第二章

花、咲き乱れる丘にて (1)

 初夏七月二日夜。

 ロスビン平原を囲むきゅうりょうたいの西側に連合軍(※1)、東側に東州軍が陣を構えており、翌日には両軍の兵が平原へ流れ込み、死闘を繰り広げることになっていた。


 いくさを前に、最後となる連合軍の会議が行われたのだが、その席において、各将の居並ぶ中、ろう困憊こんぱいていほくどの[クルロサ・ルイセ]が、近北公[ハエルヌン・スラザーラ]から強い叱責を受けた。

「ごにゃごにゃと。結論から話せ。いつも言っているだろう」

 サレなどにしてみれば、いつもの光景に過ぎなかったが、近北公と付き合いの浅い西にしばんちょうどの[ロアナルデ・バアニ]や[タリストン・]グブリエラは困惑の表情を隠せずにいた。

 近北公が立ち上がり、坐っていた椅子を蹴りながら、「おまえは、このいくさに負けたいのか。そんなに私を殺したいのか」とぜっきょうすると、北左どのは頭を下げるばかりであった。

 事の次第としては、近北州軍の中で、最後に近北州を出立した北管区の兵の到着が遅れに遅れ、会議が行われている段階でまだ到着していなかった。

 そこで、いくさに遅れることを恐れた北左どのは、騎兵のみをひきい、先行してロスビンに到着していたのだった。

 これに関しては、北左どのの手際のわるさもあったが、近北公をよく思わない者たちや塩賊の妨害もあった。

 そのため、サレは間に入り、近北公をなだめようとしたが、サレが大いくさの前に殲滅せんめつを訴えていた塩賊の名前を出したので、火に油を注ぐ格好となった。

「二言目には塩賊、塩賊。塩賊とて一枚岩ではないだろう。[ルンシ・]サルヴィの統制から外れた者たちもいよう。しかしだ。そのような者たちがいたとしても、こちらは正規の軍だぞ。それがこのような不始末だ。仮にも近北州のいくさびとを名乗っている者たちが情けない」

 質はともかく、人数的に見て近北州軍の主力の一角が来ていないという、連合軍を構成する近西州や西南州の面々に対して恥をかかされた格好の近北公の怒りは凄まじかった。

「おまえはいらんが、兵はいる。どうしてくれるのだ。頼むからしっかりしてくれ、クルロサ。いますぐ兵を連れて来てくれ。それができぬのならば、西の万騎長や東南公[グブリエラ]に土下座をして謝ってから、首をって死ね。どうせ、おまえは明日も役に立たないに決まっているのだから、いなくても構わん」

 怒声を浴びせられた北左どのが、すなおに土下座をしようとしたところで、北の万騎長どの[ルウラ・ハアルクン]がその腕をつかみ、坐らせまいとした。

 そして、「公。お怒りもごもっともなれど……」と近北公をいさめた。

 万騎長の言に「ふん」と鼻を一つ鳴らすと、近北公はラシウ[・ホランク]が用意した椅子に坐り、一同に告げた。

「過ぎてしまったもの、やってしまったことをいまさらぐちぐちと言ってもしかたがない。彼我ひがの戦力差を活かすため、北左の兵の到着を待ち、それらに休息を与えたのちに、全面的な攻勢へ出たい。よって、いくさの開始は明日の正午としたい」

 圧倒的な彼我の戦力差を前にして(※2)、近北公の中に敗北の二文字はなく、どう勝つか、それをどのように政治的な優勢に結びつけるか、そのことしか頭になかったと言わざるを得なかった(※3)。

 夜になっても、東州兵の陣取る丘陵地帯は煌々と明るく、馬を防ぎ、銃兵を守るための工作が続けられていた(※4)。その杭を打ち込む不気味な音が夜通し聞こえ、連合軍の将兵を不安がらせたが、近北公には聞こえていなかったようだった。

 兵数では劣るが火縄[銃]の数では勝る東州軍は、戦略的な失敗を戦術面での工夫で補おうと必死であったオアンデルスン[・ゴレアーナ]のもと、その士気はいくさの間中、常に高かった。

