第一章「私が最初の事件と出会うまで」

Part.4『夢乃明日香』

 公立青ヶ島あおがしま高校。

 通称──青校あおこう。本日より、私が通う学校の名前である。

 神奈川県横浜市の中心部から南側にあり、中華街や横浜スタジアムにも程近いという絶好の立地条件。よく晴れた日には、横浜ベイブリッジや富士山も望める。バランスの良い人間育成をスローガンとして掲げており、校則も厳しくなく自由でのびのびとした校風が特色。

 もっとも、校風や立地に魅力を感じて、ここを志望したわけでもない。自宅から近くて通い易いことと、地元の公立校なので、必然的に顔馴染みが多く集まることが主たる要因だろうか。

 なんとも消極的な選択理由だと自分でも思うが、波風の立たない平穏な生活を送ることこそが、私にとっての最優先事項。

 端的に言って、新しい寿命ひととあまり出会いたくない。


 真新しい制服に身を包んだ新入生がホールに居並ぶ中、入学式が始まる。

 私にとって入学式は、苦痛をともなう行事のひとつ。

 延々と繰り返される来賓の紹介。

 校長先生の挨拶。

 生徒会長による歓迎の言葉。

 それらが退屈なのでも、立ちっぱなしで足が痺れてしまうからでもない。

 そっと顔を上げた瞬間目に飛び込んでくるのは、生徒たちの頭上に浮かんだ数字の羅列。

 気持ち悪い。

 視界がぐにゃりと歪むと同時に、頭痛と眩暈めまい、軽い吐き気までもが襲ってくる。

 こりゃダメだ、と再び視線を床に落とした。

 このように、初対面の寿命がたくさん見える空間というのがどうにも苦手。なぜ、あの人の寿命は短めなんだろう、なんて、理由を考え始めるともうダメで、それがストレスの元となり時々体調を崩してしまう。

 この辺、一期一会の関係で済ませられる満員電車などはわりと平気なのだが、学校ってそうもいかないからめんどくさい。


 そんなこんなで入学式を乗り切って、教室に入り最初のホームルームを終え人心地ついたころには、憔悴しきった私が机に突っ伏しているわけで。


「ああ……疲れた」


 自己紹介の挨拶。しどろもどろになって何を喋ったのか覚えていない。どうせ私の心証なんて、と卑屈になりかけたところで止めておいた。

 再び溜め息が落ちそうになったその時、後頭部をわしゃわしゃと撫でられる。馴染みのある触り方だな、と感じて顔を上げると、心配そうに見下ろしている女の子がいた。

 身長は、私とさして変わらぬ百五〇センチ半ばながら、白い肌としっかりウェーブのかかった黒髪のコントラストが鮮烈な美人。

 彼女の名前は、夢乃明日香ゆめのあすか。私にとって唯一の親友であると同時に、私の能力の詳細を把握し、かつ、疑いの目を向けてこないただ一人の他人である。

 両親ですら、『娘の虚言ではないか』と疑っている節があるのに、彼女だけは信じてくれた。どんな時でも、不安な心を受け止めてくれた。そんなわけで、私はなにかと彼女に依存してしまう。


「ため息なんてついてどうした。クラスに死にそうな人でもいた?」

「明日香ちゃん。言い方……。大丈夫。そんなことないよ」


 明日香ちゃんの透き通ったソプラノが、疲弊した心にじんわりと染みわたる。私の複雑な事情を心得ている彼女が同じクラスだったのは、本当に僥倖だった。


「そかそか。卒業までに死んじゃうクラスメイトなんていたらさ、やっぱ付き合い方に困ってしまうもんね」


 と、いささかも困ってなさそうな声で明日香ちゃんが言う。こういったマイペースなところは、よくも悪くも彼女の魅力。


「私の事情を心得ているとはさすが親友殿」


 返す瞳で、私は黄昏れた。

 卒業までに死ぬと言えば──。

 深く静かに巡らす思いは、今朝の出来事へと移っていった。寿命一年の先輩、か。入学式早々、くだらないことで振り回された。

 彼いわく、ウェブサイトに小説を投稿しているとかで、学校に着いてから改稿したくなったけれど、余りにも電波が悪くて屋上まで上ったそうだ。学校は勉強する所だぞ、というツッコミはさておきそこまでは分かる、かろうじて。でも、見晴らしがいいからか知らんけど、何もフェンスの外側まで出る必要ないと思うんだ。まったく人騒がせな。

