いくさのあと (2)

 晩夏九月。

 呼ばれたのでサレが睡蓮館に出向くと、近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]の寝所へ案内された。

 すると、上半身裸の近北公と薄着で化粧の乱れた遠北公えんほくこう[ルオノーレ・ホアビアーヌ](※1)が円卓で酒を飲んでいた(※2)。


「遠北公。何度も言うが、遠北州の掃除はしっかり頼むぞ。ただし、何事もそうだが、やりすぎは困る」

「心配なさらずに。わたくしを女だとばかにした者たちを皆殺しにはいたしませんわ」

 嬉々と話す遠北公に苦笑を与えたのち、「聞いたな。おまえが証人だ」と近北公がサレに向かって無表情で言った。

「しかし、あのような何もない土地でもうれしいものか?」

「何もなくとも土地は土地ですわ、近北公」

 ふたりのやりとりを立って聞いていたサレが、「それで、きょうはどのようなご用件で?」とたずねると、近北公が居ずまいを正して告げた。

「ヘイリプ・サレの次男ノルセン。おまえに領地としてホアラを与える。鳥籠[宮廷]での正式な儀式をすませたのちは、ホアラ候を名乗れ。合わせて職位も、東南とうなんしゅうせんちょうから右騎射うきいに上げる。また、マルトレの一部を代官地として任せる(※3)。ホアラは七州のへそと呼ばれる要所だ。おまえだから任せるのだ。頼むぞ」

 言い終わると、近北公は立ち上がり、サレに酒杯を渡した。突然の話にサレの体はへいぜいを保てず、杯を持つ手が細かく震えた。

「いいわね。うらやましいわ。遠北州と変えてくれないかしら」

 遠北公の言に、近北公は再度苦笑しながら、「公にホアラを任せるわけにはいかないな。言っただろう。信頼している者でなければゆだねられない。まあ、そんなに欲しければ、精進することだな」と応じた。

 話を受けて、「まあ、いじわる」と遠北公が舌を出した。

「南部州から近北州へ入る際には、ホアラを必ず通過させることにする。そのために、不要な街道は早急にふさぐこと。それが、ホアラ候としてのおまえの初仕事だ。いいな?」

 サレが黙って頷くと、また、遠北公が話に入って来た。

関銭せきせんを取り放題ね。つくづくうらやましいわ。でも、それだけ、働かされたってことよね、ホアラ候?」

 ほほ笑む遠北公の言葉に、どのように返せばいいのかサレが悩んでいる間に、近北公が「遠北公もずいぶんとひどいことを言ってくれるじゃないか」と代わりに応じた。


 ほがらかだった場の雰囲気が一変したのは、話がオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]の処遇に移ってからだった。

「ダウロンは勇者である。勇者の働きには十分にむくいなければならない。よって、どこかに領地を与えたいと思う」

 この言にサレは強く反発した。

「あれは、性酷薄にして、自ら突撃することしか知らず、ひゃっちょうより上の地位を任せられる人間ではありません(※4)。ホアラ候も右騎射の地位もいりませんので、その話はなかったことにしていただきたい」

 サレの言に近北公は激高し、「そんなことができるか」と持っていた杯を机でたたり、破片で手を傷つけた。

 自らの血をすすりながら、すさまじいぎょうそうでサレをにらみつけている近北公に対して、サレも怒りに任せて言葉を吐いた。

「それでは、あの男が事件を起こした場合、それはわたくしのまったくあずからぬことであり、説得、仲介などのご下命はいっさいお断りいたします。何かあった場合は、言い出した公が一切の責任をお取りください(※5)」

