第三章

ハエルヌンによる春(1)

 新暦九〇八年初冬一月。

 国主[ダイアネ・デウアルト五十六世]に新年のあいさつと、七州鎮撫の完了を報告するため、近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]が上京した。


 太刀たちちとして鳥籠とりかご[てんきゅう]へ徒歩で同行したサレに、その帰路、馬上の公が言った。

「前の大公[ムゲリ・スラザーラ]から与えられたものをすべて差し出させろ、とは言わない。何も考えずに、籠の中で美衣美食にほうけていられる分だけは残しておけ。引き続き、国主が権威をもつことはかまわないが、権力を持たせてはならない。その芽はちく次摘じつむべきだ。それがデウアルト家の存続にもつながる」

 「承知いたしました」とサレが頭を下げると、「ところでな」と公が話を変えた。

「都で看過できないうわさが立っているようだが?」

「何事でしょうか?」

「なにをとぼけている。おかみ[ロナーテ・ハアリウ]のことだ」

 公の言葉に、サレは思い出したふりをした。

「そのことですか。調べましたが、うわさの出どころと思われる女がすでに死んでおり、それ以上はもっか調べている最中です」

「女がな……。死因は?」

「病死と聞いております」

 「病死、か……」と言いながら、公が馬をとめ、サレを見下ろしつつ、凝視した。

「出会った頃とちがって、うそをついているのか、いないのか、わからなくなった。それがよいことかわるいことかは知らないが……」

 サレが無言でいると、公が馬の横腹を蹴りながら言った。

「まあいい。調査をつづけろ。何事かを画策した者が見つかれば、私の手で首をはねてやる……。いや、腕のいいおまえに任せたほうがいいかな?」

 「……ご指示があれば」とサレが応じると、公が微笑を浮かべながら、「候がうわさの出どころだった場合、おのれで自分の首を斬り落とすことなどできるのかね?」と問うてきた。

 やってもいないことで公から疑われたので、多少立腹しながら、サレが「やってみないとわかりません」と答えると、公が声を立てて笑った。

「冗談だ。おまえたちを疑ってはいないが、お上にかかわるうわさまつりごとに利用されるのは困るという話だよ。何でも利用しようとする、おまえたちのたくましさは褒めてやりたいところだが、お上はだめだ。わかっているだろうが、手段はよくよく選べ。執政官[トオドジエ・コルネイア]とだれだったかな……」

 「オルネステ・モドゥラです」とサレがなまえを告げると、「その者にもな、よく言っておくように」と公が注意をうながした。

「しかし、困ったうわさだ。なにも私は、籠から鳥を追い出す気はない。たまった糞や羽を片付けたいだけだ。それがみやこびとのためにもなろうに。わけのわからぬうわさではしゃいで……」

 すこし忌々いまいまに口にした公に対して、「都人とはそういう生き物でございます。くだらぬ者たちです」とサレは応じた。


 都のサレの屋敷に戻ると、モドゥラが来ていたので、煙管を手に取りながら、サレは上の話をした。

「肝を冷やしましたよ。それにしても美衣美食というのはいいな。私もごしょうばんにあずかりたい」

てんきゅうの天井裏は毒蛇毒虫の巣だよ」

「それは残念だ。落ち着いて煙草も吸えないところでは暮らせませんからな……。ところで、いま、その鳥籠[宮廷]の中はどうなっているのですか?」

「反摂政派が摂政[ジヴァ・デウアルト]に接近している。しかし、執政官の援助を受けたおかげか、西宮せいぐうもよく動いてくれている。これから我々がなそうとしていることに大きな支障はないよ、鳥籠の中にはね」

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