花駆ける春(8)

 四月。

 公女[ハランシスク・スラザーラ]が双子を出産した(※1)。

「姉君は元気だけれど、弟君は育たないかもしれないわね」

と、付きっきりでお産を手伝っていた母のラエがサレに言った。

 しかし、女児を産むという、スラザーラ家の女に生まれた以上、果たしてもらわなければならない最大の責務を公女が成し遂げたこと。そのことで頭がいっぱいだったサレにはどうでもいい話であった。

 お産を終えて、ぐったりとしている公女に、サレは早口でいろいろと声をかけたが、公女は手を振って、どこかへ行けと指図するだけであった。

 「がんばりましたね」とその手に触れようとしたサレを、公女は今まで見せたことのない、殺意をこめた目で見た。

 少なからず動揺しているサレに、「産後で、気が立っておいでなのでしょう」とタレセ・サレが言ったので、とりあえず、一礼して、サレはその場を去った。


 その後、近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]が公女のもとを訪れて、祝意を表したのち、「名前はどうなさいますか。少し前までは、アイレウンとハアルクンの名づけがはやっていましたが、いまはどうなのでしょうか」とたずねたが、返答がなかった。

 代わりに、タレセへ向かって、「それらを片付けて」と双子のことを物扱いしたので、近北公が激高したが、公女は相手にしなかった。

「それでも母親か。ムゲリの娘であり、スラザーラ家の当主だからと甘く見て来たが、もうがまんできん。おまえのようや奴は……」

と言いかけた近北公の口に手をやりながら、サレは廊下へ彼を出した(※2)。


 公女の言いつけ通り、別室に移された双子を見ながら、近北公が言った。

「弟のほうは体が弱そうだ。育たないかもしれないが、私の後継者はこれくらいがちょうどいいのかもしれない。いくさ場に出なくてすむからな。おかみ[ロナーテ・ハアリウ]のように、近北州の民を見守る存在になってくれれば、それで十分だ。政治はなん[ウベラ・ガスムン]、いくさはとう[ルウラ・ハアルクン]がみればいい。そうだ。東左だ。彼にはわるいことをしてきた。しっかりと謝って、息子を立派なしゅうぎょ使にしてもらわなければな」

 姉はすでに活発で、弟を叩いていた。近北公は泣いている弟を抱きかかえると、痩せたほほを息子のそれへつけた。



※1 公女[ハランシスク・スラザーラ]が双子を出産した

 当時から、サレの子ではないかといううわさがあった。

 貴族を殺しても何とも思わない一面がありながら、身分秩序に厳しいところもあったサレは、ハランシスクにそのような感情を抱いたことがなかったようで、冗談で問われても相手にせず、とくに怒ることもなかったという。


※2 と言いかけた近北公の口に手をやりながら、サレは廊下へ彼を出した

 離縁を口にしかけたハエルヌンをすんでのところで止めたことについて、サレはガスムンから深く感謝された。

 ガスムンのハアルクン宛ての書状に、「せんちょうどのの機転により、何とか事はおさまりました。離縁されれば、ブランクーレ家の名に大きな傷を残すところでした。離縁さえなければ、後は細事です。千騎長に何かあった時、このことを憶えていてくだされば幸いです」と書き残されている。

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