第二章

沈黙、そして(1)

 十月六日の昼過ぎ、北州公[ロナーテ・ハアリウ]を供奉ぐぶして、睡蓮館にサレは戻った。

 北州公は、サレへ礼とともに、約束を忘れないようにと言うと、館に用意されていた彼専用の部屋へ消えた。

 サレは、りょうさいどの[ウベラ・ガスムン]から、十月六日の未明に、「奸臣ウベラ・ガスムンを討つ」とした檄文が近北きんほくしゅうぜんらされ、各地でハアルクン一派が挙兵した旨を伝えられた。

「君もかわいそうに。近北公[ハエルヌン・スラザーラ]を討つ、では、民草が反発するだろうからな」

 サレの言に対して、両宰どのは配下の報告に基づき、淡々と地図のうえへ駒を置きながら、「ポウラ[・サウゾ]は甘いよ。ここは私ではなく、ハエルヌンの名を出すべきだった。どうやら、東管区の中だけでいくさは済みそうだ」と答えた。


 執務室から、近北公の控えの間にサレが入ると、公はラシウ[・ホランク]の腹をさすりながら、「人の不幸の始まる場所だ」と言った。

「剣聖[オジセン・ホランク]の弟子でし、いや、わたくしの妹弟子をはらませたのですから、それなりのことはしていただきたい」

 サレの話を聞いているのか、いないのか、近北公はラシウにかんを与えようとしたが、彼女は首を横に振った。

「認知はするし、それに見合った待遇は与える。子供のことも心配するな」

「いや、わたくしとしては、野心のない名家の男子の子としたいのですが?」

「私の子では不服かな?」

「わたくしとしては、ラシウとその子を危険にさらしたくはありません。とくに、男子だった場合……」

 サレの要求に、近北公は「ふむ」と鼻で返事をした後に、「せっかく、母子共々、手元でかわいがってやろうと思っていたのだが……」と不満そうに言った。

「政争の種は少ない方がいいです」

「前の大公[ムゲリ・スラザーラ]を祖父にもち、公女[ハランシスク・スラザーラ]を母とする者がいるのに、捨て子の生んだ赤子を担ぎ上げる者がいるかね?」

「ルウラ・ハアルクンが裏切らないと思っておられた方がおっしゃられても、説得力はありませんな」

 サレの皮肉を受けて、近北公はしばらく無言だったが、それから、ラシウの腹を再度さすりながら、「言うじゃないか」とだけ応じた。

「もういい。おまえの言うとおりだ。好きにしろ。婿むこはウベラの縁者にちょうどよいのがいる。子ができない体でおとなしい男だ。因果を含めて話せば、わかってくれるだろう」

 加えて、そのようにサレへ告げると、近北公は執務室へ足を進めた。


 「兄上。すみません」と青ざめた顔でラシウが言うので、サレは「おまえはなにも悪くない」と言い、彼女の頭に手を置いた。

「父親の件ですが、兄上の子にするわけにはいかないのでしょうか。それがいちばん、私は安心できるのですが?」

 ラシウの思いもよらぬ言葉に、サレは内心慌ないしんあわてたが、平生の様子を保って、「それはライーズが許さないだろうな」と断った。

 「奥さまが?」というラシウに、「あれはおまえと私のことを疑っている……。まあいい、この兄弟子がよいお婿さんかどうか、見定めてやる」とサレは答えながら、彼女の腹に手を置いた。

 「なんにせよ、女だといいな」とサレが何気なく言うと、ラシウはむりやり笑って「それでは男ですね。兄上が願うと逆の結果になりますので……」と言った。

 「そうだなあ」とサレも笑って返すと、「男なら、なまえはノルセンにします。いいでしょう?(※1)」とねだられので、サレは、「好きにするがいいさ」と答えた。

「それにしても、日ごろはいない方が楽だと思っていた剣聖だが、こういう時にいてもらわらないと困るな。探しようもないし」

 サレが言い終わると、ラシウが彼の手の上に、自分の手を重ねた。

「そうですね。どこにいるんでしょう、お師匠は」



※1 男なら、なまえはノルセンにします。いいでしょう?

 その刀技のえから「デウアルトの宝刀」と呼ばれ、ウストリレとのいくさで活躍することになるノルセン・ホランクの父親がだれかについては、常にノルセン・サレの名がついて回った。

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