どれほどの土地が人にはいるのか(5)

 きたばんちょう[ルウラ・ハアルクン]周辺の怪しい動きは、ホアラにいるサレの耳にすら入っていた。

 この時点で、万騎長どのの蜂起はないと考えていたのは、おそらく、近北州においては、たったふたりであったろう。

 当事者である近北公[ハエルヌン・スラザーラ]と万騎長どのである。


「いくらまわりが騒ぎ立てようが、ルウラの私に対する忠義心は変わらんよ。下手へたにこちらが動かない限り、彼は立たんよ」

 そのように公から言われてしまっていたので、両宰どの[ウベラ・ガスムン]は動くに動けず、サレに書状で愚痴ぐちを言って、気を晴らさざる得ない始末であった。

 前の大公[スザレ・マウロ]を相手に戦っていたころの公ならば、上のような自身の願望に基づいた甘い観測をすることはなかっただろう。公の政治に対する関心、彼の場合、それは自身の生命も含まれてしまうのだが、は薄くなるばかりであった。その原因は、若き日から血族との闘争に明け暮れた結果、他の者よりも早く訪れてしまった、精神的な老いのせいであったろう。


 一方、万騎長どののほうだが、こちらは、処刑される前の尋問において、両宰どのに対して、次のように述べていたそうだ。

「自分の心が不動であり続ける限り、いくさは起こらないと思っていた。蜂起の間中も、私の公に対する忠義心に大きな変化はなかった。しかしながら、私の見通しが甘く、配下をなだめることができなかった」

 その万騎長どのの思いはうそではなかっただろうと思いつつも、サレの個人的な感覚としては、公と万騎長は結局、利害関係で動いており、その利害の一致が崩れたため、反乱が起きたのではないかと思われた。

 ルウラ・ハアルクンが、サレの兄アイレウンと似た思考の持ち主であったのならば、そう考えざるを得ないのだった(※1)。



※1 そう考えざるを得ないのだった

 文意がわかりにくい箇所である。

 自身がいくさびとであることを、いびつなまでに強く意識していたハアルクンが、純粋な忠義心からではなく、自身に活躍の場を与えてくれていたからこそ、ハエルヌンに従っていただけとサレは言いたかったのであろうか。

 とあるいくさびとの古老に、この箇所についてたずねたところ、「前のホアラ候の言いたいことはわからぬでもない。いくさびとではないあなたさまにうまく言葉で伝えることはできぬが」と言われたことがある。

 いくさびとと呼ばれる者たちは、他の者からはよくわからない原理で動いているところがないとは言えない。

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