二月十日広場に行こう

南沼

第1話

 「広場」といえば、あの頃決まってそれは二月十日広場の事を指した。

 もう三十年以上も昔の話である。


「なあ、広場行こや」

 タケちゃんはその日もそう言って私を誘った。傍らには、いつも通りサーコとガイコツの姿があった。エレベータもない公団の、打ちっ放しのコンクリート階段を、私たちは競うように駆け降りた。安っぽい樹脂製の玩具や合板のカラーボックスが脇に点々と置かれた階段や踊り場を、私は今でも鮮明に思い出すことが出来る。「住民の皆の邪魔にならないよう」云々と、度の過ぎた放置物を戒める旨の回覧板は度たび廻ってきてはいたが、どの家庭もそれを公然と無視していた。古びて端がゴワゴワに膨らんだボール紙の回覧板を廻すのは、いつも私の役目だった。

 私は一人っ子で、両親は留守がちだった。いつしか書物が友人となり、家の中の活字を片端から読むような子供になった。しかしそれを苦に思った記憶はない。空想の世界ではいつも私は自由で、私はそこの王様だった。

 この国の春休みは長い。私や公団に住む他の子のように、中流階級以下の、満足にテレビゲームも買い与えられないような家庭に育つ子どもたちにとっては特に。だから、タケちゃんは事あるごとに私やサーコ、ガイコツを誘っては外に繰り出した。この四人が、いつものメンバーだった。

 タケちゃんは一番の年長者で身体も大きく、他の三人を支配する立場に強い優越を覚えている様子だった。遊びの内容はいつもタケちゃんが決めた。強いリーダーシップを発揮する一方で、弱い者を扱き下ろしたり笑いものにすることで自分の優位性を誇示する事がしばしばあった。そして笑い者は、概ね私の役割だった。本当は皆で遊ぶよりも一人で本を読んでいたかったが、私はいつも逆らえなかった。

 サーコは私と同い年の女の子で、三千院なにがしという大層立派な名前を持っていたのだが、誰もが構うことなくサーコと呼んだ。幾分発達の遅れがある子供であったため、彼女自身自分の本名を言えたかどうかは怪しいと私は思う。記憶の中にある彼女は、いつも端の擦り切れたスカートを履き、だらしなく口を開け、鼻水を啜っている。

 ガイコツはひとつ年下の男の子で、酷く痩せっぽちなその体躯からそう呼ばれた。そのくせ私たちの中では一番活発な性質で、二月の真冬でも常に半袖半ズボンだった。私たちの中ではタケちゃんに次いで足が速く、身体の小ささもあってかくれんぼでは無類の強さを発揮した。

 私たちは、めいめい白い息を吐きながら階段の上り口を駆け出していった。ひと月余りつづく休みの間、それは毎日のように繰り返された。


 二月十日広場は、団地のすぐそばにあった。一辺が国鉄の線路に面しており、公団側から見て反対側のフェンスのすぐ向こうに、砂利敷きの道床と枕木があった。

 しかし、広場の入口からフェンスは途切れ途切れにしか見えない。それはひとえに、広場に所狭しと建てられた銅像のせいだった。そのどれもが子供の背丈を超す立派な台座の上に立ち軍服に身を包み、ある者は目を眇めて遠くを指さし、また別の者は蓄えた髭を見せびらかすように後ろ手で胸を張っていた。どこもかしこも古びて蒼く錆びたものもあれば、真新しく黒々と艶光るものもあった。

 それらはすべて、革命の立役者と呼ばれる英雄たちだった。どの顔も、探せば学校の教科書に必ず見つけることが出来た。革命が起きたのはこの当時から五十年ほど昔だったはずだ。近代の終わり、歴史年表でいえば後ろの方に位置する筈のこの出来事は、しかし必ず歴史の教科書の一ページ目に登場した。広場の名前も、革命の起きたとされる日に因んで付けられたものだ。全国各地に、同じ名前の広場があった。

