第005話 喰う、ゲルデ

 イクサはソリに座り、リェリィを自分のうしろに乗せた。元々一人と荷物を運ぶ用途で作られたものだ。そこに子供の体とは言え一人が悠々と乗れるスペースなどはなく、必然イクサに抱き着く形で乗ることになった。


「行くぞ。振り落とされるなよ」


 イクサがソリに通した手綱に紡流を流し込むと、サイフォが発進した。


 サイフォの最高瞬間時速は50kmを優に超える。しかもその最高速にほぼ初速の段階で達するという瞬発力。サイフォは砂上での運搬能力が非常に優秀である。それは単に貨物の重量の多寡やスピードに寄る所だけではない。なによりコントロールが容易であることが、サイフォが選ばれる理由であった。この個体が簡単に制御できるのには、脳の作りが関係している。通常、紡流を流したからと言って、人や動物の意思を自在にコントロールすることはできない。しかしサイフォの脳みそを包む脳漿は紡流の伝導率が高く、影響を受けやすい。手綱の行き先が胴体だけでなく、頭の方にも伸びているのはそのためであった。手綱から紡流を流し、サイフォの脳に直接信号を送り、発進や停止、左右へのコントロールを行う。しかしこれは紡流を通じて自分の念を送っているわけではない。サイフォの脳みそのどの部分に刺激を与えればどう動くのか、というのを乗り手が覚えておいて、状況に応じて必要な刺激を与えているのだ。外側から一時的に刺激を与えてサイフォの動きを制しているだけに過ぎないので、難しい動きはできない。また、基本的にはサイフォ自身の思考で動いているため、危険を察知すれば危機回避能力によってそれを避けたり、急に止まったりもする。


「きゃっ!」


 背中から悲鳴が聞こえた。

 イクサが緊急停止したサイフォにソリがぶち当たらないように即座にブレーキを引いたからだ。

 こういうことが間々あるため、サイフォからソリまでの距離は、十分に余裕を持たせている。


「どうしたの?」


 イクサはそれには答えず、耳を澄ませていた。

 サイフォが緊急停止した。ということは考えられることは主に二つ。

 一つは前のように進行方向に落下物がある場合。

 もう一つは、視界には入っていないが、サイフォがなにかに怯えている場合。


「来るぞ。恐らくゲルデだ。ソリから降りろ」


 言われて降りようとするリェリィだが、もたついている。


「あ、足がガクガクして動けない」


 ソリの上とはいえ、猛スピードで砂の上を移動することは、存外体力を消費する作業だ。


「なら祈れ。お前の真下にゲルデが来ないことを」


 イクサは砂に干渉。紡術ほうじゅつによってすぐさまサイフォの周りに砂のドームを作る。暗闇の中ではサイフォは動かない。つまり手綱を握っていなくても逃げださない。


「え、なに? ゲルデってなに!?」


 錯乱気味のリェリィを尻目に、砂の動く音を捉え、その方向に目をやった。すると遥か彼方から砂煙を巻き上げながら向かってくる物体を発見した。

 遠方のため、姿形は確認できないが、イクサは断定していた。あれはゲルデである、と。


 ゲルデは雑食類で大きな蚯蚓みみずの様な姿をしている。ゲルデには難解な思考を巡らせる脳みそは存在しない。口の近くにある神経節が、ほとんど反射的に体を動かしているに過ぎない。そのため、彼らには獰猛などと言った性格は存在しない。

 ただ食う。

 そのためだけにゲルデは視覚と味覚以外の感覚が発達している。聴覚、嗅覚、触覚の三つの感覚を鋭く働かせ、遥か遠くからイクサたちを狙ってきたのだ。ただし、自分の口径よりも大きいものを食べに行くような習性は備わっていない。つまりイクサを食いに来たゲルデは、イクサの背丈よりも大きい口径を持つということになる。

 しかしここにいるのはイクサだけではない。サイフォも居る。足の先まで含めると4mに達する怪物が。それを丸呑みにできると確信しているゲルデの口径も当然4m以上。


 近づいてくるゲルデの体が徐々に砂から現れる。まだ半分ほどしか見えていないのに、その口はイクサを簡単に丸呑みにできる大きさであった。

 砂の中に埋まっている部分の体長は憶測の域を出ないが、イクサの経験上20mを越えるはずだ。

 その巨躯を見るや、絶望に身を震わせ、息を呑むリェリィ。口の大きさだけで既に自分の身長の2倍以上あるのだ。恐怖におののかないはずはない。


 しかしイクサは全長20m超級のゲルデを見ても臆さず、ただそれに向かって走った。

 捕食対象が自分に向く様に。


 ゲルデが口を半分だけ砂に沈めた状態で距離を詰める。砂とゲルデの摩擦音が五月蝿いと感じる距離。高さ2mの洞窟が向こうから迫ってくる。

 イクサは砂に手を突き紡流を干渉させる。

 ゲルデは関係なく突っ込んでくる。ただ食う。その目的を果たすために。ゲルデの口がイクサに届く。開口部が一際大きく開かれた。その刹那。


 ――ドゴォオオオンッ!


