第29話 幽霊さんの寝床

29話 幽霊さんの寝床



「ん……ふあぁ」


 夜、十時。テレビの音声が響くリビングで、小さく幽霊があくびをする。


「おねむですか? 幽霊さん」


「何ですかその言い方は。子供扱いしないでください!」


 くしくしっ、と目元に浮かび上がった涙を拭いながら、幽霊は反論した。


 不思議なもので、チークキスを終えてまだ数時間しか経ってはいないというのに、二人の間にはいつも通りの空気が流れていた。


 お互いに、お互いを意識はしている。だが、いつも通りのこの会話やちょっとした日常が、今は楽しい。そもそも寂しがりやの幽霊に至っては気まずくなって会話ができなくなる状況など、絶対にあってはならない……というより、めちゃくちゃ嫌なのである。


「いやいや、子供じゃないですかぁ。でもそういうところもちゃんと可愛いので、安心してくださいね?」


「ぐぬぬ……可愛いと言われているのに全く嬉しくありません。私はもう、立派な大人ですよ!」


「大人……ぷふっ」


「あぁっ! 今笑いましたね!? 大体太一さん、眼鏡をかけた私に寄られて顔を真っ赤にしていたくせに、何でそんなこと言えるんですか!? それにキスをした時だって────」


「だあぁ!? その話はやめてくださいよ!?」


 ぷりぷりとしながら怒りをあらわにする幽霊は、気づいていない。


 あと一秒、太一が止まるのが遅ければ簡単に自爆してしまっていた事を。売り言葉に買い言葉ではあるが、一度冷静になってしまえば声も出なくなるほど羞恥心に包まれるのは確実。簡単に自ら地雷を踏みにいくあたり、流石はポンコツである。


「ふんっ。もう私は寝ますからね。健康的な生活を送れない太一さんなんて、風邪をひいちゃえばいいんですぅ」


 そっぽを向き、ツンとしたまま自らの寝床に消えていこうとする彼女を、太一は呼び止める。


「もう、そんなに怒らないでくださいよぉ。……って、そういえば幽霊さん、いつもどこで寝てるんですか?」


「え……?」


 それは、ふと頭に浮かんだ疑問。そういえば太一はこれまで、一度も幽霊の寝床を見た方がないのである。


 いつも太一が寝ると同時に姿を消し、太一が起きるよりも早く動き出しているというこれまでの生活を、何故疑問に思わなかったのだろうか。


 この狭いアパートでは、リビング以外に人が寝れそうな部屋は二つ。だがそのどちらも、物を仕舞っていたり散乱させてしまっていたりと、あまり居心地がいい空間とは言い難いだろう。


 それ以外に寝れる場所となるとリビングだが、ここには太一のベッドがあり使っている。流石に同じ空間にいれば気づくはずだ。


「この家の中ですよ。まあ、場所は絶対教えませんけどねっ」


「むむ、気になる……」


「ダメなものはダメです。寝床は私のプライバシーな領域なんですから」


 同棲を始めて、既に一週間は経過した。その間幽霊は眠そうな仕草を見せたりするようなことはあっても、太一より先に寝たことはない。


 つまり今のこの状況は、チャンスなのではないだろうか。


「分かりました。なら、仕方ないですね……」


「分かってもらえましたか。ではそろそろ限界なので、お先に……」


 ジイィ。トコトコと歩いてリビングを去ろうとするその背中を、太一の視線が襲う。幽霊は違和感にふと振り向くが、等の本人はそっぽを向いている。


 だが、流石に感づいた。


「太一さん? ついてくる気満々ですよね。……ちょっと、いつまで変な方向向いてるんですか」


「お、お気になさらずぅ。もうおねむで限界なんでしょう? さあ、早くおねんねしましょう」


「じゃあ、絶対について来ないって約束してくれますか?」


「…………(^ω^)」


「ほら、やっぱりついてくるんじゃないですか!!」


 今日は身体的にも精神的にも、溜まっている疲労は多い。幽霊としてはもう一秒でも早く寝たいところたみが、このまま寝床に着いて眠ってしまえば、場所がバレる上に寝顔を押さえられてしまう。


 これまではなんとかその場その場の楽しさから出るアドレナリンで太一と同じように起きてきたが、今日はもう本当に限界だ。なんとかして、すぐに打開策を見出さなければいけない……の、だが。


 その抵抗は、あまりに無意味。既に手遅れなのである。


「安心してくださぁい。俺がこの疑問を抱いてしまった時点で、幽霊さんの負けなんですよぉ?」


「!? そ、それはどういう────!?」


「簡単なことです。この家はそんなに広くない。しらみ潰しに探してしまえば、すぐに見つかります。さあ、早く観念しましょう?」


「っ! っう!!」


「ふふふふふ……さぁ、さぁッ!」




 今日をどれだけ頑張って耐え凌いでも、この先隠し続けることは不可能。その現実を叩きつけられた幽霊は、眠気でクラクラし始めた頭で簡単に白旗を上げたのだった。

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