地にうずもれて(8)

 晩秋十二月。

 オアンデルスンに対する戦勝祝いの宴が、睡蓮館で行われた。

 しゅひんである北州公[ロナーテ・ハアリウ」は風邪かぜで欠席だったが、きんほくしゅうの百官がつどう中、サレとオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]も呼ばれた。

 これからのことを考えて、執政官[トオドジエ・コルネイア]、[タリストン・]グブリエラ、西にしばんちょう[ロアナルデ・バアニ]らは呼ばれたかっただろうが、そうはならなかった。

 彼らも勝利のためにずいぶんと骨を折ったのだから呼ぶべきであったし、呼ばぬのならば、サレも外してほしかった。


 じょうげんの近北公[ハエルヌン・スラザーラ]は、祝宴の前からすでに出来上がっており、悪い予感しかサレにはしなかった。

 オントニアなどは連れて行きたくなかったが、「おまえは来なくてもいいから、ダウロンは必ず連れて来い」と厳命されていたので、サレは仕方なく、彼を同行させた。

 サレとオントニアがすこし遅れてやってきたのを見てとると、公は立ち上がり、オントニアに向かって、「勇者だ。いくさびとの中のいくさびとがやってきたぞ」とはやてた。他のいくさびと連中も、その声に合わせて歓声をあげた。

 サレが思わず、北の万騎長[ルウラ・ハアルクン]どのの方を見ると、酒の席での発言だからか、表面上は、気にする素振りは見せていなかった。ただし、彼の側近のポウラ・サウゾは苦々しい顔をつくっていた。


 サレにつづき、オントニアがたどたどしい、聞くにえない挨拶あいさつをすませると、公はサレを追い払い、オントニアを自分のとなりの席へつけた。

 公がなみなみと注いだ杯を、オントニアが一口でうまそうに飲み干すと、その様を見たいくさびとたちが列をつくり、彼へ献杯をはじめた。

 次々と杯をけ、ほほを赤らめたオントニアは、しゃっくりをひとつしてから、公に向かって、「この温かな歓待への返礼として、一舞お見せしたいのですが、よろしいでしょうか?」と余計なことを言い出した。

 公だけでなく、いくさびとたちも大喜びの中、オントニアは衛兵からやりを借りて、宴席の真ん中で踊りはじめた。


 そのさまを忌々いまいまに見ながら、サレが煙管を吹かしていると、となりに坐っていたりょうさいどの[ウベラ・ガスムン」が声をかけてきた。

「まあ、きょうはハエルヌンの好きにさせてやってくれ。大いくさが終わってから、禁酒していたらしい。そして、今日をもって、酒を断つそうだ」

「信じられないが、本当ならば、喜ばしいことだ」

「子供のためだそうだ。きみも、長子が成人するまでは死ぬわけにはいかないと日ごろから言っているのだから、その煙草をやめたらどうだね?」

と両宰どのが余計なことを口にして来た。

 サレがどう返答したものか悩んでいるときに、事件は起きた。


「おまえがなにをした。言ってみろ。先の大いくさで、おまえがなにを我々にしてくれたと言うのだ。むだに私の兵を殺しておいて。なにがめでたいだ。このろくでなしが」

 怒声のした方をサレが見ると、公がほくどの[クルロサ・ルイセ]を持っていた杯で殴りつけていた。

 右手で殴られた頭を押さえつつ、北左どのは後ろに下がると、土下座をして、「申し訳ありません」という言葉を何度も繰り返し言った。

 その様が、公の怒りにさらに火をつけようで、「謝ってすむ話ではない。おまえが私になにをしてくれたのかと聞いているのだ。この無能が」と言いながら、北左どのの頭を蹴り上げた。

 蹴り飛ばされても、公のしっせきはとまらず、「この無能が」と言いながら、手にしていた杯で、北左どのの頭を殴り続けた。

 こういうとき、オントニアは役に立たず、公の背後で立ち尽くしているだけであった。

 西せいどの[ザケ・ラミ]が公をがいめにし、万騎長どのが北左どのの前に立ったので、ようやく狼藉ろうぜきんだ。

 場がこおりつく中、サレは北左どのに近づき、介抱をしようとしたが、彼は土下座の形をくずさず、「申し訳ありません」という言葉を繰り返し口にしていた。。


「いやあ、あれだけ兵を殺しておいて、これだけのことで済んだのです。私は構いません。平気です」

 サレの手で、控えの間へ連れて来られた北左どのがいびつな笑顔をサレに向けた。

 その物言いに、サレはいくさびとして立腹した。

「オアンデルスンの鉄砲隊に対して攻め込めば、だれだって、あなたと同じ結果になっていたはずだし、いくさの終盤では、十分に活躍したではないですか。今日の事は公がわるい。これはまちがいない。しかしですぞ、しっかりと反論しなかったあなたも悪い。あなたがちゃんと自分の功績を説明していれば、近北公もあそこまではしなかったのではないのですか。我々は公の奴隷ではありませんぞ。いくさびとです。自分の出した成果は正しくあるじに伝え、それにふさわしい見返りをもらわなければなりません。あなたのなさりようは、あなたの家臣たちを困らせますぞ」

