第32話 幽霊さんと抱擁

32話 幽霊さんと抱擁



「…………ん」


 暖かい。真っ暗な世界で、幽霊は起床する。


 すぐに自分が布団の中にいることは分かった。ポカポカと暖かい布団に籠って、丸まって寝ていたのだ。


 そして、寝起きで鈍い身体はすぐに気づく。何度も隠れて嗅いだ、″あの匂い″の存在に。


「太一さんの……匂い?」


 枕元から、抱き枕から、至る所から。太一の匂いがする。


 くしくし、と目を擦りながら、まずは大きく息を吸い、吐く。嗅ぎ間違いなどではない。本当に、太一の匂いだ。


 普段幽霊が使っていた来客用の布団には、当然その匂いは無い。つまり、ここは────


 咄嗟に頭によぎった思考。それを確かめるかのように、まずは自分の頭に下にある、いつもより硬い枕に目を向けた。


 暗い視界では良く見えないが、そっと触ってみると、その枕は自分の目の前にある″いつもと明らかにサイズの違う抱き枕″に繋がっている。つまり形で言うなら、L字型。明らかに異質だ。


「ん、っしょ……」


 明らかな違和感を覚えた彼女は、自分の上に覆い被さっている重い布団を押しのけ、ひょっこりと顔を出す。そしてふと横を見ると、そこには……すやすやと寝息を立てる、太一の顔があった。


「っ!? ぅあぅぇ!?」


 何度目を擦っても景色は変わらない。幽霊はそこでようやく、自分が太一の胸の中で腕枕で眠っていたことを悟ったのである。


(なんで!? なんでなんでなんで!?!?)


 突然の情報量に頭が回らず、言葉にならない声を漏らして混乱する。


 床に布団を敷いて寝ていたのだ。自分がここに侵入したのか、はたまた太一に移動させられたのか。瞬時に浮かんだ二択の答えは前者であろうことを察し、余計に恥ずかしくなる。


(と、とりあえず出なきゃ……!)


 だが、まだ可能性はある。前者であることが確定ならば、恐らく太一にこの事はまだ気付かれていない。今のうちに抜け出してしまえば、バレずに事態を収束させられるのだ。


 丸まっている身体を伸ばし、もぞもぞと起こさないように慎重に動きながら。幽霊は上からの脱出を試みる。顔から、首、肩。芋虫のように少しずつ、順調に身体を布団から出していく。


 だがそれは、簡単に阻止された。


「幽霊……さん……」


「ひゃぅっ!?」


 未だ目を閉じ眠っている、太一によってである。右腕の上に乗っていた幽霊の頭が無くなり反応したのか、幽霊の左肩を空いていた左手でガッチリと掴み、ずずずっ、と布団の中に引き込んだ。


(あわ、あわわわわ……)


 抗うこともできず、再び幽霊は暗闇の中へ。しかも、次は……


「うぅ? ぅ」


「ぴぃ!?」


 その華奢な身体をホールドされ、抱き枕にされてしまったのだ。ぎゅぅっ、と男特有の強い力で抱かれ、身動きを封じられた幽霊は太一の胸に顔を埋める。


「あ、ぁっ……うぁ……っ」


 ただでさえ、キスの一件から思うところがあるのだ。そんな相手から抱擁され、全て支配されている。一息するだけで太一の匂いが流れ込み、少し耳を傾ければ心音が聞こえてくる。


(こ、これ……ダメ……変な気分に、なっひゃぅ……)


 ゴツゴツとした男の身体。身動きを封じられ、その全てを意識せざるを得ない状況。身体は更に熱くなり、頭が回らない。


 しかもより恥ずかしかったのが、そんな状況下ですぐに反抗する気力を失い、受け入れてしまった自分がいたことだった。羞恥心と同じくらい、何か別の感情が心の底から込み上げてきていることだった。


「ずるい、です。こんなの……」


 ただ仲良くなっただけの、同棲相手。恋人が相手だというわけでもないのに、どうして心がざわつくのか。ドキドキが止まらなくて、身体を委ねて匂いを嗅いでしまうのか。


 分からない。これが良いことなのか、悪いことなのか。それすらも、判断がつかない。


「うぅ……うぅ……ッ!」


 頭がクラクラして、視界が回る。ふと見上げればある太一の寝顔を、直視できない。


 情報が完結せず、まとまらないままハッキリと意識だけが覚醒していく。覚醒した意識に、また新しい情報が流れ込む。




 ただ何故か、そこに負の感情は一つもなくて。心のざわつきと多幸感だけが加速していく中で、幽霊は太一が目覚めるその時まで、心をかき回され続けるのだった。

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