八巻(九〇六年八月~九〇八年十二月)
第一章
いくさのあと (1)
新暦九〇六年盛夏八月。
ラシウ[・ホランク]が
生まれてこの方、これほど悲しいことはサレになかった。
ラシウの生は幸多いものではなかったかもしれないが、刀を用いて、いくさびとして名を残し、また、女としての務めも立派に果たしたので、
サレにラシウの死を伝えたのは剣聖[オジセン・ホランク]であった。
ポウラ一派の内乱が収まったのち、剣聖はラシウの前に出向いたそうだ。
長い間、どこでなにをしていたのかというと、七州がいくさで
剣聖らしいと言えば剣聖らしかったが、そのような彼も寄る年波には勝てず、ラシウを頼るために、山を下りたらしい。
ホアラにて、ふたりだけで酒を
「どうやら、おまえは、刀の扱い方については、自分の形というものがわかってきたようだ。人としては、わからぬがな」
「そのようなものを悟る者がいるのですか?」
サレが言葉を返すと、剣聖は目を見張って、「それはそうだ……。弟子から教えらえるというのは、うれしくもあり、悲しくもあることだな。それはそうと息子はどうするのだ。私が
剣聖が刀を振るまねをしたので、サレは首を横に振った。
「結構です。息子には、ふつうに、馬と弓の
「自分のような苦労はさせたくないわけだな。親心としてはわからぬでもない」
「私は刀で、七州のために、他の者より多く尽くして来たつもりです。ですから、次の時代のいくさ場に、私の息子が出なければならない義理はないように思います。彼には、文官として一生を終えてもらいたい。
「そうか。それでは、ラシウの子に刀を教えることに専念するかな。あと、腑分けに関する書も後世に残したい(※3)」
後日、
ラシウを失った公の心痛はいたましいもので、目に見えて老いていた(※4)。
「ラシウには頼りになる血族がいないから、この子の後見人はおまえに任せる。嫌か?」
「いえ、ご指示ならば」
「あまり有能に育てるなよ。無能のほうがいい。お飾りでいい。いくさや政争に巻き込まれないですむ可能性が高まるからな。一度しかない人生、……二度あっても困るが。それが、不幸の少ないものになるといいな、子にとって」
公の姿や物言いから、サレは、彼がもはや余生に入っていることを悟った。いや、出会った頃から、彼にとっては余生だったのだろう。余生を安楽に過ごしたいと願う老人の行動だったと思えば、だいたいのことは納得できた。
そのようなことを考えていると、なぜだか、理由は明確に説明できなかったが、公に対する忠誠心が、サレの中からみるみると減じていくのをおぼえた。
※1 ラシウ[・ホランク]が産褥死した
当時からそのうわさはあったが、毒殺の可能性を指摘する史家もいる。
※2 褒めてやりたい一生であった
パラガンスの戦い後、サレは多忙をきわめていたので、結局、ハアルクン(ポウラ)の乱の際に、ウブランテサへ避難するラシウを見送ったときが、ふたりの
ラシウは事あるごとに、兄弟子のなまえを呼んでいたとのこと。
※3 あと、腑分けに関する書も後世に残したい
※4 目に見えて老いていた
内乱による七州の混乱が収まると、ハエルヌンは政治への関心をほとんど失い、表舞台に出て来なくなるが、その原因のひとつが、ラシウの死にあったというのが定説である。
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