 サレの言に、北左どのは、自らの血で真っ赤に染まったしゅきんを見ながら、涙をこらえつつ、「わたくしは……、いくさびとでは、ないのです」とかすれた声で言った。

 それに対して、サレが「なにを……」と言いかけたところで、後ろからオントニアがサレの肩に手を置き、首を横に振った。

「ダウロンどの。わたくしもあなたのように強い男に生まれたかった。そうしたら、たんと公にめられたことでしょう」

 涙をぬぐう北左どのに、かける良い言葉がサレにはなかなか見つからなかった。

「こんなばかに生まれてもしょうがないでしょう。あなたにはあなたのよいところがあります……、まあ、とにかく、いまはけがの治療が先です。それが終わったら、きょうはもう休まれなさい」

と言うのが精一杯であった。


 北左どのの様子を見に来た両宰どのに声をかけられて、行きたくなかったが、サレは公のところへ連れて行かれた。

 公のひかえの間に入ると、酔い潰れていた彼の胸倉を西左どのがつかみ、右手で両頬を平手打ちしていた。

 痛みで目を覚ました公は、「痛いではないか」と言いながら、椅子に深くこしけた。

「あいつはだめだ。いくさの才がなさすぎる。左騎射さきいえておくわけにはいかない」

 そのように公が言うと、「それでは、おれもめさせてもらうよ」と両宰どのが口にした。

「たしかに、我々は最後の期待を込めて、北左をいくさ場へ送り出した。その結果はかんばしくなかった……。だからといって、それが何だと言うのだ。おまえの力でいくさの世はおわったではないか。これからは、内政に優れた北左が活躍する時代。これからの時代に必要な人材だよ、彼は」

 両宰どのがさとしている間、サレは彼ではなく、それを無表情で聞いている万騎長どのの横顔を見ていた。

 「そういうものかな」とつぶやいた公に、今度は万騎長どのが、強い口調で主に言葉をかけた。

「近北州の武を預かる者として、先ほどのげんは聞き流せません。みなを待たせてあります。そこで、北左どのに謝っていただきたい。いま、両宰どのが言ったとおり、彼を中央の要所においたのは、我々です。彼の失敗は我々の失敗でもあるはずです。それをあのような、彼一人に責を負わせるようなお言葉は、一いくさびと、ルウラ・ハアルクンとしても許せません。謝罪を」

 万騎長どのの怒声を含んだ諫言かんげんに対して、公は手を振って、「もうよいではないか。私とクルロサの仲だ。気にする必要はない」と話を拒んだ。

 すると、万騎長は顔から再度表情をなくし、「わかりました」とうなづいた。

「それでは、わたくしは職を辞し、隠居させていただきます」

 その万騎長どのの言葉を受けて、酔いが冷めたのか、公はあせった声で、「いま、ルウラに辞めてもらっては困る」と言いながら立ち上がった。

 そして、しばらく逡巡したのち、「わかった。謝ることにしよう。すぐに行くから、みなを集めておいてくれ」と万騎長どのに伝えた。


 万騎長どのが場を去ると、公は坐り直し、西左どのから水の入った杯を受け取り、一度に飲み干した。

 そして、「うるさい奴だ。大いくさでルウラが華やかに死んでいれば、すべてに片がついていたのにな」と恐ろしいことを口にした。

 その言葉に、両宰どのが「東管区の血気盛んないくさびとをだれがおさえるのだ。万騎長こそ、これからも近北州に必要な、唯一無二の人材だ。何を言っている」と激高した(※1)。

 盟友の反応に、「何をまじめに答えている。冗談に決まっているだろう?」と公はちゃかしたが、「冗談は、それにあった声色こわいろで言うべきだ」と、両宰どのは冷めた口調でとがてた。


 衆の面前で公が謝り、自らもとどりを切って、それを恐るおそる北左どのが受け取ったので、いちおう、話は片付いた。



※1 と激高した

 ガスムンとハアルクンは政治的な対立関係をうわさされていたが、お互い、相手に対して敬意を抱いていたとも伝わっている。

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