 だが多くの生徒たちにとっては「カクメイ」という言葉の響きだけが格好の良いフレーズであり、革命の内容について把握している子どもは、特に私たちの年頃の中には殆どいなかった。広場の銅像についても、「ヒゲショウグン」だとか「ハゲチャビン」だとかの適当な綽名で呼んでいた。

 その日、一番に広場に駆け込んだガイコツは、走る勢いのまま手近な銅像の台座によじ登った。年々銅像は新設され、広場の奥の方から等間隔に並べられていたから、入り口近くにあったその像は比較的新しいもののはずだ。台座の上の銅像は片手を腰にあてもう片手を上に掲げて、頤を上げる姿勢だった。ガイコツは台座の上でそれを真似たポーズをとり、私たちの笑いを誘った。

 「次や、次」タケちゃんはそう囃し立て、調子に乗ったガイコツは台座を飛び降り、また次によじ登りポーズを取っては笑い声が広場に響いた。

 いくつめの銅像だったろうか、台座の上にガイコツが立ち上がったところで、それを咎める声があった。

「何しとるんや」

 薄汚い身なりをした、初老の男がまた別の台座の陰から覗きこんでいた。髪も髭も伸び放題で、露出している皮膚はどこもぼろぼろの垢で覆われていた。私たちの騒ぎに耐えかねたのだろう。この広場を根城に決め込んだ浮浪者だろうと思われた。

「落ちたら危ないで、怪我しても知らんしな」といった内容の言葉を、老人は聞き取れないほど早口かつ不明瞭に喋った。ちらりと見える口内の歯はあらかた虫歯に食われて黒く崩れているか黄ばんでいる有様で、その不潔な口からか汚れた衣服からか出所は不明だが、冬場だというのに酷い臭いがした。

 口元を見ている事に耐えられず私はずっと彼の襟元から下を見ていたのだが、汚いとばかり思っていた服が、帽子と脚絆こそないものの、擦り切れ垢じみて元の姿を失いつつある国民服であるということに気が付いた。それはほんの数年前まで配給品として広く流通していたもので、当時の政府も着用を推奨していた。「コウキョウホウソウキコウは コクミンフクのチャクヨウを スイシンいたします」テレビのコマーシャルに度々挟まれる妙に素っ気の無い数秒の映像とナレーションは、わざとらしいほど明るい色を散りばめた民間企業の商品コマーシャルとは明らかに一線を画し、放送されなくなって久しいその当時の私の記憶にもはっきりと残っていた。

「オトンオカンにみつかったらしばかれるで」

 老人は、何も言い返さない私たちに尚も捲し立てていた。ガイコツはとっくに台座から降りて、気まずそうに俯いている。

 タケちゃんは顔をしかめて老人を睨みつけていたが、ぷいと踵を返すと乱立する銅像群の中を駆け出した。何も言わなかったが、私たち三人もそれに続いた。老人は何かを背後で叫び続けていたが、誰も振り返らなかった。

 老人の姿が見えなくなり声が聞こえなくなる所まで走り続け、タケちゃんはようやく止まった。そこもまだ銅像の林の中だった。一体幾つの像がこの公園にあるのかは、当時の子どもたちの間でいくつもの説が囁かれる七不思議の一つだった。

「なんやあのコジキ」はあはあと息を弾ませながら、ようやくタケちゃんが吐き捨てるような声で言った。楽しんでいるところに水を差されて、明らかに気分を害していた。

「しょうもな、おもんな」

「オンシャで出てきたんじゃないかな」と私は思わず口に出してから、しまったと思った。タケちゃんは、自分の中にない語彙を私のような年少の人間が賢しらぶって使うことをひどく嫌っていた。