 号砲が鳴り響いた。

 イクサの眼前で噴火が起きた。そう見紛う程の勢いと量の砂が天高く突き昇り、真下から突き上げられたゲルデは空中に打ち上げられた。

 巨躯が完全に宙を舞う高さ。

 呆気に取られているリェリィの前に座り、手綱を持つ。砂のドームを紡術で散開させる。

 サイフォに発進の信号を送る。

 動きだし、砂のコブでソリが揺れた。


「え」


 放心から帰ってきたばかりの彼女の口からは一言声が漏れただけだ。


「なに、今の?」

「ゲルデだと言ったろう。真下から来られたら今頃あいつの胃袋の中だ。運が良かったな」

「いやそうじゃなくて、どーん! って! あれなに!?」


 それに呼応するかのように、後方から地響きがした。上空に打ち上げられたゲルデが落ちて来たのだ。


「砂を瞬間的に動かしただけだ」

「凄い……! あのまま食べられちゃうかと思ったよ。あのゲルデは死んだの?」


 イクサは親指で後方を示す。言われるままに見るリェリィ。

 ゲルデは巨躯をうねうねと地面に打ち付けていた。

 皮膚に与えられた衝撃が神経を隈なく刺激し、その痛みから逃れる様に反射的に体を動かしているようだ。


「死んではいまい。だがしばらくはやつも動けない。この間に距離を稼ぐぞ」

「え、いいの?」


 リェリィはおずおずと言い辛そうに絞り出す。


「また危険な目に合うかも知れないでしょ? 仕留めないのかなって。いや、そりゃ生き物の命は大切にしなきゃいけないってわかるけど」

「かわいそうだから殺さないと言うわけではない」

「じゃあなんで」

「以前、腹が減ったときにあいつを殺して食ったことがあったが、食えたものではなかった。外皮は火を通しても歯が通ることはなかったし、内臓は砂まみれで腐った動物の臭いがした。皮と内臓だけで肉がないのだ」

「あー、食べられなさそうなのは見ればわかるけど」

「それにあいつ一匹殺したところで他のゲルデが来るだけだ。もしもやつの報復を警戒しているなら安心しろ。ゲルデには脳みそがない。だから復讐心で俺たちを襲うことはない」


 リェリィからひとまず安堵の息が漏れ聞こえた。しかしすぐさま気が付いた様に声を上げる。


「他のゲルデって!? そんなにいっぱいいるの!?」

「当たり前だ。この近くには街もなにもない。砂の粒度も細かい。虫や動物はいるに決まっている。お前は街に入って、出会った人間にここには他にも人が居るんですかと聞くのか?」


 苦虫を噛み潰した顔からはぐうの音も出てこない。


「右を見てみろ」


 イクサの行った方角には、砂色の中にぽつんと緑色があった。遠方だが、目にも鮮やかな緑なのでリェリィにもはっきりとわかったようだ。


「緑色のなにかがある」

「あれはサボモという植物だ。今からあそこに向かう。右に旋回するから重心を内側に傾けろ。傾け過ぎたらソリがひっくり返るから気を付けろ。加減が大事だからな」

「え、えええ!? そんなの急に言われてわかるかぁー!」

「わかれ。死にたくなければな」


 サイフォの進行方向は徐々に右側に曲がって行く。

 うしろにただ繋がれているだけのソリだ。サイフォとは逆に真っすぐ前進する。今までサイフォに塞がれていた視界が開ける。

 イクサは思いっきりソリを内側に傾ける。頭が砂に着くかというところ。すれすれを砂が掠めていく。リェリィもそれに倣い重心を内側へ向ける。

 砂煙をまき散らし、ソリは右側を中心に弧を描きながら進む。

 イクサはサイフォの尻を目の端に捉えた当たりで、やおら体の重心を元に戻し始める。リェリィもそれに倣う。

 やがてサイフォとソリは一直線になった。

 90度の急速旋回、成功である。


「あ、あははは! やった! やった! あっはっはっはっは!」


 リェリィは突然生き死にの狭間を彷徨ったことによって、笑うことしかできなくなってしまったようだった。


「楽しそうでなによりだ」


 イクサも少しだけ口角を上げた。

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