 名前、聞かなかったなそういえば。初見では、重い病気を患っているようにも見えなかった。必然的に、彼の死因は事故か自殺になりそうだけど、自殺は真っ向から否定された。でもそれは、今現在の話であって、そのうちに彼は、重大な人生の岐路に立たされるのかもしれない。


「はあ」


 結局、漏れてしまう溜め息。

 どうしてあんな名前も性格もよく知らない先輩のことで、頭を悩ましてなくちゃならんのか、という思いもあるにはあるが、このまま放っておいて、後日訃報を聞かされたのでは過去のトラウマの繰り返しだ。

 差し当たって調べる必要があるのは、クラスと名前かな。


「妙な能力を持ってるせいで、咲夜も心労が絶えないねぇ。今日からまた環境が一変するから、慣れるまでが大変だね」

「まったくだよ……。今から凄く気が重い」

「自分の寿命は、見えないんだっけ?」


 明日香ちゃんが、私の頭上で手をヒラヒラと動かした。


「そそ、見えない。でもさ、そんなの見えない方がいいに決まってる」

「だよねぇ。自分の寿命なんてわかったら、心中穏やかじゃないもんねぇ」


 私の能力は、自分と一親等の家族──つまり、両親にだけは働かない。だがむしろ、これは有難いことなのだ。彼女が言う通り、誰しも身内の寿命なんて知りたくないだろうから。


「大丈夫。明日香ちゃんは、ちゃんと長生きできるから」


 彼女の頭上に浮かんだ数字、『七十三』を視界にとらえた。


「咲夜様のお墨付きなら、安心ですなあ」


 明日香ちゃんの寿命に不自然な点が無いことも、彼女の存在に安らぎを感じている理由の一つかもしれない。私は彼女に対して、なんら気遣いをする必要がないのだから。

 それにしても、と明日香ちゃんが豊満な胸を張る。


「入学式に間に合ったから良かったものの、ギリギリのタイミングで現れるから遅刻かと驚いたよ。まあ……トイレじゃ、しょうがないけどね」


 隣の空席に腰を下ろすと、「よしよし」と言いながら彼女は私の頭を撫でた。なんだかあやされる子供みたいだな、と苦笑いしつつも彼女の好意に甘えておいた。

 明日香ちゃんが言っているのは今朝の話。 

 登校してきた時、寿命一年の彼を見かけて矢も楯もたまらず駆けだした。それが原因となり、教室に入ったのがギリギリの時間になってしまったのだ。そのことをのちほど彼女に追求され、『トイレの場所がわからなくて探してた』と嘘をついたのである。