「おい、ツネ」案の定、タケちゃんは険のある口調で私に噛み付いた。「チンポだせ」

「え」私はまごついた。それはタケちゃんが下す数ある罰の中で比較的重いもので、そして私の自尊心を最も損なうものだったからだ。

「はよ出せや」

 これ以上待たせると、今度は最上のものである体罰が下る事になる。私は泣きそうになりながら、その場で継ぎはぎだらけのズボンと下着を下ろした。膝まで下げた着衣の上で、幼い性器が寒風に晒され、睾丸が縮みあがった。ガイコツはもじもじと視線を逸らし、タケちゃんは侮蔑の表情で、サーコは明らかに性的な興味の籠った湿り気のある笑顔でしゃがみ込み私の股間を注視していた。私がこの罰を受ける時、決まって皆がとる態度だった。そしてそれはタケちゃんの気が済むまで続く。その間、私は途轍もない羞恥と劣等感に包まれるのだった。

 その時、入り口の方で大人の声が聞こえた。先ほどの老人に絡まれた方角だったが声の持ち主は明らかにもっと若い男のもので、何かを怒鳴りつけるような声だった。

 タケちゃんはと私という下僕の痴態からあっさりと興味の矛先を逸らし、真っ先にそちらに駆けつけた。ガイコツとサーコがそれに続き、私もあたふたとズボンを上げて後を追った。

 私たちがおっかなびっくり蔭から覗くその先には、老人と、後から来たのだろう数人の男がいた。若いとは言っても私たちの親と同世代くらいのように見えた。

 男達は巷の工場労働者が着るような同色の作業着と作業帽を身に纏い、手にはロープの巻いた束や両手振りの大きなハンマーなどを持っていた。

 老人は彼らに食って掛かっているようだった。遠くからだったのと早口だったのでよくは聞き取れなかったが、タイオンだのフケイだのという単語が聞き取れた。

 男達の中で最も体格の良い一人が前に歩み出て、物も言わず老人を一発殴った。隣で、ガイコツの息を呑む気配がした。老人はその場に崩れ落ちたが、男は更に老人の身体を爪先で何度も蹴り付け、他の男達もそれに続いた。老人は頭を庇いながら、吐息とも悲鳴とも言えぬ声を何度も漏らした。

 やがて飽きたのか、リーダー格と思しき男はズボンのチャックを下ろしてを取り出し、老人の頭目掛けて放尿した。遠くからでもそれと分かる、長大な陰茎だった。男達の中の二三人が、笑いながらそれを真似た。老人は惨めに呻きながら、地面を弱々しくのたうち回っていた。

 リーダー格の後ろで、他の男達は作業を始めていた。脚立を立て、像にロープを結んで引っ張り、或いはハンマーで叩き壊し始めた。一体の像が原形を喪う程壊れるか倒れるとすぐに次の像に取り掛かる。そうする内に老人を痛めつけていたグループもそれに加わり、見る見るうちに像は数を減らして、地面に壊れて散らばる残骸だけが増えていった。革命の立役者が、教科書の中で何度も見た英雄たちが、跡形もなくなっていった。

 フェンスの向こうで、長々とした貨物列車のレールを走る音が、空々しく聞こえた。

「革命が、始まるんや」

 身を寄せていたタケちゃんが、震えながら吐息と共に漏らした。



 ところで、ここまで上に書いたこれは存在するはずのない記憶である。

この国に二月十日広場などというものも、ことあるごとに革命の英雄が登場する教科書も存在しない。ひと月余りにわたって続く小学校の春休みも。だというのに、私の頭の中には確固たる事実としてそれが鎮座している。これは由々しきことである。

 これは私の思考は盗聴されていて、外宇宙からの電波に汚染されている事実だ。違いない。窓と壁にアルミホイルを貼って頭に銅線をきつく巻いても防ぐことが出来ない。心臓の動きに同調する周波数だからだ。どうしてスピーカーは盗聴マイクです。全部壊したのに機能が失われない。捨てに行くには部屋を出なければならないのに監視者がどこにでも何人もいてじっと見つめてくるので目を潜ることが出来ない。アルミホイルを透かしていくつもの顔が私を見ている、窓の向こうに浮かんでいるベランダのやつらの目と耳を塗りつぶす必要があるのでまど窓をあ(ここから先は文字が途切れている)

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