第41話 矢野すみれ、襲来4

41話 矢野すみれ、襲来4



「おほんっ。すまない取り乱した。さっきのことは忘れてくれ」


「と、申しておりますが。どうですか?」


「:( ;´꒳`;):」


 無理そうであった。自称鋼の心を持ち合わせている幽霊をたった一度の抱擁で陥落させてしまったすみれの包容力は、落とされた側である幽霊に恐怖心を与えたのである。


 まあ、初対面で突然抱きしめてもふもふしてきたかと思えば、次はいきなり正気に戻って堅物モードに戻った彼女の豹変っぷりもその恐怖に拍車をかけているのだろう。湯呑みを持つそのか細い手は、少し震えていた。


「どう考えても姉ちゃんが悪いぞ。可愛いものに目がないのは知ってるけど……流石にいきなりすぎだ」


「……本当にすまない。反省はしている。だから、その……もう一度だけ、もふもふさせてくれないか?」


「ひっ!?」


「反省のはの字も無いことはよく分かったよ」


 もじもじ、と世の男であればイチコロにしてしまいそうな照れ顔を巧みに使いながら誘ったすみれだったが、慣れ親しんだ弟と同性相手ではどうしようもない。


「はぁ、冗談だよ。これ以上その子に怖い思いをさせて嫌われるのは、ごめんだからな」


 やれやれ、と肩を落としてお茶を啜りながら、すみれはほっこりと一息をついてリビングでくつろぐ。


 一般的にお姉さん座りと呼ばれる座り方で体勢を楽にすると、話を先へと進めた。


「さて、じゃあ軽く自己紹介といこうか。私の名はすみれ。太一の姉で歳は二十四。よろしく頼む」


 自己紹介、か。そういえばドタバタしていてすっかり忘れていたけれど、コイツはまだ名乗ってもいなかったんだったな。


 はぁ、と小さくため息を吐きながら、太一は隣を見る。自己紹介なのだから、次は幽霊の番だ。太一との関係性、名前、年齢を……。


(名前と、年齢!?)


 チラ、チラッ、と太一の方をたまに横目で見つめながら幽霊が黙りこくっているのは、それが原因である。


 関係性は、打ち合わせ通り彼女でいい。ただ問題は残りの二点だ。


 名前は未だに明かされていないうえ、年齢などもう雰囲気で言うしかない。すみれが妙に鋭いところのある女だということは伝えていたため、そこら辺の塩梅を間違えそうで不安になった幽霊は助けを求めていたのである。


「? もしかして私は、名前を教えてもらえないくらい嫌われてしまったのか……? そうか。そうかぁ……」


「ぁ、あっ! あぅ、あぇっ!?」


 ずんっ、ずんっ、と一人勘違いを起こして、すみれの頭が沈んでいく。それを見て更に幽霊が不安感を煽られ、同時にどうすればいいのか分からなくなりあたふたしているところで、太一は……声を発した。


「姉ちゃん、違う違う。緊張しちゃってるんだよ。この人は重度の人見知りだからさ。だから代わりに、俺が紹介するよ」


「む? そう、なのか? なら、よかった」


(太一さんっ! 流石です!! お願いします!!)


 助け舟を出されキラキラとした視線を送ってくる幽霊を横目に、太一は脳をフル回転させる。


 実のところ、まだ何も浮かんではいなかった。ひとまずと手を差し伸べたはいいものの、目の前の姉は捨てられそうになっている子犬のように不安そうな目をしている。考え込んでいる暇は、もうない。


「しょ、紹介するよ! 俺の彼女の……ゆ、ゆれいさん!! 十六歳!!」


 太一なりに、頑張った。自分の好きな人の偽名は適当に考えたくはないという謎の使命感を持ちながらも、普段とほとんど変わらない名前を捻り出したのだ。


(ゆ、ゆれいってなんですか!? ほとんど幽霊じゃないですか!!)


(仕方ないでしょう!? 咄嗟に浮かばなかったんです! 馬鹿正直に幽霊さんですって紹介しなかっただけ、褒めてくださいよ!!)


「ふむ、ゆれいちゃん……か。可愛くて、いい名前だな」


 目と目で焦りながら会話する二人を前に、すみれはそう、小さく呟いた。


 ゆれい。普段から幽霊という呼び方をしている二人からすればふざけた文字りのような名前になってしまうが、何も意識していない人からすればただの名前である。それを今作ったものだと疑う余地は、すみれには無い。


(いけました! いけましたよ幽霊さん!!)


 とりあえず一安心だ、と額を伝っていた冷や汗を拭って、太一は机の下で小さくガッツポーズする。


 現在進行形で全く別の問題が発生しているとは、考えもせずに。


「ところで、十六歳と言ったな? 高校生に手を出して大丈夫なのか?」


「……はぇ?」


「太一。お前にそんな度胸がない事はよく知っている。お前……今、嘘をついているな?」


「そ、そんなこと!?」


「お前がそういう感じで来るなら私にも考えがあるぞ。仕送り────」


「あぁあっ!? それだけはやめてくれ姉ちゃん!! 分かった! 話す! 全部話すからァァッッ!!!」




 弟は、姉には敵わない。これまで、敵ったことなど一度もない。太一はすみれに苦手意識を持っていた最大の理由を、改めて分からされた。

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