花駆ける春(6)

 新暦九〇二年晩冬三月。

 七州が落ち着いたことを受けて、北州公[ロナーテ・ハアリウ]が、生まれて初めて入京された(※1)。

 近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]に、海を見たことがない旨を北州公が漏らされた結果、それでは見に行きましょうという話になった。

 「海を見るついでに、鳥籠[宮廷]へあいさつを」とうそぶいた近北公は、この世の春をおうしていた。その言葉を伝え聞き、摂政[ジヴァ・デウアルト]や今の大公[スザレ・マウロ]はいきどおった。


 北州公は、都に着くまでは馬、入京後は輿こしを使った。

 警固の責任者はとう[ルウラ・ハアルクン]どのが担った。実に名誉なことであった。

 話によると、その役目を、近北公は西せい[ザケ・ラミ]どのに任せようとしたが、りょうさい[ウベラ・ガスムン]どのがとめた(※2)。それはとうぜんの判断であったようにサレには思われた。

 近北公の側近たちが、それぞれ、北州公の馬の口取くちとり、弓持ち、槍持ち、刀持ちをつとめた。

 サレは道案内を命じられ、一行の先頭に立って、都を目指した。


 一方、近北公は露払いと称して、道路や橋の補修をしながら、先行して都の近郊へ至り、北州公を宿営地で出迎えた。


 都に入ると、まず、北州公は鳥籠とりかご[てんきゅう]へ参上した。

 特例で帯刀が許されていたが、北州公は宮殿に入る際に、刀を鳥籠の者に預けたとのことだった(※3)。

 また、国主[ダイアネ・デウアルト五十六世]のそば近くに椅子が置かれていたが、遠慮して、近北公の横に立った。

 すると、近北公が自然と後ろに下がったのまではよかったが、その様をみて、近北公より身分の低い者たちが慌ててまねをしたのは、ずいぶんと不格好であったそうだ。

 他のしゅうぎょ使と同じ扱いを北州公は求めたわけだが、それが近北公には不満であり、北州公が自らを「臣」と称し、ハアリウ系の貴族や騎士がデウアルト家へ忠義を尽くすことを望む旨を口にしたとき、その不満足が顔に出たとのことだった(※4)。


 北州公と摂政は時候のあいさつを交わしたくらいで、両者の会見は短い時間で終わった。


 謁見が行われている間、ラシウ[・ホランク]と別室で待機していたサレは、殺気を消せないでいる彼女を叱った。

「人を人だと思っているから殺気が出る。人を花だと思えれば殺気は生じない。無用な殺気は人を斬るときに邪魔になる」

 そのような小言をくちにしていたところ、となりに坐っていた方が咳払いをして、「宮中で不穏な話は慎まれたい」とサレをたしなめた。

 まったくそのお話の通りだったので、サレは深く恥じた。


 翌日、一行はラウザドに出向き、北州公と近北公は海辺で一日を過ごされた。

 本来ならば、オルベルタ[・ローレイル]が北州公のお相手をするはずだったが、緊張のあまり、声も出ないありさまだったので、サレも一緒に随伴した。

 その際、北州公がサレへ次のように声をかけられた。

「屋敷からほとんど出ない私のような者からすると、都はまるで異国のようです。しかし、住み慣れた家でゆっくりとしているほうが、私には合う」


 その日、運が良いことに、一行はしんろうを見ることができたが、北州公も近北公もとくに興味を示されなかった。

 ただ、初めて触れる海には感慨もひとしおだったようで、北州公は歌をひとつ御作りになられた。「花の匂い、春の匂い」という歌い出しの「春の海」と名づけられた曲は、七州でずいぶんとはやった(※5)。


 草木学そうもくがくを好む北州公のために、オルベルタが、東夷の青い薔薇を献上した。

 近北州に戻った後、棘のない薔薇を北州公は「ラウザド」と呼んで愛し、増えたものをみなに下賜かしされた。その花は近北州の気候に合ったのか、州内のあちらこちらで咲き乱れ、やがて、州を代表する花となった。

 その花は無臭であったため、薔薇の臭いが嫌いな近北公もいとわなかった。

 しかし、のちに北州公から教えていただいたところによると、「ラウザド」は薔薇ではなく、おそらく竜胆りんどうの仲間であろうとのことだった。



※1 北州公[ロナーテ・ハアリウ]が、生まれて初めて入京された

 ムゲリ・スラザーラが生前に、ロナーテの上京をハエルヌンに要請したが、断られていた経緯があった。

 ハエルヌンは近北州の自治権の保障と引き換えに、一戦も交えずにムゲリへ投降したが、ハアリウ家の扱いも彼の裁量に属するものと判断されていたため、ハエルヌンの意思が尊重され、生前のムゲリとロナーテが都で会うことはなかった。

 なお、スラザーラ家へ婿入りする前のムゲリはゴレアーナの姓を名乗っていたため、ハアリウ家は主筋にあたった。

 七州の統一を前にして、ムゲリがそのような紛らわしい存在を都に呼び寄せようとした理由は不明である。

 ただ単に、元主筋の若者に、自らが建て直した都の威容を見せつけたかっただけとする者が多数だが、中には、都に呼び出したうえで殺害を企てていたのではないかとする者もいる。

 おそらくハエルヌンは、後者の可能性を危惧したために、何かしらの理由をつけて、上京を取りやめさせたのだろう。


※2 両宰[ウベラ・ガスムン]どのがとめた

 真偽不明ながら、「自分のいない近北州に東左を残しておくよりはいいか」と、ハエルヌンが言ったとする話がある。


※3 北州公は宮殿に入る際に、刀を鳥籠の者に預けたとのことだった

 常日頃からもともと帯刀しておらず、天鷺宮へ入る際も刀を所持していなかったとする説もあるが、常識的にみて、それはありえず、サレの叙述が正しいと考えられる。


※4 その不満足が顔に出たとのことだった

 ジヴァ本人や近臣たちの残した記録から読み解くに、ハエルヌンが慢心や肉体的な衰えなどの理由から、我慢がきかなくなりつつあることを、この会見を通じて判断したジヴァの洞察力は、さすがの一言である。


※5 七州でずいぶんとはやった

 その後、遠くグマランイシでも歌われることになるこの曲が、ウストリレ進攻により、東国にまで広まったのか、それ以前に持ち込まれたのかは不明である。時期的に見れば、ウストレリ進攻時に、東国へ広まったとするのが妥当であろう。

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