第28話 キスの行方
28話 キスの行方
カシャッ。
「……?」
乾いた音だった。
「ふふっ、ふふふっ」
暗い世界の中に、幽霊の笑みが紛れ込む。もう我慢できないとでも言わんばかりに、漏れ出したような笑みが。
恐る恐る目を開けてみると、目の前の彼女はデジタルカメラを手に、レンズをこちらに向けていた。
「……あの、幽霊さん?」
「なんですか?」
「俺ってもしかして……騙されました?」
「さて、なんのことやら」
そのデジタルカメラは、太一の母親の私物だ。ただ使う機会がもう無いからと、ここに引っ越すとともに貰ってきたものである。
キスなんて淡い幻想を抱いて目を閉じた時から、太一は既に幽霊の術中だったのだ。恐らくいつかこんな風に無防備な姿を写真に収めるため、カメラを携帯していたのだろう。
「私は、目を閉じた太一さんに何をするかは一切伝えていませんでしたからね。一体、何を想像したのやら♪」
「……思春期の男の子の純粋な心を利用されるとは。いつもポンコツな幽霊さんに、今回ばかりはしてやられましたよ……」
「ふふんっ。この間の仕返しですっ。私にだって、たまには太一さんを手玉に取るくらいできるんですからね! ……って、あれ? なんかしれっと失礼なこと言いませんでした?」
ポンコツ幽霊に負けた。普段であればその事への悔しさが心の中を埋め尽くしそうなものだが。今の太一の心情は、そうではなかった。
(幽霊さんとキス、したかったな……)
しょんぼりである。確かに急展開すぎたし、今思えばいきなりあのままキスをされるというのもおかしな話ではあった。
だが一度夢見てしまうと……それを逃したような気がして、悲しくなってしまう。
「……はぁ」
「むう? なんですかその顔は。何だか思ってより悔しがってくれてませんね」
「そりゃそうですよ。俺は、あのまま幽霊さんとキスできると思ってたんですから」
「キ、キス!?」
ぼふっ。幽霊の顔が途端に茹で蛸のように真っ赤になり、頭が沸騰する。
太一は、彼女が自分にキスを期待させて不意をつき、写真を撮ったと思っていた。だからこうやって、素直にぼやいて見せた。
────だが実際は、全く違ったのである。
(キ、キキキキスって!? 私、そんな風に思われるようなことしちゃった!?)
眼鏡をかけ、太一をドキドキさせる。そしてそのまま近づき、悩殺して自分の言うことを聞く状態を作り、目を閉じさせる。
幽霊の頭の中の作戦は、これである。太一の恥ずかしい写真を撮ってやろうとしていたこともまた事実だが、何よりこの作戦の中核は、彼女の中の「自分にドキドキしてほしい」という心情にあった。
何故そう思ったのかは、自分でも分からない。しかし、眼鏡をかけて大人っぽく変わった自分をもっと見てほしい。そう考えながら行動していた。
(でも、思い返してみたら……私、やりすぎちゃってかも)
いつものごとく、また無意識に調子に乗ってしまっていた。自分の予想以上の反応を示してくれたのが嬉しくて、必要もないのににじり寄って追い詰めたりなんかして。そんな状態で目を閉じてと言われたら……自分だってきっと、キスを連想してしまう。
「う、あぅ……」
太一が落ち込んでいる。自分が過剰に期待させてせいで。これは最終的に幽霊の求めていた反応とは────違う。
「わ、分かりました……」
「え?」
「もう一度目……閉じてください……っ」
その行動は、申し訳なさから来るものか、それとも普段の生活から感じ続けていていた恩義からか。はたまた────
気持ちの整理が落ち着かない中幽霊が意を決して発したその言葉に、太一はそっと目を閉じた。
キシッ、さすっ。ゆっくりと床の軋む音と衣擦れが太一に近づいていく。
目を閉じ、無防備な太一の顔に眼前まで近づいた幽霊は、息を呑む。あと数十センチ近づけば、唇と唇が触れ合う、その距離で。
(私は、この人になら……)
「ん……っ」
身体を前に乗り出し、顔と顔を近づける。お互いの小さな呼吸音が頭に流れ込み、感覚を研ぎ澄ませる。
「……ん」
そんな中。太一の頬を、柔らかな感触が走った。
反射的に目を開けた太一の視界に映るのは、唇を離してこちらを見つめる彼女の顔。頬にはまだ、ほんのりと温もりが篭っている。
「幽霊……さん」
「私は、好きになった人にしかキスはしません。だから″今は″……まだ、これで」
今は、という言葉に太一は打ち抜かれた。
それはこの先、続いていく彼女との同棲生活の中でいつか自分を好きになってもらえる可能性が、ゼロではないと。そう、言ってもらえた気がしたから。
だから今は……ここまでで、いい。
「うぅ、何をニヤついてるんですか。気持ち悪いですよっ」
「いやぁ、やっぱり眼鏡をかけた幽霊さんは……ちょっとだけ、普段より大人っぽいなぁ、と」
「な、なんだか言葉に含みを感じます! それはどういう意味か詳しく説明してください!!」
初めて会った時は、顔を見て、仕草を見て。これまで出会った中で一番可愛い女の子だったからと、自然に惚れていた。
でも、こうやって日々を共に過ごして、いろんな一面や新たな魅力を感じて。その度に、改めて自覚させられる。
(やっぱり俺は、幽霊さんのことが本当に好きみたいだな……)
────自分がどれだけ、彼女に惚れ込んでいるのか、を。
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