結論で話は落ち着いた。甚だ不本意ではあるが、下ネタ紛いのあだ名を頂戴することに比べたらマシなので、甘んじて受け入れることにする。


 それでいいのか、とは正直思うけど。


 先輩たちより一足先に部室を出ると、私と明日香ちゃんはそのままの足で帰途についた。

 足取りも軽く、歩いてゆく。歩道のアスファルトを踏みしめるローファーの靴音が、コツコツと雑踏のなか響きわたる。


「それってマジ?」


 先輩の寿命が一年になっていることを伝えると、明日香ちゃんがキョトンとした顔になる。

 だがそこは、私の事情を心得ている彼女のこと。私が同意すると直ぐ、「そっか」と納得顔に変わった。


「なんだか信じられないけど、咲夜が言うんだったら本当なんだろうね。だから、咲夜は文芸部に入るなんて言い出したのかぁ。随分即決だなと驚いちゃったけど、ようやくそれで腑に落ちた」


 同じ部活動だったら側に居られる、なんて曖昧な接点で死因に纏わるヒントを探れるかというと、なんとも微妙なところだが、それでも現状考えられる最善手だろうか。


「でもさ、具体的にどうするつもり? どうやって先輩を助ける?」

「ん~……正直、まだどうしていいか考えが纏まってない」

「それもそっか。死因がわからないんだもんね」


 彼女が見上げた先の空は、澄んだ青色に少しずつ黄色や橙色が混ざり始めて、さながら、美術館に展示されている絵画の如くグラデーションを描き始めているところ。

 なにか手伝えることがあったら遠慮なく言って、という彼女の声に頷いた。


「ありがとう。でも、それだけを理由に文芸部入ったわけでもないよ。私、文字を書くのわりと好きだし、自分の手で何かを作り上げるのも悪くないかなって、そう思ったんだ」


 一応これは本心だ。他人の頭上に邪魔な数字が見えてしまう私は、集中力を欠いてしまうため運動部には向いてない。それ以前に、スポーツ全般が得意じゃないため以下略。文化部の中にも、心惹かれるものがなかったのだし。


「そうなんだ? てっきり、廃部危機を救いたい! なんて、高尚な目標にでも目覚めたのかと思ってた」

「私、そんな人間じゃないよ」

「だよね」

「納得するの、早くない?」

「もしくは、今泉先輩がちょっと気になってるとか、そんな理由なんじゃないのかと」

「ぶっ……! な、何を言ってるの明日香ちゃん!?」


 これには堪らず噴きだした。


「ふーん、どうだか?」


 明日香ちゃんは、マイペースながら結構勘が鋭い。私は感情が表に出易い方らしく、こうして度々彼女に腹を探られる。

 もちろん、寿命の件で先輩のことを気に掛けているのは間違いないのだが、そこに、彼女が疑っているような恋愛感情は存在しない。

 確かに彼は整った顔立ちをしているし、格好いいな、とは正直思う。文芸部のイメージさえ無ければ、わりとモテるんじゃなかろうか?

 でも、色恋沙汰など興味が無い……というか縁遠い私としては、先輩がカッコイイ、とか、モテそう、とか、そんな事はどうでもいいわけで。


「ほんとに、まったく他意はないから」


 だから、こう誤魔化しておいた。


「ふ~ん……」


 そう呟いた彼女の眉はつり上がり、反面、疑うように口角が下がった。私の胸の内にある秘め事を、炙り出そうとしているようだ。

 でも、無駄ですよ。叩いても、でてくる埃なんて一つもありません。

 そもそも、叩けば埃がでそうなのは、私よりもあなたの方でしょうに明日香ちゃん。


 例えば昔、こんな事があった。

 私は小学校六年生の時、想いを寄せている同級生の男の子がいた。彼は頭が良くて優しい上に運動神経も良いという、誰にでも好かれるクラスの人気者。

 どういうわけか彼は、頻繁に私に話しかけてきた。放課後の清掃をしている時はほうきを持って手伝ってくれたし、日直の仕事で職員室まで大量のプリントを運ばなければならない時、そっと半分だけ持ってくれた。体育の授業で私が転んで膝を擦りむいた時も、黙ってハンカチを差し出してくれた。もしかしたらこれは、運命の出会いなんじゃないか? 私は益々彼に惹かれていった。