 こうなると、売り言葉に買い言葉であった。

「であるならば、オルシャンドラ・ダウロンを殺せ。私はおまえのとなりに勇者をはべらせるつもりはない」

 近北公の怒声が室内に響いた。それから、しばらくの沈黙の後、公が落ち着いた声で言った。

「なあ、ホアラ候。私の立場にもなってくれ。こう兎死とししてそう狗烹くにらぬと人は言うが、私はそのようなことはしたくないのだ」

 そのように言いながら、近北公が冷めた目で、遠北公を見た。

 すると、穏やかな笑みをたたえたまま、遠北公がひとりごとのように、「善意を受け入れなければ、時として、強い悪意となって返ってくると、人は言うわよ」と言った。

 サレは近北公を見つめながら、壊れるまで、右の肘掛けをこぶしたたつづけた。それから、椅子の背に体を預け、「承知いたしました。ハエルヌン・スラザーラ」と同意した。

 サレはもはやどうでもよくなっていたので、長子オイルタンを近習として近北公に仕えさせることにも簡単に同意した(※6)。


 子供の後見人に加えて、ホアラ侯に任ぜられ、サレは近北公にどっぷりとつかりすぎていた。これ以上、近北州の政治に巻き込まれたくなかったが、それは無理な相談であった。



※1 上半身裸の近北公と薄着で化粧の乱れた遠北公[ルオノーレ・ホアビアーヌ]

 九〇六年四月。遠北州にて、内紛の末に、対立する勢力によって病身のルファエラ・ペキが毒殺された(ホアビアーヌがそそのかした可能性を指摘する史家が多い)。

 五月、ペキの長子がハエルヌンにかたきを討つための援軍を求めたので、近北州とルファエラ派の連合軍は、反ルファエラ派およびペキ家の中で長子に従わなかった勢力を壊滅させた。

 その後、ペキの長男はハエルヌンの説得に応じて、ペキ家の家督相続者として、執政官トオドジエ・コルネイアに、しゅうぎょ使の役職の返上を願い出た。

 七月、コルネイアはそれを許し、ホアビアーヌを州馭使に着任させた。ハエルヌンの権威の前に、スザレ・マウロ以外で、ホアビアーヌの就任に異を唱える者は少数にとどまった。

 ハエルヌンの強行的な手法に摂政ジヴァ・デウアルトも反発したが、事の裁可を彼から求められず、無視され、権威のちょうらくを印象づけることとなった。

 マウロのように騒ぎ立てても、さらに自らの権威を傷つけるだけだと悟ると、一転して、ホアビアーヌの着任をジヴァは祝した。


※2 円卓で酒を飲んでいた

 サレとしては、ホアビアーヌとハエルヌンの、公然の秘密の関係を明示することで、ホアビアーヌの子の父親が、ハエルヌンの子であることを示唆しさしたかったのだろう。

 ホアビアーヌは敵の多い女であったが、サレとは馬が合い、お互いに助け合う関係となった。

 ウストリレ進攻問題では、ホアビアーヌは消極的な進攻派であったが、サレに同情的でたびたび手助けをした。

 野心的な人物であったが、領地である遠北州からウストリレが遠く、興味があまりなかったのが、サレに幸いしたのだろう。


※3 マルトレの一部を代官地として任せる

 サレに任せられたのは南側の一部で、その他はウベラ・ガスムンに与えられ、彼はマルトレ候を名乗ることになった。

 なお、ホアラとマルトレおよびその周辺を合わせて、「中央州」をつくる案も、近北州内で議論された形跡がある。しかし、この七州の再編成は、基本的に保守主義者であったハエルヌンによって却下された模様。


※4 百騎長より上の地位を任せられる人間ではありません

 直接会ったことのない近西公きんせいこうウリアセ・タイシェイレが、「オルシャンドラ・ダウロンが千人いれば、大陸も制覇できるにちがいない。しかし、それには千人のノルセン・サレが必要だろう」と書き残しているほど、ダウロンはあつかがたい人物として七州に知れ渡っていた。


※5 言い出した公が一切の責任をお取りください

 本回顧録は、サレがロナーテ・ハアリウの求めに応じて記したものだが、彼の個人的な目的としては、本記述を後世に残すために書いたのかもしれない。

 史上名高い事件なので詳細ははぶくが、サレの危惧通り、本回顧録が書かれた後の九一二年、ダウロンは領地であった遠北州アヴァレで大問題を起こし、事もあろうに妻子郎党をつれて、ウストリレに亡命した。

 この一件が、サレのいくさびととしてのめいと心身に与えた影響は大きく、「彼の命を十年は縮めた」とする史家もいる。


※6 長子オイルタンを近習として近北公に仕えさせることにも簡単に同意した

 オイルタンは父ノルセンとはちがい、ハエルヌンには気に入られなかった。

 しかし、近習としてハエルヌンに仕える中で人脈を広げ、その過程で、近北州のサウゾ主義者たちとよしみを通じた。

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