 咄嗟の事とはいえ、随分最悪ないいわけをしたもんだ。訊かれたのが彼女じゃなかったら、入学式早々下品な仇名あだなを襲名しているところ。

 なんだかな、と自分に呆れかえったその時、正面に誰かが立つ気配があった。


「やあやあ」

 と頭上から降ってくる声。

「君たちは、中学時代からの知り合い、といったところかな?」

 誰だろう、と顔を上げると、茶髪ショートの女の子が立っていた。声、無駄にでかいな。

「ちょっくら、話に混ぜてもらってもいいかな?」


 どうぞ、というより早く、その女子生徒は向かい側の空席にどっかりと座った。尋ねた意味ないでしょう、と言わんばかりに明日香ちゃんが渋面じゅうめんになる。

 その時、「六十五」と無意識のうちに漏れる呟き。「咲夜……!」と即座に明日香ちゃんに咎められた。まずいまずい。初対面で寿命を確認してしまう私の悪癖だ。


「え。ろくじゅうごって、イキナリなんの話?」

「私の体重」


 などと、適当に誤魔化しておいた。


「あはは、なんかわかる」


 と笑う彼女。なんでだよ。どちらかというとやせ型だぞ私。

 隣のスレンダー美少女と比べられても困るけど。


「ま、なんでもいいけど。私の名前、佐藤亜矢さとうあやっていうの。これから一年間ヨロシクね!」


 そう言って、手を差し伸べてくる。どうやら握手を要求されているらしい。それにしても、思慮が浅いタイプなのだろうか。あっさり聞き流してくれて助かった。

 こちらも口々に名乗ると、「へえ、夢乃って面白い名前だね? ほら、佐藤ってさ、なんかつまんないじゃん。羨ましい」と亜矢ちゃんとやらはケラケラと笑う。


 いや、名前なんて面白くする必要ありますかね。名前を面白いと言われたのが気に障ったのか、パーフェクト美少女の眉間にしわが寄る。彼女、怒らせると怖いタイプなんでどうかそのへんで。

 好奇心旺盛な瞳。

 高くて通る声。

 良く言えば気さく、悪く言えば馴れ馴れしいという第一印象を受けた。正直、こういうタイプはちょいと苦手。早くどっか行って欲しい。


「ところで話は変わるんだけどさ。君達、もう入る部活は決めてる感じ?」


 が、しかし、視線を逸らした私の意図は届かない。亜矢ちゃんはさらに話題を膨らませてきた。


「ん~……どうしようかな。正直、私は入らなくてもいいかな、なんて」


 そう言って明日香ちゃんが、私の方に目配せをする。


「え、どうして? 部活動に入んなかったら、友達だってできないじゃん? 青春を謳歌しないと」


 もったいないねえ、と呟く亜矢ちゃんの声が、隣の私に突き刺さる。友達少なくて悪かったですね、という愚痴が喉元まででかかる。部活動が原因で対人関係が拗れた身としては、なんとも胸中複雑だ。


「興味ないよそんなの。まあでも、入るとしたら、文科系かな」


 また目配せ。

 再三続いた目配せで、なんとなく私は察した。きっと明日香ちゃんは、吹奏楽部に入るつもりなんだろう、と。

 苛めを受けていた過去が尾を引き、吹奏楽部が選択肢に入らない私。彼女と離れ離れになってしまう可能性が高いのが、ちょっとだけ気がかり──。


「ところで君は……えっと、名前」


 亜矢ちゃんが、私を見て小首をかしげた。


「加護です」

「ああそうそう。加護ちゃん」


 もう名前を忘れられたのか。相変わらず影が薄い自分に苦笑い。


「加護ちゃんも、やっぱり文科系部活希望?」


 部活動かあ、と少し真面目に考えてみた。実のところ、私も部活動参加に迷っていた。青ヶ島高校の部活動参加は強制ではない。明日香ちゃんと離れ離れになりそうなど色んな理由こそあれど、積極的に他人と関わろうとしない性分である私としては以下略。


「そもそも、部活動に入るかどうかもわかんないからね……」


 どっちにでも転べるよう、予防線を張っておいた。


「そういう亜矢ちゃんこそ、何部に入るつもりなの?」

「陸上部だよ。短距離系ね」


 ささやかな私の反撃にも動じることなく、彼女は即答してみせた。言われてみると確かに、陸上をやっていた体型に見える。スラっとした細身で背も高く、ふくらはぎとか筋肉質だ。


「つまり、入りたい部活は二人とも決まってないんだね? じゃあさ、ここから本題なんだけど──」


 ずい、と身を乗り出してきた亜矢ちゃんに、二人で顔を見合わせ目を丸くした。まだ本題に入ってなかったのか。


「良かったら、文芸部も検討してみてくんないかな」

「文芸部?」


 私達二人の声が揃った。そして、同時に腹落ちした。彼女は勧誘目的で、私達に声掛けをしてきたのか、と。


「文芸部って、編み物する部活だっけ?」

「明日香ちゃん。それ、手芸部」


 その間違い方は、両方の部活に対して失礼だと思う。

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