沈黙、そして(5)

 サレの説得にほくどの[クルロサ・ルイセ]が応じた場合、彼はポウラ一派に留まりつづけ(※1)、来るべき決戦の最中に寝返りを図るようにと、近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]から指示があった。サレはそのお目付け役を命じられた。


 十月八日の深夜。

 それも大いに問題のあることだったが、変装したサレが難なく北左どのの寝所に忍び込むのに成功すると、彼はまだ起きていた。

 暗闇の中、ゆいいつのあかりである蝋燭ろうそくを見つめながら、北左どのは酒をあおっていた。大声を出されては困るので、静かに近づき、背後から口をふさいだ後に、サレは顔を見せた。

 すると暴れていた北左どのが体の力を抜いたので、彼の口からサレはそっと手を離した。


 無言のまま、北左どのが杯を渡して来たので、それにサレは口をつけた。

 こういう場合は、北左どのから何か話すのを待つべきなのだろうと、サレは長いこと黙っていたが、彼が一向に口を開かないので、しびれを切らして、北州公[ロナーテ・ハアリウ]の書状を渡した。

 北左どのは書状の差し出し人の名を知ると、衣服の乱れを正して、書状を頭上へささげた。


「しかしながら、いまさら、戻って来いと言われても……」

 書状を読んでも、歯切れの悪いことをぐずぐずと言い続ける北左どのに、サレはいらつと共に、近北公[ハエルヌン・スラザーラ]が彼に悪さをした原因の一端がよくわかった。

 どうにかこうにか、サレが耐えて、北左どのの返事を待っていると、彼が「会わせたいお方がいます」と急に立ち上がった。

 変に側近などへ相談されて、話がおかしな方向へ行くのは嫌だったが、ほかに方法もないように思えたので、サレは北左どのの言に従った。


 衛兵には、ポウラ[・サウゾ]の密使ということにして、サレはその部屋に向かった。

 そして、中で眠っていた人物と顔を合わせて、驚いた。そこにいたのは、近北公のおいであるこうどの[ボスカ・ブランクーレ]であった。

 高家どのはたまたま、近北公の命で、巨人の口[サルテン要塞ようさい]にいたが、ルオノーレ・ホアビアーヌが信用できなかったし、彼女と一緒にいることで、伯父おじの疑心を招きたくなかったので、ひっそりと巨人の口を後にして、信頼していた北左どのところへ身を寄せたところで、とらわれてしまったとのことだった。

 「いやはや。北左にこのような甲斐性があるとは思いませんで」と高家どのは皮肉な笑みを浮かべたのち、「まあ、ルウラ派の旗頭にされそうになったら、死ねばよいだけの事です」とぜんとした声で言った。

 サレが北左どのに「このことは、ポウラには?」とたずねると、彼は「まだです」と首を横に振った。

 つづけてサレが、「どうするおつもりなのです」と言うと、「夜明けを待ってお逃げいただこうかと。かげ日向ひなたと近北公から守っていただいておりましたので」と言葉を返して来た。

 「ポウラに発覚したら、どうするのです?」とサレがあきれた声でたびくと、北左どのは黙ってしまった。


「きみにね、反乱なんてまねは似合わないし、うまく行くわけがありませんよ。ルウラ[・ハアルクン]に利用されておしまいです」

 そのように言いながら、高家どのは北州公の書状を確認すると、「伯父上ではなく、おかみのところへお戻りなさい」と北左どのへ告げた。

「ルウラには正統性がない。どんなに辛くても、正統性のある者のそばにいるのが、長生きをするけつですよ。クルロサ・ルイセ」

 高家どのの言葉にも、北左どのは「はあ」と生返事しか与えなかったので、時間がないこともあり、サレは小声ながら強い口調で訴えた。

「クルロサ・ルイセ。こんなことは言いたくないが。ばかにされるのもひとつの特長ですよ。それで、あなたは今まで、しんさらされずに生きて来られたのだから。なるほど、あなたはいくさびととしては無能だ。無能だから、近北公はきっとあなたを許すでしょう。公はあなたが裏切ったことを知った時、心底驚いていましたよ。公のあなたに対する日ごろの扱いはひどいものだ。しかし、あれも、あの方なりの、あなたへの愛情表現とまでは言わないが、信頼のあかしなのです」

 サレの言に「そういうものですか」と素直に聞いている北左どのの横で、高家どのが「むちゃくちゃなことをいうな」「物は言いようだな」というような顔をしてきたが、サレは無視して話をつづけた。

「いちおう、二度とあなたに罵声を浴びせないと約束させてきましたが、公はあのようなお方です。あきらめなさい。それよりも、あなたが愛情を注いできた家臣や百姓はどうするおつもりなのですか。公にも伝えましたが、ポウラ一派があなたがたよりも、良い暮らしを民百姓に与えられるとは、とうてい、私には思えない。そもそも、ハアルクンはともかく、彼の家臣どもが、あなたの領地をそのままにしておくとは考えられません。彼らは領地への不満からいくさを起こしたのですから……。あなたが先祖代々養って来た豊かな代官地を欲しがらないわけがない。奴らは野良のらいぬのように貪欲どんよくですよ」

 長広舌に喉の渇きをおぼえたサレが酒で唇をうるおしている間に、高家どのが口を挟んだ。

「いくさ場で働くことだけがいくさではない。いくさびとの生業なりわいではない。それも、きみはわかっているようでわかっていない」

 二人の言に、北左どのが混乱した口調で「いったい、いくさびととは何なのでしょうか?」と問うてきたので、サレは「そのようなことは、一生をかけて死ぬ段にならなければわからぬ話です。ただ生きているだけではだめですよ。いっしょ懸命けんめいに生きた果てにわかることです。その点、あなたは考えが甘すぎるところが多々ある。ですから、公にいじめられるのです。しっかりなさい。まあ、いいです。とにかく、北州公のもとへ帰りましょう。戻りましょう」と連呼した。

 最後の説得に努めたサレに、「そのとおりだと私も思う」と言いながら、高家どのが北州公の書状に自らのおう裏書うらがきした。

「みなであなたをかばうから、戻っておいで」

 高家どのの言葉が心にしみたのか、北左どのは涙を流しながら、大きくうなづいた。



※1 彼はポウラ一派に留まりつづけ

 ルイセがハアルクン(ポウラ)一派についた理由は、いくさでの失態により、先祖代々受け継いできた代官地を召し上げられるのではないかとおびえていたところを、サウゾに突かれたためであった。

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