 だが、私の自惚うぬぼれた感情を満たしてくれる関係は、そんなに長くは続かなかった。

 茜色の夕陽が射しこむ放課後の教室。偶然二人きりになって緊張する私に、彼が気後れするように話しかけてきた。


『加護ってさ、夢乃と親友だったよね? もう、薄々と勘付いてるかもしれないけど、……俺さ、夢乃のことが好きなんだ。あいつにこの手紙を、渡しておいてくれないかな』


 伏し目がちに彼が一通の手紙を差し出してきたとき、背筋が凍えそうなほど寒くなった。舞い上がっていた昨日までの自分が、酷く滑稽に思えた。

 翌朝、教室で彼からの手紙を明日香ちゃんに渡すと、彼女は目も通さずに屑篭くずかごに放り投げた。


『もったいないよ』


 醜い嫉妬を胸中に隠して、私は彼女に問い掛ける。

 要らないなら、いっそ私が欲しいくらい。

 けれども彼女、曖昧な笑みを頬に浮かべると、『私、あの子に興味ないから』とバツが悪そうに呟いた。『大丈夫。私からちゃんと断っておくから』

 そうした行き違いは、その後も何度か続くことになる。

 私が好意を向けた相手は、みな一様に明日香ちゃんを好いていて、私が嫌悪、または好奇の眼差しを向けた相手は、勘違いから私にすり寄ってきた。

 繰り返される気持ちのすれ違いが、次第に私を、恋愛事に臆病にさせていった。


「ま、いいけど」


 鼓膜を叩いた、トーンの高い彼女の声で我に返る。


「そんな事情まであるなら咲夜の気持ちは変わんなそうだし、私も、明日入部届けだしちゃおっかな」

「あれ? 明日香ちゃんも結局文芸部入るの?」と私が驚くと、「まあね。私も、運動部はないな、と元から思っていたし」と彼女は微笑んだ。

「でもさ、本当にそれで良いの? 私は明日香ちゃんの実力を知っているから、吹奏楽部に入らないのは、ちょっと勿体ないかなって思うよ」


 部活内で話し相手が出来たことに内心ホっとしながらも、頭の中に浮かんだ疑問をそのままぶつけてみた。


「う~ん、それがねえ」と、彼女は露骨に渋い顔になる。「正直、もう吹奏楽部はどうでもいいかな、なんて思ってる。実のところ私、そんなに音楽好きじゃなかったのかも。なーんてね」

「え、そうなの!?」

「うん、咲夜と一緒のところに入りたいかな」


 今日の放課後、先ずは体験入部からお願いしますと語尾を濁した明日香ちゃんが、あっさり文芸部への入部を決意したのも意外だったが、吹奏楽部に興味がないというのは更に驚きだった。中学時代に起こった諸問題から吹奏楽部を避けている私と違い、彼女に部活内での厄介事などなかったはずなのだが。


「なんだか巻き込んじゃったようで、恐縮しちゃうんだけど」


 肩を竦めてみせると、大丈夫だよ、と明日香ちゃんは破顔した。


「それに、私そこまでトランペット上手でもないから。三年生の最後の方は、凄いスランプで全然吹けなくなってたし。そのせいでソロパートも外されたんだよ」

「初耳なんだけど」


 あんなに吹ける彼女に謙遜されると、へなちょこフルート奏者だった私としては立つ瀬が無い。


「そりゃあ、言ってないからね」


 素っ気ない言い方のわりに、彼女の声は少々沈んで聞こえた。


「何がスランプの原因だったのか、今でもよくわかんないんだけどね。顧問の先生には、集中出来てないぞ夢乃って何度も怒られてた」

「信じられない。全然知らなかったよ」


 吹奏楽部を途中退部したから、というのも理由なのだが、そういった不安や悩み事を彼女はおくびにも出さなかったし、相談はおろか語ってくれることもなかったから。

 明日香ちゃんのトランペット奏者としての実力は、掛け値なしに本物だった。才能のみならず、実直に練習を重ねる努力に裏付けられた彼女の演奏は、ずっと私の憧れだった。

 それだけに──彼女が隠し事をしていた事実を、寂しいと感じてしまう。

 これは勝手な予測だが、吹奏楽部を辞めた私のことを気遣って、ずっと胸の内に秘め続けていたのだろう。でも私達は親友なのだから、打ち明けてくれても良かったのに。


「言えてなくて、ゴメンね」


 明日香ちゃんの謝罪を最後に、沈黙が漂った。往来を行き交う人達の雑踏で辺りが満たされていなければ、湧き上がってきた負の感情に飲み込まれてしまいそう。

 ひとつ息を吐き、街角の風景に目を向けたその時だった。再び、寿命一年の人物を発見したのは。

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