森の中をさまようように(6)

 晩春六月。

 近北公[ハエルヌン・スラザーラ]は、オアンデルスン[・ゴレアーナ]にくみする一派に対処するためという名目で兵と共に入京し、またたく間に要所を押さえた。

 執政官[トオドジエ・コルネイア]はうやうやしく出迎え、彼の別宅へ公を案内した。


 入京の翌朝、両宰どの[ウベラ・ガスムン]は、都や西南州から追放する者を記した高札こうさつを、コステラの各所へ立てた。

 上は大貴族から下は平民まで、近北公および両宰どのから危険と思われた人物は、軒並み追放されることになったが、その追放者の名簿は、両宰どのがひとりでつくった。

 世上では、執政官とホアビウ・オンデルサン、それにサレも加わっていたとする者も多かったが、そんなことはなかったのだった。

「温情、義理、縁故。みやこびとにそれらのものがある、きみたちの意見を受け入れていては、私はハエルヌンから頼まれた掃除ができない。だから、追放者については、私が決める」

 そのように言われたサレであったが、見せられた名簿の中に、オヴァルテン・マウロどののなまえがあったので、これはどうにかこうにか削除させた。


 手足をもぎとったつもりの大公[スザレ・マウロ]のまわりに、いつの間にかまた人が集まり、いつまでもしゃしゃり出てくるのに業を煮やしたのも、今回、「掃除」を行う理由のひとつであった。

 さすがに、今の大公を都から追放するような乱暴なまねはできなかったが、その周りはだれもかれも排除されることに決まった。しかし、オヴァルテンどのは、兄である大公の活動に対する抑止になったし、なにより、追放しては、都のいくさびとの強い反感を受けるのは必定であった。そのむねをサレは懇々こんこんと両宰どのに告げた。

 執政官もホアビウも、幾人か名簿から消してもらおうと両宰どのの元を訪れたが、不首尾に終わった(※1)。

 とくにホアビウは、父ガーグが名簿の筆頭に載っていたので必死であった。しかし、その願いは叶わなかった。


 バージェ候[ガーグ・オンデルサン]はこたびのいくさでも、糧秣を供出するだけでことをすまそうと画策し、それが近北公の激高を買っていた。なさけないことに、長子ホアビウは老人の暴走を止められないでいたのだった。

 近北公が候からの書状を読んでいる場に、サレも居合わせたが、公は一通り怒り狂ったあと、「やつはもうだめだ」と静かに言い放った。その瞬間、ガーグ・オンデルサンという良将の役割も人生もおわった。

 サレは候に世話になっていたが、すでに借りは返したと考えていたので、それ以上、面倒をみるつもりはなかった。


 両宰どのによる大掃除で、鳥籠[宮廷]では、親近北州派の多い西せいぐうが伸長したが、追放者を出した摂政派および反摂政派も生き残った。

 両宰どのとしては、西宮派を牽制けんせいするためにあえて残したのであろう。彼は西宮派もあまり信用していなかった。


 都の治安を担い、西南州の兵に強い影響力を持っていたせいとうからは、大公に近い者たちが近西州へ追放された。追放理由は、近北公に対して暗殺を計画していたためというものであった(※2)

 結果、青衣党は、近北公と話の合うオリサン・クブララの意のままに動くようになった。クブララどのと合わない執政官は苦い顔をしたが、それも両宰どのの計算の内に入っていたことだろう。


 候の始末は、「きみたちは候に情があるだろうから、ぼくがやろう」と両宰どのが直々に近北州の兵を率いて、東からバージェに乗り込んだ。ホアビウとサレも、事の顛末てんまつを見届けるため、これに同行した。

 両宰どのの動きに合わせて、西から、大いくさに参加する近西州の万騎長どの[ロアナルデ・バアニ]の軍が進入したが、これを迎え撃つはずの候の兵たちは、ホアビウの説得に応じて動かなかった。

 屋敷を完全に包囲された候は、病気を理由に両宰どのへ会おうとしなかったが、両宰どのは門を打ち破り、寝所へ入った。

 実際に病気のためにやつれていた候は、その場で自死か隠居を求められた。

 長々と言い訳をはじめた候は、業を煮やした両宰どのの指示で、庭へ引きずり出されそうになるとようやく、隠居に同意した。

 ホアビウへの家督相続の書状へおうを書くと、両宰どのは候に有無を言わせず、強引に彼を着の身着のまま、隠居地であるライリエ、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]が横死した地へ、送り出してしまった。


 家督相続の書状をじっと見つめていたホアビウから、サレは書状を受け取ると、なぜ、このような最後を候が迎えてしまったのか、その点についてあれこれと思いを巡らせながら、裏書をした。

 周りから言われていた通りに、ホアビウへさっさと家督を譲り、彼の下で近北公へバージェ領が恭順の意を示していたら、このように候が晩節を汚すこともなかっただろう(※3)

 候に対する疑問を執政官に投げかけた時、彼は「年を取ると、頑固になると言うからな」とサレに言った。それだけでは納得できなかったが、サレも忙しかったので、その時は、それ以上考えるのをやめた。


 このようにして、ホアビウはようやく家督を継ぐことができたが(※4)、オンデルサン家は近北公の信用を失っていたので、それを取り戻すのにひどく苦労した。大いくさでも、最も危険な役割を背負わされた。


 以上が、「ウベラ・ガスムンの大掃除」と言われた政争のあらましである。

 追放や隠居をさせられた者たちは、元の地位へ戻るために、大いくさで近北公側が負けることを強く願った。

 一方、両宰どのより報告を受けた近北公は、「過ぎた野心を持てば、こういう風につけを払うことになる」と述べたとのこと。



※1 不首尾に終わった

 これは事実と異なる。コルネイアとホアビウの取り成しを受けて、追放者の名簿からなまえを削除された者は複数いる。

 もともとガスムンにも追放する意思はなく、その追放者やコルネイア、ホアビウへ恩を売るために、わざと名簿に名前をひそませておいたのだろう。


※2 近北公に対して暗殺を計画していたためというものであった

 実際に、一部の者たちの間でそのような動きがあったようだが、事実は不明である。


※3 このように候が晩節を汚すこともなかっただろう

 隠居だけでは、ガーグに対するハエルヌンの怒りは収まらず、後難を恐れてだれも近づかない中、ガーグはライリエで孤独なちっきょ生活せいかつを送った。

 病身のガーグは、何度もしゃめんを求める書状をハエルヌンに送ったが、それを彼が受け取ることはなかった。


※4 ホアビウはようやく家督を継ぐことができたが

 当初、ハエルヌンはオンデルサン家を取り潰すつもりであった。反対するガスムンとサレの説得には応じなかったが、ひそかにタリストン・グブリエラがどうにか説き伏せて、家名を存続させた。

 グブリエラがガスムンらに助け船を出した理由は、まず、西南州への影響力を強めることにあり、かつ、オンデルサン家が担っていた仕事が降りかかることで、余計な軍事的負担をもちたくなかったためと推測される。

 なお、この件が縁となり、グブリエラ家とオンデルサン家に強いつがなりができた。

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