第33話 フェチバレの危機

33話 フェチバレの危機



「…………ん」


 暖かい。真っ暗な世界で、太一は起床する(つい数時間前、全く同じ文面で起床した者がいた気がするが、気のせいである)。


 むくっ、と布団から顔を出し、左手で眠い目を擦る。枕元に置いていたスマホで時間を確認すると、既に時刻は午前九時を過ぎていた。いつもより、一時間ほど遅い目覚めだ。


「んー、よく寝た……」


 横向きで寝て自重がかかっていたのか。右腕が少し痺れている。いや、″今現在もなお重さがかかっていて″、絶賛痺れは継続中だ。


(? そういえば俺、何抱いてるんだ?)


 いつもは何かを抱いて寝るという行動を取らない太一は、すぐに異変に気づいた。自分の腕の中に、何か大きなものがある。抱き心地はとても良かったのだが、心当たりが無い。


────いや、ある。あるにはあるのだが、信じられない。本当にそんなことがあるのか、と。


 素肌の腕の上に直接乗っている何かはさわさわと少しくすぐったく、毛の塊といった感触。全体的にサイズは大きめで、左腕でそっとそれを引き寄せてから摩ってみると、とても熱い。湯たんぽのようなぽかぽかさだった。


(違う……よな? さ、流石に違うよな?)


 意識を集中させると、自分の胸元には暖かい風が当たっており、その上服が少し引っ張られていることに気づいた。そう、まるで何かに掴まれてるみたいに。


 恐る恐る、太一は布団を捲る。すると、そこには────


「はぁっ……はぁ……っ」


「っ!?」


 顔を真っ赤にしながら、ぴったりと胸にひっついている幽霊がいた。太一の悪い予感は、当たっていたのである。


「すんっ、すんっ。はふぅ……うぅっ」


 その目はどこか蕩けていて、顔は満身創痍。この数時間、好きな匂いに当てられ続け寝られなかった者の末路だ。抵抗もできずにある種の拷問のような環境に晒され続けていた彼女は、布団を少し捲られたくらいでは気づくことはなかった。


「ゆ、幽霊さん? あの、これは……一体?」


「んぇ? ……はあぅっ!?」


 声をかけられ、だらしない顔を上げて。太一とその目を合わせると催眠が解けたかのように、幽霊の意識は正常を取り戻す。


「こ、これはその、違うんですよ!? 太一さんが! 太一さんが……ッ!!」


「え? 俺ですか?」


「い、一度は布団から逃げようとしたんです! でも、引き戻されて……!!」


 ふむ? と見覚えのない(太一は寝ていたので当然だが)出来事を説明され、首を傾げる。


 ひとまず、自分が布団から出ようとする幽霊を引き戻し、逃げられないよう閉じ込めてしまったということは理解した。だが頭の中には、まだ二つの疑問点が残っている。


「幽霊さんはなぜ、俺の布団に?」


「わ、私だって分かりませんよ! 目が覚めたら、この布団の中に……ッ!!」


 寝起きでぼーっとしていた頭が少しずつ冴え始め、太一はグルグルと思考を回す。幽霊の焦りようから見て、言っていることは本当なのだとすぐにわかった。つまり、どちらかの寝癖が悪くこうなってしまった、ということだ。


 だが、これに関しては確かめようがない。二人とも覚えていないのだから、追求のしようがないのだ。一つ目の疑問点であったこれは、解決することは不可能だろう。


「じゃあ、質問を変えます。……幽霊さん、今俺の匂い嗅いでませんでした?」


「!!?」


 二つ目の疑問点。布団を捲った時に見てしまった、幽霊の異様な姿である。


 服の胸元を掴み、顔をピッタリとくっつけながら鼻をヒクヒクとさせて匂いを嗅いでいるようだった。それも、顔を赤くしながら、どこか愛おしそうに。


 それが布団の中に拘束されて、身動きの取れなくなった人のすることだろうか。逃げようとした、なんてことを言っていたからには望んで布団の中にいたのではないだろう。なのに、どうしてあんな……どこか、安心したかのような顔を────


「へ、変な勘違いしないでくれますか!? あ、あれです! 胸元に無理やり押し付けられて、息苦しい中必死に呼吸をしようと!!」


「本当ですか? その割には、なんか焦ってる感じは無かったような」


「違います!! そういうのじゃないもん!! 私を変態扱いしないでください!!」


 どこか幼児退行した言葉遣いが混ざる、必死の反論。太一は変態扱いなどこれっぽっちもしていなかったのだが、混乱した思考から見事に墓穴を掘っていた。


 案の定、想定外の答えに太一はフリーズしている。フリーズ、というのは身体だけの話ではなく、至高まである。そして、そんな状態の太一から一目散に逃げるかのように、幽霊は布団の上で立ち上がって急いでベッドを────


「あぇ────うぁっ!?」


 降りようとして、こけた。幸い、思いっきりこけて飛距離が出た結果着地したのは床に敷いていた布団の上で、ぼふっ、と大きな音だけが響き、幽霊は顔面から枕に埋まった。


「わっ、大丈夫ですか!? 幽霊さん!」


「うぅっ……もうやだぁ……」


 幸か不幸か、そのドジによって太一の頭をよぎりかけていた正解は薄れ、姿を消す。


「あ,安心してください! 幽霊さんは変態さんなんかじゃないです! 少なくとも、俺よりは!!」




 自分の切った髪の毛を神棚に飾ろうとしたレベルの相手に追い討ちをかけられ、幽霊は今できたばかりの心の傷を更に抉られるのだった。

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