花、咲き乱れる丘にて (2)

 会議後、サレは近北公[ハエルヌン・スラザーラ]の幕舎へ呼ばれた。彼も公へ話があったのでつごうがよかった。


 幕舎の入り口では、ラシウ[・ホランク]が眠そうな顔をしていた。そのことを彼女に告げると、不服そうに「そのようなことはありません」と言いながら、幕を上げて、中へ案内してくれた。


 円卓の前に坐り、水筒に口をつけていた近北公に、サレがあいさつをしようとしたところ、公が右の手を払った。

 サレが目礼だけして、近北公の前へ立ったところで、「とくに話はないが、いくさの前に、のん気な千騎長の顔でも見ておこうと思ってな」と、公が彼の横に立ったラシウに告げた。

 近北公の顔色はひどく、目の下のくまが濃かった。その公から、「眠れていないのか。ひどい顔だぞ」と言われたものだから、サレはつい、「公ほどではありませんよ」と口に出してしまった。

 そのサレの言に近北公は機嫌を損ねることはなかった。笑みを浮かべたのち、「軽口を叩けるのならば、おまえは大丈夫だな」と口にした。

 「公のご体調は?」とサレがたずねると、「私はいくさが始まってしまえば、坐っているだけだから問題はないよ。死ぬにせよ、生きるにせよな」とのことであった。

 近北公はラシウを手招きし、えさを犬へ与えるように、彼女の口へ砂糖菓子を放り込んでから、その頭の上に手を置いた。その手がすこし震えているように、サレには見えた。

 それから、近北公は水筒を再度口にしてから、サレへ次のように言った。

「多くの者があした死ぬ。勝つにしろ負けるにしろな。そして、その責とえんの声は私に向けられるのだろう。……私と、ウベラ[・ガスムン]の立てた作戦に不満があるのは承知している。しかし、うまく行けば、後の仕事が各段にやりやすくなるのだ。東南公[タリストン・グブリエラ]との共謀の件で私もずいぶんと評判を落とした。目的のためならば何でもする男と思われては、これからの仕事がやりにくくなるのだよ。ノルセン・サレ、おまえならわかるだろう?」

「正直なところを申せば、理解はできますが、共感はできません。わたくしはいくさびとですので……。政治家ではありませんから」

「そうかな。おまえはいくさびとよりも政治家向きに見えるが?」

「……ご冗談を」


 「おまえにしてはめずらしく、落ち着きがないな」と、近北公から着座をうながされたサレは、言に従い、円卓の前の椅子に坐った。

 「水でも飲んで落ち着け。私と同じ水を千騎長にも」と近北公が告げると、ラシウが杯をサレの前に置いた。サレが口をつけると、それは酒であった。

「ずいぶんと辛い水ですね」

「禁酒を宣言した手前、西左[ザケ・ラミ]がうるさいからな。これでも酒量はずいぶんと減った。そして、このいくさが終わったら、もう飲むのは止めだ。……息子のために、長生きをしなければならないからな」

「ご子息はお元気で?」

「元気ではないが、死ぬことはなさそうだ」

 返す言葉に困ったサレは、手にしている杯を近北公に見せた。

「東南公のづめとは言え、このような大きないくさに関わるのははじめてなので、体の震えが止まりません」

「止める必要はないさ。……一つだけ忠告しておくのならば、家臣も敵も天候と同じだ。良くも悪くも自分の思い通りにならないものに気を止むな」

「ご忠告、肝に銘じておきます。しかしながら、このような大いくさに、手に余る兵を与えられても困ります。優秀な副官をつけてくださいませんか。指揮はその方に……」

 サレの言葉に、「ふん。ルウラ[・ハアルクン]のようなことを言う」と近北公が不機嫌そうに応じた。

 本来、本陣にて近北公のとなりに立つはずだったひがしばんちょうは、彼たっての願いで、右翼を委ねられていた。そのため、中央にて全軍の指揮を補佐する役割は、西の万騎長[ロアナルデ・バアニ]が代わりに務めることになった。

「おまえはまあ、いいとして、万騎長には、いつまでも、一いくさびとでいてもらっては、近北州だけでなく、七州全体が困るのだがな。私の後継者なのだから」

 自分に言い聞かすように話す近北公に対して、サレは臆することなく、「それで、わたくしの願いは?」とたずねた。すると、公から「そのような者がいれば、私が手元から離すわけがないだろう。ばかかおまえは」という答えが返って来た。

 それでもサレは食い下がって、「それでは火縄[銃]を分けてください」と懇願こんがんした。

 これに対して、近北公は「おまえにまわす火縄はない。ただでさえ、数が足りんのだ」と言ったのちに、笑みを一つ浮かべて、「だが、まあ、おまえと私の中だ。五丁だけだぞ。ラウザドの兵から五人連れて行け。東南公の動きが悪ければ、後ろから気合を入れさせろ」と、火縄を撃つ真似まねをした。

 近北公の温情に深く感謝するそぶりを見せつつも、五丁増えただけではどうにもならないなと、サレは頭の中で勘案した。


 サレはホアラから、近北州軍の先鋒として、橋や道の補修をしつつ軍を進めてきた。

 その際、ラウザドに立ち寄り、オルベルタ[・ローレイル]に泣きついて、少しだけ火縄を分けてもらっていた。

 近北公に大部分を接収されていたうえに、ラウザドの防衛上、火縄が必要であったオルベルタであったが、友愛の情から、彼個人が抱えていた傭兵を貸してくれていたのだった。


 近北公は「五丁だぞ」と念を押した後、ラシウをとなりに坐らせ、両の手で、彼女の頬に触れた。

「私は子供の頃からまちがっていた。しかし、他のやりようがあったとは思えない。人生が二度あればとうたった詩人がいた。嫌なことを言うやつだ。こんな人生が二度あってたまるか。……あした、多くの者が死ぬ。しかし、千騎長、おまえは生き残れよ。まだまだ、やってもらいたいことがあるのだ。文官としてな」

「ご安心を。わたくしはいくさ場で死なないことに決めていますので」

 サレがそのように言ってから立ち上がると、近北公が彼を見た。

「どこで死ぬ予定なのだ」

「もちろん、柔らかな寝台のうえで、息子に見守られながら、安らかに……」


 近北公の幕舎を去ったサレのあとを、とたとたとラシウがついて来て、「ご無事を」と見上げて来た。

「ばかか。この私がいくさ場で死ぬか。おまえこそ、気をつけろよ。我がせつりゅうでは逃げることは恥ではない。負けそうになったら、とっとと逃げろ。それよりもな……」

と言いながら、サレはラシウの肩に手を回し、「隙を見て、後ろから斬ってしまえ。あのけちんぼを」とささやいた。


 その後、サレは近北公の幕僚のもとを訪れて、ラウザドから派兵されて来た五十名の兵を、自陣へ連れて行く許可を得ようとした。

「連れて行く数が多すぎませんか?」

「辛い水を飲んでおられたからな。口が滑ったのかもしれん。しかし、約束は約束。適当な者を勝手に連れて行きますから」

 場を去ろうとするサレに「すこしお待ちください。公の確認を取って参ります」と幕僚が言った。

 それに対してサレは肩をすくめながら、「今頃、お楽しみの最中かもしれませんよ。なにせ、きょうが最後の夜かもしれませんからな」と言うと、幕僚は黙ってしまった。

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