六巻(九〇三年三月~九〇三年十二月)

第一章

森の中をさまようように(1)

 新暦九〇三年晩冬三月十五日。

 東州公[エレーニ・ゴレアーナ]の家宰であるモイカン・ウアネセが暗殺された(※1)。

 この頃はとくに暗殺が多く、高名な人物も幾人か殺されており、サレも一々相手にしなくなっていたが、この一報には驚いた。

 近北州と東部州との間で妥協がなり、近北公[ハエルヌン・スラザーラ]と東州公のもとでいくさのない日々がつづくと安易に考えていたサレであったが、一気にいくさの臭いがしだしてげんなりした。

 それでも、お気楽なサレは、いくさが起こるにしても来年のことであろうと、多分に願望を込めて考えていたが、事態はサレの想像を絶する早さで深刻化していった。

 ホアラの行政に専念したい旨を近北公に告げ、実際、その通りに働いていたサレをよそに、東南州を巻き込んで、近北州と東部州の角逐が起き、あっという間にいくさがはじまった。

 サレとしては、ウアネセの死を聞いた直後に、気がつけばいくさ場へ立っていた感覚であった(※2)。



※1 東州公[エレーニ・ゴレアーナ]の家宰であるモイカン・ウアネセが暗殺された

 家宰かつ愛人であったウアネセの死の一報を聞いたエレーニは、ただ一言、「起きてしまったことは仕方がない」とだけ答えたとのこと。

 対して、ハエルヌンは、側近たちへ暗殺に気をつけるように指示を出した。


※2 気がつけばいくさ場へ立っていた感覚であった

 その後、近北州が起こした謀略などから逆算すると、少し疑問の残る叙述であるのはまちがいない。

 ウアネセの暗殺はオアンデルスン一派の仕業とするのが定説であるが、その後の経緯から、直接もしくは間接的に、近北州の関与を疑う学者も一部おり、その企みにサレも加わっていたのではないかとしている。

 この点については、ウアネセの暗殺によって、最終的な利益を得たのがハエルヌンであったことから生じた、穿うがった見方と判じてよいように考える。

 やはり問題は、ウベラ・ガスムンが中心となって進めた謀略について、サレがどの程度関与していたかだろう。

 本回顧録では、サレはまるで関わっていないような物言いをしているが、暗殺からハエルヌンがいくさに持ち込むまでの謀略の流れの中で、それまでの彼の働きから、何かしらの役割を果たしていたと考えるのが妥当であろう。

 もし、サレがウアネセの暗殺に関わっていれば、彼はそれを本回顧録で書いていたにちがいない。そのサレが書けぬような裏の働きを、ウアネセの死からロスビンの戦いの間にしていた可能性もないわけではなく、そのために、一連の流れの中で自分が関与していなかったような書き方をしたのだろうか。

 しかしながら、サレの名誉のために書いておくのならば、叙述のとおり、政治的な隠居状態に入っていたと素直に読むべき箇所なのかもしれない。

 ただ、やはり、何の関わりもなく、事態が推移したというのは考えられず、サレの記憶ちがいであろうか。

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