 きゅうねこを噛むではないが、いくさびとの機微がわからなかった近北公は、知らぬ間に、東州兵を勝たねば死しかない状況に追いやっていた。

 両宰どの[ウベラ・ガスムン]が都で行った「大掃除」になぞらえて、「今度は私の番だ」と近北公は言った。これはつまり、余計な引き抜きなどはせず、「ハエルヌンによる春」の到来を邪魔する連中を一掃するつもりであったということである。

 ハエルヌン・スラザーラは、自らの人生の総まとめとなるいくさに、東西の万騎長が進言したような小細工の介入するのを嫌った。

 兵力の差を前面に押し出し、正々堂々と勝ちたかったのだ。

 それを、ロスビンで正気に戻った、いくさびとであるオアンデルスン・ゴレアーナは正確に把握して、打てる手を打った。

 政治的な思惑から、大軍の攻勢により自軍の殲滅を強引に狙ってきた連合軍に対して、丘陵地帯に沿って柵を敷いた東州軍は、火縄でよく対抗した。


 要は、ロスビンの戦いとは、政治家といくさびとの争いであった。

 近北公は勝つには勝った。しかし、その武威武名を落とした(※5)。

 いや、それはどうでもよい話であった。それよりも、本来ならば死なずにすんだ、近北公側についたいくさびとが犬死し、その血を平原に流したことこそが問題であった。

 政治家のせんりょのために、いくさびとの血が流れることなどはあってはならないことだった。

 いくさびとは犬死さえしなければどのように死んでも構わない。その魂はすぐに月なり、太陽なりにかえる。

 しかしながら、犬死したいくさびとの魂は、いつまでも地をさまようことになるのだ(※6)。



※1 連合軍

 近北州、近西州、西南州、東南州の四州連合。

 近北州は、しゅうぎょ使ハエルヌン、東管区長兼万騎長ハアルクン、西管区長左騎射ザケ・ラミ、北管区長左騎射ルイセ、近西州は万騎長バアニ、西南州はバージェ候ホアビウ・オンデルサン、東南州は州馭使グブリエラがそれぞれ着陣していた。ハエルヌンも火縄銃の不足を軽視していたわけではなく、銃の扱える者をラウザドから強引に徴兵して、ラミの指揮下に配していた。

 なお、近北州の留守だが、軍事面では、マルトレ侯テモ・ムイレ=レセと、ルオノーレ・ホアビアーヌが預かった。弱兵として知られていたマルトレの兵を、ハエルヌンはロスビンへ連れて行く気にならなかったのだろう。対してホアビアーヌの方だが、謀略家であった彼女を近北州へ残しておくことに、ハエルヌンは不安を感じなかったのだろうか。万事そうだが、ハエルヌンは彼女に対して、妙な信頼感を終生抱いていた。

 都にはガスムンとラール・レコが置かれた。


※2 圧倒的な彼我の戦力差を前にして

 定説では、連合軍三万八千(公称七万)、東州軍二万(公称五万)。

 連合軍の内訳は、東州軍二万、近西州軍五千、西南州軍三千、東南州軍一万である。

 東州軍についた東南州の兵も一部いたが、グブリエラが裏切っていなければ、兵の上では東州軍が上回っていた計算になる。

 この数の問題は、オアンデルスンをロスビンへ誘い出すにはよいえさであっただろう。


※3 そのことしか頭になかったと言わざるを得なかった

 以下、ハエルヌンに対する痛烈な批判がつづくが、彼への不敬を理由としてか、記述が削除されている写本がいくつかある。

 ロスビンの戦いではサレも多くの兵を失ったので、ハエルヌンなどに対しては冷静な筆致を心がけていたであろう彼も、筆が滑ったか。


※4 銃兵を守るための工作が続けられていた

 東部州北管区ハアティムを巡る争いでは、火縄銃が盛んに用いられていたため、東州兵は工作に慣れていた。


※5 近北公は勝つには勝った。しかし、その武威武名を落とした

 戦死者は連合軍のほうが多かったようで、これは戦後、大きく取りざたされた。


※6 いつまでも地をさまようことになるのだ

 サレの宗教観が色濃く出ている叙述であり、また、後のウストリレ問題で彼が一貫して進攻に反対した理由のひとつが示されている。

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